列車の運転士が停車中に運転室の扉を開け、線路に向けて小便をしたと報じられた。無理に我慢をすれば運転業務に差し障るし、お漏らしすれば客室内まで臭気が漂う。やむにやまれぬ事情と察するし、定時運転だったというから許してあげてほしい。

本来は体調管理の範囲であり、業務前に用便を済ませるべきだという。しかし、突発性の食あたりや頻尿は仕方ない。この場合、正しい処置は列車無線で運転指令に申告し、駅のトイレを使っても良いそうだ。正確なダイヤを誇る日本の鉄道は、遅延回復力も優れている。この場合の少々の遅延はやむをえないと思う。

それより筆者が気になるところは、この運転士さんは放尿後に手を洗ったか。だってその手でまたマスコンを触ったよね? そのマスコンは交代した運転士さんも触るよね? 白手袋を取って用を足し、また手袋をしたとは思うけど、交代後の運転士さんも気の毒に思えてしまう。

過去には列車の窓から小便をした乗客に罰金を科した判例も(写真はイメージ)

ところで、もし乗務員ではなく乗客が放尿したらどうなるだろう。鉄道開業から約半年後の明治6年4月15日、列車の窓から放尿した乗客に対し、罰金10円を申し渡した新聞記事がある。その記事は「新聞集成明治編年史、第二巻」に収録されており、「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット上に公開されている。

新聞記事の見出しは「汽車運転中に小便 罰金拾圓也」(転は旧字)だ。記事を現代語で要約すると以下のようになる。

東京の新吉原江戸町1丁目に住む增澤政吉が商用で横浜へ向かうため、新橋発午後3時の列車に乗った。乗車前に便所に行こうと思ったけれど発車時刻になってしまい乗車した。しかし便意は収まらず、車内で粗相するわけにもいかないと、窓から小用した。これを鉄道寮官員に咎められ東京裁判所に送致された。判決は事情を考慮された。鐵道犯罪罰例により金拾圓を申し付ける。

記事では住所か番地まで記されており、やむにやまれず行為した人に対して実名報道とは容赦ない。罰金10円も当時としてはかなり高額だ。新橋~横浜間で鉄道が開業した頃の運賃は、上等が1円12銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘だったという。上等運賃の約10倍である。現在、新橋~横浜間の運賃はICカード乗車券で464円、グリーン料金は平日事前料金で770円、合わせて1,234円。その10倍といえば1万2,340円だ。

いやいや、鉄道開業時の運賃は、世間の相場で言うとかなり高額だった。米の価格に換算すると、上等の1円12銭5厘は現在の貨幣価値で約1万5,000円。その10倍の罰金となれば、約15万円になってしまうではないか。あるいは、当時の1円は現在の5万円という説もある。そうなると罰金10円は50万円だ。窓からおしっこで罰金50万円!

ちなみに、記事中の「鐵道犯罪罰例」はインターネット上で公開されており、「国立公文書館デジタルアーカイブ」で閲覧できる。このアーカイブは起案の文書から施行文書に至るまで網羅され、罰金の根拠はPDF版の66ページだ。

第6条 規則第8条に記した所行を為す者は払いたる賃金を没し20円以内の罰金に処す

現代文にするとこのように読める。ここでいう規則第8条は「鐵道略則第8条」だ。これも同じアーカイブの58ページに収録されていた。

第8条 酔人及不行状人扱方ノ事 - 何人に限らず総じて列車乗組中またはステーション、鉄道構内にて酔いに乗じて妄状を表す者または不良の行状を為す者は鉄道係の者より車外及び鉄道構外へ直ちに退去せしむべし

つまり、列車の窓からの放尿について「不良の行状を為す者」と判定されたわけだ。罰金の最高額は20円、申渡しは10円だから、情状酌量によって半分になったといえそうだ。

「鐵道犯罪罰例」と「鐵道略則」は明治5年5月7日(1872年6月12日)に施行された。鉄道開業の4カ月ほど前で、鉄道建設工事と並行して法整備が進められていたようだ。そして明治33年10月1日の鉄道営業法の成立によって廃止されている。

つまり、いま、あなたが列車の窓から放尿した場合は罰金10円では済まない。現行法によって厳しく罰せられる。トイレがない列車に乗るときは、事前に駅などのトイレで用を済ませておこう。

※写真は本文とは関係ありません。