前回は駅名を33個も組み込んだ演歌『恋は難読駅名』を紹介した。そういえば子供の頃、新聞で駅名だけを使った文章が掲載されてびっくりした記憶がある。

駅名を使った文章とは、たとえばJR横浜線で大口駅と菊名駅が並んでいる。並べると「おおぐちきくな」となって「大口利くな」という文になる。このように駅名を使った長い文章が、1979年の毎日新聞夕刊に掲載された。のべ38個の駅名を近い、当時の社会を風刺した内容だった。たしか「海部八郎が企み……」という文だ。

この駅名文について、明治学院大学名誉教授の原武史氏が、著書『思索の源泉としての鉄道』で全文、全駅名を紹介している。まずは駅名を並べてみよう。

海部、八郎潟、倉見、尾久(または邑久)、津、高、根雨、舞子、洞爺、撫養、府中、神田(または苅田)、毛賀、由宇、由宇、利別、賀来、厚保、貝田、与野、那加、岡、志井、府中、鳴門、影野、黒井、八津、土師、府中、岡、呉、箕浦、府中、佐久、新井、蘇我、志井

駅名をかなにして並べると……。

かいふ、はちろうがた、くらみ、おく、つ、たか、ねう、まいこ、とうや、むや、こう、かんだ、けが、ゆう、ゆう、としべつ、かく、あつ、かいだ、よの、なか、おか、しい、こう、なると、かげの、くろい、やつ、はじ、こう、おか、くれ、みのうら、こう、さく、にい、そが、しい

これを文章にすると……。

海部八郎が企み、送った金、うまいことウヤムヤ。高官だけがゆうゆうとし、別格扱いだ。世の中おかしい。こうなると影の黒い奴は時効お(を)隠れ蓑、裏工作に忙しい。

となる。そうそう、こうだった。新聞紙上では5段くらいの大きさの記事で、本文の周りに駅名標のイラストを並べていたような気がする。1979年当時、筆者は12歳。ちょうどブルートレインブームで、鉄道趣味が盛り上がっていた頃だ。「小学6年生が夕刊を読むなんて感心だな」と思われるかもしれないけれど、この頃、毎日新聞は木曜日の夕刊に小中学生向けの特別版「くりくり」を発行していた。これが楽しみで、木曜日の夕刊は必ず読んでいた。

『思索の源泉としての鉄道』によると、この文章の掲載日は9月6日だったという。カレンダーサイトを検索すると木曜日。ビンゴだ。もしかしたら、この駅名文も夕刊本紙ではなく、「くりくり」の紙上だったかもしれない。なにぶん古い話で、思い違いかもしれない。ちなみに、「くりくり」はその後、日曜版の付録になり、現在は発行されていないようだ。紙名の名残が毎日新聞主催の「くりくり少年野球」に残っている。

閑話休題。「海部八郎が……」という文章のすごいところは、当時の汚職事件「ダグラス・グラマン事件」になぞった物語になっていたこと。実在する海部八郎氏が鍵を握る人物として新聞を賑わせていた。

1978年12月、アメリカ証券取引委員会は「米国マクダネル・ダグラス社が自衛隊へ戦闘機を売り込むため、日本政府高官に1万5,000ドルの賄賂を送った」と告発。翌月の1979年1月も、アメリカ証券取引委員会が「米国グラマン社も早期警戒機の売り込みのため日本政府高官に不正送金をした」と告発。その仲介役が日商岩井(現・双日)という商社だった。海部八郎氏は当時、日商岩井の副社長を務めていた。

つまりこの文章は、海部八郎氏がダグラス・グラマンからの送金に関わったことを示す。「高官」とは当時の政府高官、岸信介氏、福田赳夫氏、中曽根康弘氏、松野頼三氏だろう。「影の黒い奴」つまり黒幕が存在したと匂わせるあたりも巧妙だ。「隠れ蓑」「裏工作」などは、日商岩井航空機部門担当常務の自殺、操作の鍵となった「海部メモ」の否認、収賄事件は政治献金だとして争った件の公訴時効を指している。

ダグラス・グラマン事件の発覚は1978年だった。しかし、実際のカネの流れは1975年から始まっていた。1976年にはロッキード事件が発覚しており、ダグラス・グラマン事件についても、衆議院ロッキード問題調査特別委員会が調査を引き継いでいる。この調査は1979年7月に終息。38個の駅名文の新聞掲載はその2カ月後というグッドタイミングだ。

なお、海部八郎氏は翌年の1980年7月に懲役2年執行猶予3年の判決が出て、控訴せず確定している。Wikipediaによると、海部八郎氏は鉄道模型が趣味だったとのこと。鉄道ファンとして、この文章をどんな思いで読んだのだろうか。

駅名文章に使われたのべ38個の駅と路線、所属会社は下表の通り。当時はすべて国鉄の駅だった。あれから37年。一部の駅は第三セクター化されたが、すべての駅が健在である。

駅名(漢字) 駅名(かな) 路線名(所属会社)
海部 かいふ 牟岐線(JR四国)、阿佐東線(阿佐海岸鉄道)
八郎潟 はちろうがた 奥羽本線(JR東日本)
倉見 くらみ 相模線(JR東日本)
尾久 / 邑久 おく 東北本線(JR東日本) / 赤穂線(JR西日本)
紀勢本線(JR東海)、名古屋線(近鉄)、伊勢線(伊勢鉄道) ※旧国鉄伊勢線
たか 芸備線(JR西日本)
根雨 ねう 伯備線(JR西日本)
舞子 まいこ 山陽本線(JR西日本)
洞爺 とうや 室蘭本線(JR北海道)
撫養 むや 鳴門線(JR四国)
府中 こう 徳島線(JR四国)
神田 / 苅田 かんだ 中央本線ほか(JR東日本) / 西九州線(松浦鉄道) ※旧国鉄松浦線 / 日豊本線(JR九州)
毛賀 けが 飯田線(JR東海)
由宇 ゆう 山陽本線(JR西日本)
由宇 ゆう 山陽本線(JR西日本)
利別 としべつ 根室本線(JR北海道)
賀来 かく 久大本線(JR九州)
厚保 あつ 美祢線(JR西日本)
貝田 かいだ 東北本線(JR東日本)
与野 よの 東北本線(JR東日本)
那加 なか 高山本線(JR東海)
おか 阿武隈急行線(阿武隈急行) ※旧国鉄丸森線
志井 しい 日田彦山線(JR九州)
府中 こう 徳島線(JR四国)
鳴門 なると 鳴門線(JR四国)
影野 かげの 土讃線(JR四国)
黒井 くろい 信越本線(JR東日本) / 福知山線(JR西日本)
八津 やつ 秋田内陸線(秋田内陸縦貫鉄道) ※旧国鉄角館線
土師 はじ 因美線(JR西日本)
府中 こう 徳島線(JR四国)
おか 阿武隈急行線(阿武隈急行) ※旧国鉄丸森線
くれ 呉線(JR西日本)
箕浦 みのうら 予讃線(JR四国)
府中 こう 徳島線(JR四国)
佐久 さく 宗谷本線(JR北海道)
新井 にい 播但線(JR西日本)
蘇我 そが 京葉線ほか(JR東日本)
志井 しい 日田彦山線(JR九州)