2016年3月26日のダイヤ改正で全線復旧するJR名松線は、三重県内の松阪駅と伊勢奥津駅を結ぶ。このうち、家城~伊勢奥津間が2009年10月の台風18号で被災して不通となった。現在はバス代行運転となっているけれど、地元の要請にJR東海が応じる形で復旧が決まり、工事に着手。このたび、6年半ぶりに列車の運行が再開される。

名松線の普通列車に使用されたキハ11形(2013年撮影)

ところで、この「名松線」の路線名はどんな由来だろう?

鉄道路線の名称にはいくつかパターンがある。東海道本線は旧街道名、東北本線や山陰本線は地域名、経由地の地名や旧国名を組み合わせる例もある。東西線、南北線、大阪環状線などは路線の機能を示す珍しい名前といえる。鉄道路線でよく見かける事例としては「起点と終点の駅名(地名)の文字をつなぐ」だ。仙山線、太多線、東横線などである。

名松線は起点と終点の駅名を路線名とした。しかし、実際の路線はどうかといえば、「松」は松阪駅があるけれど「名」にあたる駅がない。起点と終点の駅を路線名にするなら「阪奧線」がふさわしいかも……。一体、名松線の「名」はどの駅だろう? 「名」というと「名古屋」を思いつくけれど、方向がかなり違うし、そもそも松阪と名古屋は関西本線・紀勢本線・伊勢鉄道が結んでいる。

じつは、名松線の「名」は名張駅。伊勢奥津駅から北西へ向かって直線距離で約20km離れた都市で、近鉄大阪線の駅がある。名松線は本来、この名張と松阪を結ぶ鉄道路線として計画された。実際には伊勢奥津駅まで開業したところで工事は中断し、現在に至っている。

名松線と近鉄大阪線の位置関係略図

鉄道の建設計画をさらにさかのぼると、1922(大正11)年の鉄道敷設法改正法がきっかけとなる。国が建設すべき鉄道路線を示した法律で、この法律にもとづいて各地の鉄道路線が着手された。名松線は「奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道 及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鉄道 並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ経テ吉野ニ至ル鉄道」の一部であった。奈良県の桜井から名張を経由して松阪に至る路線だ。

名松線はまず、1929(昭和4)年に松阪駅から権現前駅までの約7kmが開業し、翌年には井関駅までの約8kmが延伸開業した。ところがこのとき、参宮急行電鉄(後の近畿日本鉄道)が桜井~名張~伊賀神戸間を結ぶ路線を開業、そこから東へ進んで伊勢中川駅まで開業し、松阪から建設した路線と接続してしまった。官営鉄道の名松線とは異なるルートだけど、桜井~名張~松阪間を結ぶルートが完成した。

名松線の目的が他社によって達成されてしまった。しかし、参宮急行電鉄は標準軌で、官営鉄道は狭軌だ。人は乗り換えてくれるけれど、貨物列車は直通できない。そこで名松線の建設は続けられ、1935年に伊勢奥津駅まで開業した。しかしその後、工事は停滞。貨物輸送は自動車が主役となり、名張へ結ぶ意義も失せてしまい、現在に至っている。国鉄時代の赤字ローカル線リストに入っていたけれど、代替する道路が未整備という理由で残され、JR東海に継承されている。

名松線の「名」は名張だった。しかし、もし名張まで建設されていたとしても、近鉄大阪線に比べると蛇行するルートとなってしまい、勝ち目はなかっただろう。ちなみに、伊勢奥津と名張の間は三重交通がバスを運行している。ただし1日1往復とのことだ。