かつて、ほとんどの長距離列車には食堂車が連結されていた。新幹線や寝台特急、長距離在来線特急の楽しみのひとつだった。現代の食堂車は観光列車に連結されて豪華なディナーを提供するけれど、以前はもっと庶民的な食べ物も扱っていた。なんと、寿司職人が乗り込んだ寿司カウンターや、ゆでたてを楽しめる立ち食いそばもあった。

165系急行形電車。かつてそばコーナーも備えていた(写真はイメージ)

日本の食堂車の歴史は古く、1899(明治32)年に山陽鉄道が採用している。山陽鉄道は先進的な会社で、食堂車だけではなく、寝台車や長距離急行列車を日本で初めて登場させた。最急行列車は特急列車の先駆けともいわれている。なぜ山陽鉄道がサービス精神旺盛だったかといえば、ライバルが瀬戸内海航路の客船だったから。長旅といえば徒歩や馬、駅馬車、そして船旅へと移動手段が移り変わり、そこに鉄道が対抗するとなると、客船のようなサービスも必要と考えたわけだ。

その後、食堂車は官営鉄道、日本鉄道などに採用されて、長距離優等列車向けのサービスとして定着する。第二次大戦の物資不足によって廃れたが、戦後に復活。おもに特急列車向けに食堂車が連結される。1950年頃になると、それまで運営していた日本食堂に加えて、帝国ホテル・都ホテルなども参入し、食堂車は復活どころか絶頂期を迎える。

戦前の食堂車は、1等車・2等車の乗客に限られていた。しかし、1958年に東京~大阪間で運行開始された電車特急「こだま」では、ビジネス客向けとして食堂車が登場している。1両の半分が3等車、半分が食堂車で、簡易な食堂車という意味でビュッフェと名づけられた。「こだま」にはその後、全室食堂車が登場するけれど、ビュッフェ方式の車両は急行形電車でも製造された。客車で運行する急行列車を電車化するときに、客車時代と同じ食堂サービスを提供しようと計画されていた。

1958年に登場し、おもに東海道本線で活躍した急行形電車153系には「サハシ153形」、1963年に登場し、信越本線や上越線、東北本線で活躍した急行形電車165系には「サハシ165形」が組み込まれた。車両形式に「サハシ」とあるように、モーターも運転室もない付随車で、2等座席とビュッフェを備えていた。最近はビュッフェというと「食べ放題」というイメージだけど、当時のビュッフェは「立食」という意味で使われていた。ちなみに当時、食べ放題を示す言葉は「バイキング方式」といった。

急行形電車のビュッフェはカウンターキッチンで、その一角に「寿司コーナー」または「そばコーナー」が設置されていた。『国鉄・JR 悲運の車両たち』(寺本光照著、JTBパブリッシング刊)によると、寿司コーナーは1961(昭和36)年に153系で電車化された急行「なにわ」に設置されたという。寿司コーナーにはちゃんと寿司職人が立ち、寿司を握っていた。電子レンジも備えられており、カレーライスや丼もの、ハンバーグステーキを食べられた。むしろこちらが主で、寿司コーナーは特別コーナーかもしれない。

また、『昭和30年代の鉄道風景』(小川峯生著、JTBパブリッシング刊)によれば、1963年に導入された上越線の165系急行列車にそばコーナーが設けられ、そば・うどんを提供したという。価格について、本文から引用すると「もり・かけが50円、ざる・きつね・たぬき70円、月見70円などで、一番高価な天ぷら(上)でも150円」とのこと。現在の10分の1くらいの物価といえそうだ。153系で寿司、165系でそばになった理由は、寿司職人が不足したからだ。

さて、現在、出張や旅行で使える庶民的な食堂車は消えてしまった。観光列車を除くと、食堂車は寝台特急「カシオペア」のみ。それも来年で運行終了だ。そこで、2020年東京五輪に向けて海外からの観光客を招くという趣旨からも、新幹線や空港連絡特急に、寿司バーやそばバー(?)など、日本の食文化を手軽に楽しめる食堂車を連結してみたら楽しそうだ。観光列車だけではなく、普段使いの列車も楽しくしてほしい。

※写真は本文とは関係ありません。