大島優子さん主演の映画『ロマンス』が8月29日から全国の映画館で公開予定だ。映画のタイトル『ロマンス』は、若い女性のロマンスを描いた直球タイトルだと思ったら、それだけではなかった。主人公は小田急ロマンスカーのアテンダントという設定だ。ロマンスカーと目的地の箱根を舞台とした物語らしい。予告編にはフェルメール・ブルーのMSE、60000形が"出演"していた。鉄道ファンにとっても気になる映画だ。

映画『ロマンス』にも出演する小田急ロマンスカー60000形(写真はイメージ)

さて、映画のタイトルにもなったように、小田急電鉄の座席指定特急列車といえば「ロマンスカー」だ。しかし、なぜロマンスカーと呼ぶのだろうか?

「ロマンス」の語源は「ローマ」だ。ローマ時代の古典的文章はラテン語、そのラテン語を崩して会話に近い言葉になった文章がロマンス語だ。日本でひらがなが大衆文化をつくった事情とよく似ている。

ロマンス語は大衆文化の原動力となり、恋愛小説や英雄小説が盛んになった。こうして「ロマンス」が恋愛物語、「ロマン」が英雄物語の代名詞となった。男のロマンといえば孤高のイメージ、ロマンスといえば恋愛のイメージ。似た言葉でも印象が異なるけれど、元は同じ意味から始まった。

ロマンスカーの「ロマンス」は恋愛のイメージに由来する。恋人同士の2人掛けの座席をロマンスシートと呼ぶ。ロマンスシートを装備した列車だからロマンスカーというわけだ。ちなみに、ロマンスシートは列車の座席ではなく、新宿の映画館に設置された2人掛けの座席のほうが先。恋人同士が見られるように2つの座席を並べ、間にひじ掛けなど遮るものがない。これがロマンスシートと呼ばれた。

1948年、戦時下から続いた大東急から小田急電鉄が分離した。翌年、小田急電鉄は箱根への特急列車用にセミクロスシートの車両を新造する。2座席が向かい合うボックスシートだったけれど、この2座席が新宿の映画館のロマンスシートに似ていると評判になった。そこで小田急電鉄も、この特急列車を「ロマンスカー」と名づけて宣伝した。これが小田急ロマンスカーの始まりだ。

1951年に登場した1700形は、すべての座席が転換式のクロスシートとなった。進行方向に2人掛け座席が並ぶ現在のスタイルに近づき、2人だけの空間ができた。ロマンスカーらしくなった。

小田急電鉄の他にもあったロマンスカー

現在のロマンスカーは小田急電鉄の代名詞だけど、かつては他の鉄道会社でも、「ロマンスカー」と呼ぶ列車を走らせていた。

東武鉄道が運行していた「デラックスロマンスカー」1720系(写真はイメージ)

東武鉄道は戦後、クロスシートの特急列車を「ロマンスカー」と呼んでいたし、現在の特急スペーシア(100系)の先代にあたる1720系は「デラックスロマンスカー(DRC)」という愛称だった。デラックスはフランス語の英語読み、ロマンスはラテン語由来、カーは英語という奇妙な並びで、まさに和製外来語。外国人には伝わりにくい。それでも国鉄日光線との競争で圧倒的優位に立ち、勝利を決定づけた電車だ。

さらにロマンスカーのルーツをたどると、日本で最初に登場したロマンスカーは京阪電気鉄道だった。1550型の2両編成で、当時では珍しい転換クロスシートだった。1927(昭和2)年というからかなり古い。小田急電鉄より22年前。堂々の元祖である。保育社カラーブックスの『日本の私鉄 京阪』によると、京阪電気鉄道は「二人相乗り横掛座席」を備えた「ロマンスカー」と宣伝していたようだ。電車をロマンスカーと呼んだけれど、座席をロマンスシートとは呼ばなかったようだ。

その後、ロマンスカーの愛称は南海鉄道(現在の南海電気鉄道)、参宮急行電鉄(後の近畿日本鉄道)、山陽電気鉄道などで使われた。ところが、元祖の京阪電気鉄道は後に、当時としては画期的な「テレビカー」を走らせ、おもにこちらを宣伝した。そして小田急電鉄の3000形SE車が大人気となり、ロマンスカーといえば小田急という認知度が高まっていった。他の鉄道会社も次第にロマンスカーの呼び名を使わなくなる。

こうして、ロマンスカーは小田急電鉄だけに残った。小田急電鉄は1993年、「ロマンスカー」を「旅客車による輸送」として商標出願。1997年、商標登録番号3321840号として認められた。つまり現在、他の鉄道会社は小田急電鉄の許可なくして、「ロマンスカー」という列車やバスを運行できない。小田急電鉄10000形(HiSE)が長野電鉄に移籍して1000形となったけれど、ロマンスカーとは呼ばない。その理由は商標登録にあった。

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