2014年12月19日、東京駅100周年を記念し、寝台特急「富士」の復活運転が行われた。「富士」は引退時、東京~大分間を結ぶ列車だった。しかし、1970年代後半のブルートレインブーム全盛期は、東京駅と西鹿児島(現・鹿児島中央)駅を往復していた。同じ区間は寝台特急「はやぶさ」もあったけれど、「はやぶさ」は鹿児島本線の熊本駅を経由し、「富士」は日豊本線の大分駅・宮崎駅を経由した。

寝台特急「富士」(写真はイメージ)

鹿児島本線ルートより日豊本線ルートの距離が長いため、寝台特急「富士」は日本最長距離の特急列車となっていた。走行距離は1,574.2kmで、大阪~札幌間の寝台特急「トワイライトエクスプレス」の走行距離1,508.5km(上り列車)より65.7kmも長かった。この記録は現在も破られていないし。今後もこれほどの長距離列車は登場しないだろう。

日本最長距離を走る「富士」の所要時間は24時間を超えていた。1974年8月の時刻表によると、下りは東京駅18時0分発、西鹿児島駅18時32分着。所要時間は24時間32分。上りは2分短く、西鹿児島駅9時40分発、東京駅10時10分着の24時間30分だった。ブルートレインブームの頃、最も長い時間を走る寝台特急「富士」は鉄道ファンの憧れだった。

「富士」より長時間かけて走った急行「高千穂」

ただし、所要時間ではもっと長い列車があった。急行「高千穂」だ。ブルートレインではなかったため、「富士」の陰に隠れた存在だった。運行区間は「富士」と同じ東京~西鹿児島間。ただし特急ではなく急行だから停車駅が多かった。「富士」と同じ1974年8月の時刻表を調べると、東京駅10時0分発、西鹿児島駅14時20分着。もちろん翌日である。所要時間は28時間20分だった。

ブルートレインブームの頃、旧型客車の長距離急行も走っていた(写真はイメージ)

「高千穂」は旧型客車の7両編成で、東京~門司間では鹿児島本線経由で西鹿児島駅までを結ぶ「桜島」を併結していた。どちらもすべて座席車。グリーン車も連結していたとはいえ、28時間以上を座席で乗り通すとは苦行だったろう。ただし、下り列車の時刻表を見ると、大阪駅18時12分発、大分駅07時11分着となっている。夜行列車としては関西から大分・宮崎にかけての区間で乗客が多かったと思われる。

さらにさかのぼると、「高千穂」は寝台列車だった時期もある。1956年の時刻表によると、東京駅11時0分発、西鹿児島駅18時28分着で、所要時間は31時間28分だった。客車は14両編成で、2両が荷物車、7両が3等座席車、2両が2等座席車、そして2等寝台車と3等寝台車が1両ずつ。食堂車も連結していた。座席の比率が多いけれど、寝台車を連結した列車であった。

ちなみに、当時まだ「富士」は登場していなかった。寝台特急「富士」は1964年に東京駅~大分間で運行開始し、翌年の1965年に西鹿児島駅まで延長。当時は20系客車のブルートレイン特急「富士」と、旧型客車の急行「高千穂」が、日豊本線経由の日本最長距離列車として君臨していた。ブルートレインブームに隠れた長距離急行列車というわけだ。

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