"カラクリ"ではない。"クリカラ"である。北陸本線の倶利伽羅(くりから)駅は、隣の石動(いするぎ)駅のような難読駅名ではないけれど、なんとなく心が弾む名前だ。倶利伽羅駅の近くに倶利伽羅峠があって、駅名は地名に由来するようだ。

倶利伽羅駅、石動駅、倶利伽羅峠 国土地理院ホームページより作図)

倶利伽羅駅は石川県河北郡津幡町にある。ここは石川県の東端にあたり、富山県との県境に近い。現在はJR西日本金沢支社の管轄だが、北陸新幹線長野~金沢間の開業後はIRいしかわ鉄道の駅に。この駅がIRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道の境界となる。

それにしても、「倶利伽羅」とはどんな意味だろう? 地図を見ると、北陸本線に並行して倶利伽羅バイパスという道路がある。倶利伽羅駅の南東に、「くりから古戦場」「倶利伽羅不動尊」もある。どうやらこのあたりの地名が「倶利伽羅」のようだ。

源平合戦の形勢を分けた戦いがあった

日本史に詳しい人なら、「くりから古戦場」をよくご存じかもしれない。平安時代末期の1183年、「倶利伽羅峠の戦い」があった場所だ。

倶利伽羅峠の戦いは源平合戦のひとつで、源義仲と平維盛(たいらのこれもり)が戦った。源氏軍は約3万5,000、平家は約10万の兵力で、平家軍が有利に思えた。しかし源氏の奇襲が成功し、平家軍は壊滅。源義仲はこの勢いで西へ進み、京都を制圧する。その後、源義仲は失脚するけれど、倶利伽羅峠の戦いが源氏と平家の運命を変えたといっていい。

「倶利伽羅峠」という地名の由来は、先に挙げた倶利伽羅不動尊にあるようだ。そこで調べてみると、倶利伽羅不動尊は高野山真言宗のお寺である。公式サイトによると、西暦にして718年、中国から渡来したインドの高僧が持ち込んだ「倶利伽羅不動明王」の像に由来するという。「倶利伽羅」とは、「剣に黒い龍が巻き付いた不動尊像」という意味のサンスクリット語とのこと。サンスクリット語は古代よりインド周辺で用いられた言葉で、日本では仏教に関連づけられた言葉として知られている。現在もインドの公用語のひとつとされている。

北陸本線の倶利伽羅駅の名前の由来は地名だけど、その地名の由来はインドのサンスクリット語だった。これはびっくりだ。北海道や東北地方にはアイヌ語由来の地名・駅名が多いけれど、サンスクリット語が由来とは珍しい。隣の難読駅「石動駅」と併せて、ゆっくり訪ねてみたくなった。