最近知り合った放送局のニュース関係者から、不思議なビルの話を聞いた。新橋駅付近のビルが、どう見ても東海道新幹線の高架橋に食い込んでいる。線路脇の保線用通路を塞いでいるかのようだ。新幹線の車窓から見て気づいていた人も多いのではないか。筆者はいつも富士山を見たくて反対側(山側)の席を指定しているから気づかなかった。それにしても、一体どうして、こんなビルが建っているのだろう?

筆者の予想は、失礼ながらビルの古さから、東海道新幹線と同時期かそれ以前にビルが建っていて、当時の国鉄の買収を頑固に拒否したのでは? というものだった。なんだか揉めていそうな感じだ。当事者に聞いても、思い出したくない過去かもしれない。でも気になる。知りたい。

東海道新幹線の話だから、まずはJR東海の広報に聞いてみたけれど、ご存じない様子。なにしろ開業50周年である。建設当時の国鉄の関係者は在籍していないだろう。「調べてみます」と親切に対応してくれたけど、これ以上はお仕事の邪魔かもしれない。

それではビルのほうから当たってみよう。Googleマップでは「楠本第6ビル」と表示されている。検索したところ、楠本株式会社が賃貸していた物件らしい。楠本株式会社は創業88年の歴史ある会社で、おもに東京、そして名古屋、大阪にもビルを持っている。「賃貸していた」と書いた理由は、電話してみたところ、「このビルはすでに売却済み」という回答だったからだ。建設当時の事情を知る人も、ずいぶん前に退社しているという。ごもっともな話だ。50年前の話である。

現地に行ってみた。高架橋にビルが食い込んでる!

見事なV字型の食い込み。右隣のビルも新幹線の高架ギリギリまで接近している

もしかしたら、現在テナントで入居している会社なら事情をご存じなのでは? 賃貸契約書に特別な規約があるかもしれない。テナントのひとつが出版社だ。情報収集に悩むライターの気持ちを察してくれるに違いない。電話してみた。応対は丁寧だったけど、「存じ上げません、お役に立てなくてごめんなさい」とのことだった。

最後の頼みは現在のオーナーだ。じつは楠本株式会社に問い合わせたときに連絡先を聞いていた。ただし、携帯電話の電話番号のみ。携帯電話1本で不動産を動かしちゃう人ってホントにいるんだ……、なんだか強面な人を連想して敬遠したけど、おそるおそる電話してみた。

「ああ、あそこはね、楠本さんが建てたんじゃないの。ハヤシカネって会社が、あの辺の土地を持っててね。ハヤシカネって知ってる? 『林兼』って書いて、マルハの関連会社だよ。大洋漁業のさ」

元気で親切なおっちゃんだった。安心した。新橋生まれの2代目で、新幹線開業前から現地の事情をご存じのようだ。ちなみに大洋漁業はマルハニチロに変わったけれど、林兼産業は実在する。問い合わせてみると、たしかに旧大洋漁業と創業家が同じで、現在もマルハブランドの魚肉ソーセージやチーズかまぼこは林兼産業が製造している。普段食べている食品が出てきて、急に話が身近になってきた。

「国鉄が土地を譲ってくれっていうから、林兼さんはあのあたりの土地をずいぶん譲ったんだよ。あの建物の敷地も削ったはず。それで、このビルだけは勘弁してくれって、話し合ったんだよ。だってさ、ホントは新幹線がちょっとずれてくれたらいいんだもの」

なるほど。やはりビルのほうが先にあった。ビル側は頑なに移転拒否をしたのではなく、土地に関してはずいぶん国鉄に協力したようだ。それでも国鉄側とビル側に譲れない部分ができてしまった。当時の国鉄は東海道新幹線の建設を急いでいた。路線を変更する手間よりも、この形の決着を決めたようだ。本当はかなり揉めたかもしれないけれど、結局は話し合いで決着した。なにしろ当事者はもういないから、円満解決の結果と考えよう。

ちなみに、東海道新幹線に食い込んだビルは、結果としていくつか悩みを抱えているようだ。ひとつは外壁など修理修繕のたびにJR東海の許可を得なくてはいけないこと。安全面の配慮とはいえ、かなり厳しい遵守条件があるらしい。そして、ときどき事情を知らない人から、「何であんなところにビルを建てたんだ?」とクレームまがいの声が届くこと。

「あのね、ビルを後から作ったんじゃないの。ビルが先にあって、後から東海道新幹線が勝手に来ちゃったの。そこをちゃんと説明してね」

……とは、現在のビルオーナーさんからの伝言である。