東海道新幹線の開業から50年が経過した。当時の東京~新大阪間の所要時間は約4時間。運転室の乗務員は運転士2名と助士1名の3人体制だったという。運転士1人乗務の現在とはずいぶん様子が違う。ところで、2人の運転士はいつ交替したのだろう? 答えはなんと、天竜川を渡る鉄橋の上。もちろん走行中だった。

50年前、新幹線の運転士交替は鉄橋の上だった(写真は富士川鉄橋)

この話は、埼玉県で開催された新幹線開業50周年記念イベントで、パネルディスカッションに登壇した元運転士、大石和太郎氏によって語られた。大石氏は開業日の新大阪発東京行「ひかり2号」の運転士。時速210kmで走り続けたため、東京駅の到着が速すぎて途中で減速。なんと山手線に追い越されるという珍記録を作った人だ。

運転士の交替は天竜川の鉄橋だった。その理由のひとつは、そこがちょうど行程の半分だったから。当時の新幹線「ひかり」は、東京駅から名古屋駅までノンストップだったが、名古屋駅は全体の距離の中では大阪寄りで、ここで交替したら運転士の負担が偏る。仕事量として不公平だ。だからちょうど中間付近にあたる静岡県浜松市の天竜川橋りょうが選ばれた。

そしてもうひとつの理由が、いかにも安全を重視する国鉄らしい。「鉄橋の上は見通しが良くて、近隣からなにかが飛び込んでくる心配がない。万が一、交替作業中に目を離しても大丈夫だろう」だったという。

じつは、天竜川橋りょうでの交替については、誰が宣言することもなく、自然に決まっていたようだ。なぜなら新幹線開業前、東海道本線の在来線特急「こだま」も、鉄橋で運転士を交替していたから。在来線特急「こだま」の場合、天竜川ではなく安倍川鉄橋だったという。東海道新幹線の運転士交替は、東海道本線の伝統を受け継いだだけだった。じつにシンプルな理由だ。

それではなぜ、在来線特急「こだま」は鉄橋で運転士を交替したのだろうか? 前述の「見通しの良さ」「近隣からの障害」だけではなく、在来線特急ならではの理由があった。それは、「これだけの長距離で踏切のない区間が他になかった」から。高速で走る電車特急は、運転士が交替する一瞬だけでも、かなりの距離を走行する。鉄橋以外の場所だと踏切があるから、ここで目を離してはいけない。そこで鉄橋の上が選ばれた。

ちなみに在来線特急時代の「こだま」は、東京駅を出発すると次の停車駅は横浜駅。そこから名古屋駅までノンストップで、次が京都駅、そして大阪駅に到着していた。所要時間は6時間50分。最高速度は時速110kmだったという。東海道新幹線の開業前日に、在来線特急「こだま」は運行終了。列車名は東海道新幹線の各駅停車タイプに引き継がれて現在に至る。各駅停車タイプになったとはいえ、新幹線開業時の「こだま」の所要時間は5時間。東海道本線でトップスピードを誇った頃より、所要時間を約2時間も短縮している。

運転士交替の話に戻すと、現在の東海道新幹線の運転士は1人乗務。ハイテク機器にサポートされて安全を確保している。もちろん走行中の交替は、相手がいないからできない。運転士の交替は、「ひかり」「こだま」は名古屋駅で行われ、「のぞみ」は原則として新大阪駅まで交替なしとのことだ。

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