2014年3月のダイヤ改正で特急「スワローあかぎ」が誕生した。上野駅・新宿駅から高崎線を経由する特急「あかぎ」の全車指定席版だ。「スワロー」という愛称は、全席指定席の「座ろう」と、鳥の「つばめ」の英語「Swallow」をかけている。

国鉄時代に活躍したC62形2号機。除煙板に「つばめ」のシンボルマークが(写真はイメージ)

「何でつばめ?」と思う人もいるかもしれない。1950(昭和25)年に特急「つばめ」が誕生して以来、「つばめ」は国鉄のシンボルとして使われていた。特急「つばめ」が客車列車だった頃は、牽引機関車「C62 2」の除煙板に「つばめマーク」が付けられた。また、国鉄バスのシンボルマークにも「つばめ」が採用されている。国鉄がJRに変わっても、列車の「つばめ」は九州の特急列車や新幹線に継承され、「つばめマーク」も採用された。国鉄バスの「つばめマーク」はJRバスにも採用され、新しいデザインになっている。

プロ野球ファンなら、「国鉄スワローズ」をご存じかもしれない。現在の東京ヤクルトスワローズの前身で、1950年に結成された。この時代は鉄道系のプロ野球チームが多く、東急電鉄が「東急フライヤーズ」、阪急グループが「阪急ブレーブス」、阪神電気鉄道が「大阪タイガース(後の阪神タイガース)」、南海電気鉄道が「南海ホークス」、西日本鉄道が「西鉄ライオンズ」を持っていた。ちなみに現在の「埼玉西武ライオンズ」は、「西鉄ライオンズ」の流れを汲む。当初は西武グループの国土計画がオーナーで、後にプリンスホテルとなり、2008年から西武鉄道となった。

プロ野球チームの維持には多額の資金が必要で、プロ野球のオーナー企業の職種は世相を繁栄しているといえる。1950年代は鉄道会社が運輸、流通、不動産などで隆盛を誇っていた。ただし、それは大手私鉄の話。国鉄は鉄道専業だったから、他の私鉄系プロ野球チームとは事情が違った。そもそも「国鉄スワローズ」のオーナーは国鉄ではなかった。

「つばめ」はJR発足後も継承された(写真はイメージ)

国鉄職員の団結のために設立された「スワローズ」

日本国有鉄道は1949年に発足した。国営の鉄道事業を独立採算制とするためだ。国鉄は発足するとすぐに大規模なリストラを実施する。これは約10万人の人員整理となった。職員からの反発は大きく、国鉄の労使関係は最悪だった。この年、国鉄総裁下山定則が失踪し、常磐線で轢死体となって発見された「下山事件」、無人列車が暴走した「三鷹事件」、東北本線で何者かがレールを取り外し旅客列車が脱線した「松川事件」などが起きている。これらの事件は労働争議の延長にあるといわれた。

こうした状況を憂慮し、当時の国鉄総裁が野球ファンだったこともあって、国鉄職員の団結を目的にプロ野球チーム結成が検討された。1949年はちょうどプロ野球界でもリーグ再編問題があり、新規参入のチャンスとなっていた。しかし、国鉄は日本国有鉄道法第3条によって鉄道以外の事業が制限されていた。同法第6条で、「鉄道に付帯する運輸に関する事業」や「所有地の高度利用に関する事業」が認められていたが、これらを拡大解釈してもプロ球団の運営までは難しかった。

そこで、財団法人交通協力会、国鉄出資で駅売店などを運営する鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社など、国鉄と関係の深い会社が協同して、「株式会社国鉄球団」を設立した。つまり、国鉄スワローズは国鉄直下の子会社ではなく、孫会社が運営していたというわけだ。

国鉄スワローズは、後に不倒の通算400勝を達成する金田正一氏が大活躍した球団でもあった。しかし1965年、国鉄球団は産経新聞とフジテレビに譲渡され、チーム名は「サンケイスワローズ」となる。さらに手塚治虫が球団後援会副会長だった縁で、「サンケイアトムズ」に変更された。1970年にはオーナーがヤクルトに変わり、「ヤクルトアトムズ」となった。「スワローズ」の名称復活は1973年からだ。

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