鉄道の線路が1本だけの区間を「単線」といい、線路が2本並ぶと「複線」となる。単線区間では列車のすれ違いができないから、行き違い設備のある駅や信号場で反対方向の列車を待つことになる。複線の場合はこの制約がなく、区間内のどこでもすれ違えるから、単線より複線のほうが列車本数を増やせる。

関門トンネルも含む山陽本線は、かつて九州方面のブルートレインが行き交う区間でもあった(写真はイメージ)

いまは主要都市を結ぶ幹線の多くが複線となっていて、頻繁に列車が走る。山陽本線も神戸~門司間の全区間(支線は除く)が「複線」だ。ところが、山陽本線の場合、正確には神戸~下関間が複線で、下関~門司間は複線ではないという。関門トンネルを含む同区間は、単線を2本並べ、どちらの線路も双方向の列車が走行できる。これはどんなしくみで、どうしてこうなっているのだろうか?

輸送の偏りを吸収する「単線並列方式」

単線を2本並べた線路は、「複線」ではなく「単線並列」という。複線と単線並列の違いのひとつに、列車の進行方向の設定がある。

複線の場合は、下り列車は下り専用の線路、上り列車は上り専用の線路を使う。つまり、それぞれの線路は一方通行だ。これに対して単線並列は、独立した単線を2つ並べているから、列車の走る方向は固定されない。それぞれの線路に、上り用・下り用の信号機が設置されるから、どちらの線路も上り・下り列車を運行できる。両方の線路で下り列車を走らせれば、列車が同じ方向に仲良く並んで走行できるというわけだ。

山陽本線下関~門司間がどうして単線並列として建設されたか? その理由は「戦時輸送」にあるという。関門鉄道トンネルの構想は、富国強兵の1896(明治29)年に始まり、建設が決定したのは1936(昭和11)年。鉄橋では敵国から艦砲射撃の的になってしまうとの理由でトンネルとなったとされる。線路は2本設置するものの、戦時下は同じ方向に大量かつ高速に輸送する必要があるため、どちらの線路も双方向の列車を走行可能とした。単線を2本設置し、独立して管理することで、「下り2本」「上り2本」「上下1本ずつ」と3パターンの運用に備えた。これが単線並列方式を採用した理由だ。

当時の備えが現代でも役立っている

「単線並列」の場合、それぞれの線路を上り専用・下り専用として使えば、複線と同等に使える。いまの山陽本線下関~門司間も、普段は「複線」として扱われていて、「じつは単線並列だ」といわれてもピンと来ない。時代が変わり、輸送手段も多様化した現在、戦時下のような特殊な輸送も行われないだろう。

しかし、単線並列方式はいまでも運用されている。関門トンネルは1942(昭和17)年に下り本線、1944年に上り本線が開通し、約70年も経過しているため、老朽化が著しいという。しかし、トンネルは24時間稼働していて、昼間は旅客列車、夜間は貨物列車が走る。長時間に及ぶ工事をしたくても、何時間も列車を停めるわけにはいかない。

そこで単線並列のメリットが生きてくる。日中の3時間ほどに限定して、1本の線路で上下すべての列車を運行し、その間、もう1本の線路とトンネルの保守工事を実施しているという。ちなみに、時刻表の上下列車の時刻を比較してみると、12時以降、15時30分頃まで、トンネル内で列車のすれ違いは行われていないとわかる。この時間帯に、関門トンネルは線路1本で運用することがあるようだ。

関門海峡を渡るトンネルは、在来線用の関門鉄道トンネルの他に、新幹線用の新関門トンネル、国道用の関門国道トンネルがある。このうち在来線用・国道用のトンネルの老朽化が深刻だ。そのため、地元自治体を中心に、下関から小倉までの新ルートが構想されている。あらかじめ短いトンネルをつくって海底に下ろしてつなぎ、水を抜くという最新の工法でトンネルを建設すれば、従来のシールド工法より低コストで実現可能だという。将来、道路と鉄道を一体で整備した、新しい関門トンネルができるかもしれない。