10月14日は「鉄道の日」。これは旧暦の9月12日にあたり、明治5年に新橋~横浜間で日本の鉄道が正式に開業した日だ。国鉄時代は「鉄道記念日」と呼んだけれど、現在は「鉄道の日」として、すべての鉄道会社の記念日となった。ところで、日本の鉄道の開業日、記念式典列車は何両編成で、誰が乗っていたのだろう?

日本の鉄道開業日にどんな人が乗っていた?(写真はイメージ)

その資料は、2012年に「品川歴史館」(東京都品川区)で開催された「鉄道開通140周年記念 品川鉄道事始め -陸蒸気が品川を走る-」で公開された。原典は1974(昭和49)年に編さんされた『日本国有鉄道百年史』とのことだ。その資料によると、開業記念式典列車は客車9両で構成されていた。機関車は2号蒸気機関車だった。来賓客は明治天皇のほか、政府高官、各国の公使たちであったという。

明治の歴史上の人物が多数乗車

客車9両の乗客たちを詳しく見ていこう。まず機関車寄りの1号車と2号車は近衛護衛兵が乗車していた。これは3号車に明治天皇が乗車していたためだ。3号車はその他、明治天皇御付きの侍従長と侍従が4名、有栖川宮熾仁親王と御付きの侍従長と侍従4名。太政大臣三条実美、鉄道頭井上勝、元公家の四辻公賀、工部少補山尾庸三、式部助橋本実梁が乗ったという。

4号車は参議として、西郷隆盛、大隈重信、板垣退助の名がある。他に左院議長の後藤象二郎、文部卿の大木喬任、教部卿の嵯峨実愛、外部卿の副島種臣、イタリア全権公使、アメリカ全権公使、オーストリア弁理公使、スペイン代理行使、フランス代理行使、それぞれの通訳係が乗った。

5号車はロシア代理行使、イギリス代理行使、大蔵大補の井上馨、海軍大補の勝安房と河村純義、教部大補の宍戸たまき、開拓次官の黒田清隆、租税頭の陸奥宗光、司法部の江藤新平、左院副議長の伊地知正治、陸軍大補の山県有朋、陸軍少補の西郷従道、司法大補の福岡孝弟、宮内大補の万里小路博房、大内史の土方久元、教部少補の黒田清綱。

6号車には、大蔵省三等出仕として渋沢栄一の名がある。同じく大蔵省三等出仕の上野景範、他に司法権大判事の松本暢と玉乃世履、宮内少補の吉井友実、工部省三等出仕の佐野常民、宮内省三等出仕の福羽美静、東京府知事の大久保一翁、陸軍少将の三浦一貫、鳥尾小弥太、篠原国幹、谷千城、野津鎮雄、海軍少将の中牟田武臣と伊東祐鷹、宮内丞職員2名。

7号車は公爵たちだ。従一位の中山忠能と徳川慶勝、正二位の二条斉敬と松平慶永、従二位の大原重徳、池田慶徳、中御門経之、毛利元徳、従三位の沢宣嘉、亀井茲監、島津忠良、従四位の細川護久と池田章政、琉球正史伊江王子の尚建也。8号車は工部少丞の吉井正澄と大野誠、鉄道助の下村盛俊と太田資政、工部省六等出仕の安永弘行、他に式部侍従が乗っていた。9号車は工部省七等出仕の吉井正澄、鉄道寮七等出仕の下村盛俊、式部侍従が乗っている。また、肩書のない谷津直孝なる人物がいる。学者のようだ。

開業式が行われた新橋駅、横浜駅では雅楽が演奏され、近衛砲隊日比谷練兵場にて101発の祝砲が、品川沖の軍艦からも21発の祝砲が撃たれたという。

開業式典列車には明治天皇をはじめ、政府高官、外国公使などの要人たちが乗っていた。ところが当初、政府高官の出席が少なかったらしく、「由々しき事態であるから病気でなければ参加するように」とのお達しが出されたそうだ。