小湊鐡道といえば千葉県のローカル鉄道だ。JR内房線の五井駅が起点で、終点は上総中野駅。そこからはいすみ鉄道が連絡していて、房総半島横断の列車旅を楽しめる。

小湊鉄道線の起点・五井駅で留置中のキハ200形

ところで、この「小湊」の由来は何だろう? 五井駅付近にあった港かな……、と思ってしまうけれど、五井駅のある市原市の海岸は千葉港の一角で、石油化学コンビナートなどもあり、5,000トン級のタンカーが接岸できるそうだ。決して「小さな湊」とは言えない。

では、沿線の川沿いに「小さな湊」があったのだろうか? 川船が使う小さな船着場はたくさんあるだろうし、明治時代に作られた民間鉄道の中には、水運を鉄道に切り替える目的で建設された路線も多かった。小湊鉄道線は養老川に沿っている。その上流には養老渓谷があり、水のきれいな観光スポットだ。

でも駅名を見る限り、小湊鉄道線に「小湊駅」は存在しない。五井~上総中野間で水運と関係がありそうな駅といえば、川の合流点を連想させる上総三又駅か、かつて存在し、物資輸送が盛んそうな二日市場駅あたり。その付近にも、「小湊」という地名は存在しない。

目標は南房総だった! 小さな鉄道会社の大きな野望

「小湊」の由来を求めて地図を開くと、房総半島の太平洋側、JR外房線の「安房小湊」駅に気づく。なんと、小湊鐡道が当初に計画した終点はこの駅だった。養老川の水運を鉄道に置き換える目的もあったらしい。五井と安房小湊を鉄道で結べば、いままで房総半島を迂回していた船の荷物を鉄道で運べる。この計画は大きなビジネスチャンスといえた。

小湊鐵道がめざした「小湊」は太平洋側にある

しかし、結果として上総中野~安房小湊間の路線は建設されなかった。理由のひとつは建設費不足であり、もうひとつは国鉄が木更津~大原間を結ぶ「木原線」の計画を持っていたからだ。これは大多喜と大原を結ぶ人車鉄道を強化する路線として、地元の人々が積極的にはたらきかけたという。

国鉄は木原線を上総中野駅まで延伸し、小湊鉄道線と接続する。これで房総半島を横断する鉄道路線がひとつでき上がった。こうなると、小湊鐡道も高額な費用を負担してまで小湊方面へ延ばす必要はなくなる。木原線経由のほうが、横断ルートとしては早く到達できるからだ。それでも小湊鐡道は小湊方面へ延伸すべく、路線敷設免許を何度も更新していたそうだが、あまりに進捗がないため、政府から免許を取り消されてしまったという。

一方の国鉄も、小湊鉄道線と接続したことにより、房総半島横断の目的が果たされることになった。木更津側は上総亀山駅まで開通していたけれど、上総亀山~上総中野間を結ぶ路線はついに開業しなかった。

こうして、現在の房総半島内陸部の路線図ができあがった。小湊鉄道線は上総中野駅まで。木原線も上総中野駅までとなり、後に特定地方交通線として経営分離され、現在はいすみ鉄道になっている。木更津側から建設された上総亀山駅までの路線は、JR東日本の久留里線として存続している。

小湊鐵道といすみ鉄道の路線を乗り継ぐと、山越えの車窓が楽しい。もし、小湊鉄道線と国鉄木原線がそれぞれ計画通りに全通していたら、房総半島をクロスする横断鉄道がふたつできていたはず。両社とも夢かなわず、互いの"妥協点"が上総中野駅だったわけだ。