寝台列車や貨物列車の先頭で活躍する電気機関車。その車体はおもに箱型だが、最近はくさび形で速さやパワーを強調するデザインも増えてきた。一方、国鉄時代中期までの電気機関車といえば、箱型のボディの前後に手すり付きの平台、いわゆる「デッキ」を備えた形式が多かった。あのデッキは何のためにあり、どうしていまはないのだろうか?

昔の電気機関車はデッキを備えた形式が多かった(写真はイメージ)

先輪の上の空間が"モッタイナイ"から作った!?

じつはデッキに想定された役割はなかったらしい。言うなれば「飾り」のようなもの。デッキを含めた車体前後の部分で重要だったのは、デッキの下にある車輪のほうだ。電気機関車が誕生した当時は、蒸気機関車の設計思想が残っていた。そのため、蒸気機関車と同じく、曲線区間で動輪の向きをレールに合わせるために「先輪」が設けられていた。

電気機関車の多くは車体が箱型だが、先輪の部分は左右に動くため、「箱」の下には入れられない。そこで先輪は車体からはみ出させることにした。電気機関車は両側に運転台があり、前後の両方向で高速運転が可能。だから「先輪」も前後に設置された。高速で運行する旅客列車用の機関車は先輪が2軸、牽引力を重視して低速な貨物用機関車は1軸だった。

ただ、先輪が車体の前後にはみ出すと、その上の空間がなんだかもったいない。そこで先輪の上に平台を置き、手すりをつけた。これがデッキと呼ばれる部分。「あの空間がもったいないからなにか作っておこう」なんて冗談みたいな話だけど、どうやら真相らしい。先輪の数に対応するから、旅客用機関車のデッキは広く、貨物用機関車のデッキは狭かった。

もっとも、「デッキはただの飾り」というだけではなかったようだ。操車場で客車や貨車と連結する作業では作業員が便乗したし、保線作業で資材や道具を置くことも。現在も入れ替え用のディーゼル機関車は、先輪がなくても小さなデッキを備えている。だが入れ替え用途のない大型電気機関車のデッキは、やっぱり「飾り」の意味合いが強かったという。