『銀河鉄道の夜』といえば、明治から昭和にかけて活動した童話作家、宮沢賢治の代表作のひとつだ。日本人のほとんどが読んでいるといっても過言ではなく、読んでいなくても名前くらいは知っているだろう。松本零士の代表作『銀河鉄道999』など、後世の芸術作品にも大きな影響を与えている。書店に行けば、文庫や絵本のコーナーの定番だ。表紙には夜空を駆ける蒸気機関車と、その後ろに連なる客車が描かれる。

岩手県を走るIGRいわて銀河鉄道の電車。宮沢賢治の代表作の名は、地元の鉄道会社名にも受け継がれている

しかし、ほとんどの人が気づいていない、あるいは見落としている重大な事実がある。この作品で、主人公のジョバンニと友人カムパネルラが乗った列車、じつは蒸気機関車の牽引ではなかった。電気機関車またはディーゼル機関車だったようだ。

解説する前に簡単におさらいしておくと、『銀河鉄道の夜』の主人公はジョバンニ。引っ込み思案のジョバンニは、学校で天の川の正体を答えられず、同級生と星祭にも行かない。母は病気で、父は漁師でめったに家に帰ってこない。だからジョバンニは印刷所のアルバイトで家族を支えている。仕事を終えて家に帰ると、病気の母のために配達してもらっている牛乳が届いていない。牛乳を取りに行っても冷たくあしらわれ、星祭を見に行けば同級生にからかわれる。孤独を感じたジョバンニは、町外れの林の向こうへ行き、天の川を眺める。

ふと気がつくと、彼は列車の中にいた。心優しい友人のカムパネルラもいて、2人の列車の旅が始まる。

「この汽車石炭をたいていないねえ」とジョバンニは言った

「ジョバンニとカムパネルラが乗った列車の機関車は蒸気機関車ではなかった」、こう言われるとびっくりする人が多いだろう。なにしろ、『銀河鉄道の夜』と題された宮沢賢治の短編集や絵本、アニメなどは必ず蒸気機関車が描かれる。それを見れば、誰だって銀河鉄道は蒸気機関車に引っ張られている列車だと思うはずだ。

『銀河鉄道の夜』の本文にも、「汽車」という単語がたくさん登場する。著作権が消滅した文学作品を収録したサイト「青空文庫」の『銀河鉄道の夜(新潮文庫版)』によると、「列車」は2回。「汽車」は39回も使われている。車窓にも「石炭袋」という名の空洞が現れる。常識的に考えて、「汽車」といえば蒸気機関車を示すといえる。

しかし、「六、銀河ステーション」の最後にこんな記述がある。

「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。

蒸気機関車ではなく、アルコールエンジンを搭載したディーゼル機関車か、電気機関車であると、宮沢賢治は明確に示していた。さらに、ここまでの伏線として、「三、家」では、ジョバンニが母親に「こう言っている」

カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。

銀河鉄道がジョバンニの空想の鉄道だとするならば、そのイメージはカムパネルラの家にあった「アルコールラムプで走る汽車」だと思われる。

宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』を書いた時期は、1924年から1931年頃とされている。彼がモチーフにした鉄道は岩手軽便鉄道といわれており、本文にも「軽便鉄道」の記述がある。また、彼は『岩手軽便鉄道の一月』という詩も残している。岩手軽便鉄道は蒸気機関車が引く列車しかなかったけれど、彼はその列車で水力発電所を見学していたらしい。だから彼が「電気で列車が走る」と認識していたとしてもおかしくない。

ちなみに岩手軽便鉄道は宮沢賢治の死後に国有化され、国鉄釜石線となった。釜石線の蒸気機関車の引退は1967年で、その後はディーゼルカーの運行となっている。

私たちは、『銀河鉄道の夜』といえば蒸気機関車を思い出し、ジョバンニの年齢から幼少期を連想する。だから『銀河鉄道の夜』に郷愁や懐かしさを感じるかもしれない。しかし、宮沢賢治自身は違ったようだ。彼は銀河鉄道を、「電気やエンジンで走る近未来の列車」として描いている。主人公を子供とし、子供たちに未来を託した作品ともいそうだ。

それにしても、本文にこうもはっきりと「石炭をたいてない」と書いているにもかかわらず、なぜ表紙や挿絵などが蒸気機関車ばかりになってしまったのか不思議だ。編集者もイラストレーターも先入観で仕事をしてしまい、作品をちゃんと読んでいなかった!?