16日に引退した新幹線300系は、東海道新幹線の歴史を変えた車両だった。東海道新幹線は開業以来、速達型の「ひかり」と各駅停車の「こだま」の2種類を運行していたが、300系は3番目の種別「のぞみ」を運行するために作られた。最高時速270kmを達成し、ちょうど20年前の1992年3月14日に営業運転を開始した。

その一番列車「のぞみ301号」は、新幹線史上唯一の停車駅パターンとなっていた。なんと名古屋駅と京都駅を通過していたのだ。東京駅6時0分発、新横浜駅6時15分着・6時16分発、新大阪駅8時30分着。当時、「ひかり」さえ一部の列車しか停まらなかった新横浜駅に停まる一方、名古屋駅と京都駅は通過した。この扱いに名古屋の人々は激怒したという。この扱いは約5年8カ月も続き、1997年11月に「のぞみ301号」は廃止された。

東海道新幹線300系

東海道新幹線の新時代を築いた300系

鉄道路線に新型車両を投入する理由は、おもに「古くなって廃止する車両を置き換えるため」だ。しかし300系は単なる新旧交代が目的ではなかった。新幹線そのものの商品力を高めるため、もっと速く走らせる必要があったのだ。

その第1の理由は航空業界の規制緩和だった。国はアメリカの航空規制緩和を受けて、まず国際線、次に国内線の規制緩和に着手。全日空に国際線就航を認める一方、新しい航空会社の新規参入も認める方針を決めた。競争を促すために運賃の価格競争を認めた結果、東京~大阪間の航空運賃が下がった。

もちろん飛行機と新幹線では座席数に圧倒的な違いがあり、飛行機が安くなったところで新幹線の客をすべて奪われるわけではない。しかしビジネスにおいては、5~10%程度の乗客減少も大きなダメージとなる。JR東海はこの勝負に受けて立つ必要があった。そこで立案された計画が、「ひかり」より速い「スーパーひかり」こと「のぞみ」の運行だ。300系は「のぞみ」として、飛行機と勝負する使命を背負って走り始めた。

300系が実現した時速270kmは、車両の性能だけでは実現しなかった。高速で安定した走行を実現するため、線路のカーブの傾きなどが改良された。300系を走らせるために、東海道新幹線は路線ごとリフォームされたわけだ。300系は2階建て新幹線100系や、奇抜な先頭車形状の700系に比べると、デザイン的には印象が薄いという声もある。だが、東海道新幹線の歴史のなかで、300系がもたらした影響はとてつもなく大きい。

「朝9:00の会議に間に合う」をアピール

「のぞみ301号」が名古屋駅と京都駅を通過した理由は、飛行機に対抗する都合上、新大阪駅にどうしても朝8時30分に到着したかったからだ。新大阪に8時30分に到着すれば、大阪のたいていの企業には9時に到着できる。つまり、「朝イチの会議に間に合いますよ」とビジネスマンにアピールしたかったのだ。新幹線は保線や沿線環境の条件から、営業運転は朝6時以降。東京駅を6時に出発して、新大阪駅に8時30分に着くためには、名古屋駅、京都駅停車では間に合わなかった。

ただし、不思議なことに同じ時間帯の上り「のぞみ302号」は名古屋駅と京都駅に停車していた。しかも新大阪駅6時ちょうど発、東京駅8時30分着だ。なぜ下り列車は名古屋駅と京都駅を通過し、上り列車は停車できたのだろう? 理由としては、名古屋・京都・新大阪の駅間が短く、実質的に旅客需要がなかったとも考えられる。もうひとつの理由として、当時の東海道新幹線は早朝の東京寄りの区間で減速する必要があったという。新横浜駅停車は所要時間に影響がなかったものの、徐行の遅れを回復するため、その先で停車駅を減らす必要があった。

前述の通り、1997年11月に「のぞみ301号」は廃止されている。東京駅6時0分発を引き継いだ「のぞみ1号」は、京都駅、名古屋駅に停まっても8時30分に新大阪駅に到着できた。ただ、このときの「のぞみ1号」は300系ではなかった。東京に乗り入れを開始したばかりの、当時のJR西日本の最新型車両500系だった。