今度のダイヤ改正で、JR西日本の特急「くろしお」「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」の3列車が「くろしお」に統一される。「くろしお」は京都・新大阪・天王寺と紀州方面を結ぶ特急として、47年もの歴史がある。だがデビュー当初、「黒潮」「くろしお」という名の列車は他の地域でも走っていた。

3月ダイヤ改正から運行開始する「くろしお」新型車両287系

近畿と紀州方面を結ぶ「くろしお」は1965年3月に誕生した。当初はキハ80系ディーゼルカーが使われており、西側の始発駅は天王寺駅、東側は名古屋駅で、紀伊半島をぐるっと巡る列車だった。しかし1978年、紀勢本線の和歌山~新宮間が電化されたのを機に、「くろしお」は電車特急となり、運行区間は天王寺~新宮間に短縮。新宮~名古屋間はディーゼルカーのままで特急「南紀」となった。現在の特急「ワイドビュー南紀」の前身だ。

「くろしお」「黒潮」の歴史

ところが、この「くろしお」がデビューする前、漢字の「黒潮」という列車が千葉県で走っていた。1952年から2年間、新宿~安房鴨川間の海水浴客向け臨時快速列車として運転されていたのだ。「黒潮」の列車名はいったん消えたが、1963年4月に房総方面の定期準急列車として復活。同年10月にはひらがなの「くろしお」となった。

一方、四国の土讃本線(現在の土讃線)でも、1961年に準急「黒潮」が誕生する。運行区間は高松~須崎間で、現在の特急「南風」の前身であった。四国の「黒潮」は1965年10月のダイヤ改正で準急「南風」に統合され、同時に急行列車へ格上げ。1972年に特急になって現在に至る。

房総半島を走った「くろしお」も、1965年に準急「外房」へ統合される。後に急行列車へ格上げされ、1982年に特急「わかしお」へ統合されて現在に至る。

つまり1963年4月以降、四国に準急「黒潮」、房総方面に準急「くろしお」が走っていたところに、2年後には紀伊半島の「くろしお」も加わり、"くろしお"と呼ばれる列車が3つも存在していたわけだ。四国の「黒潮」、房総の「くろしお」はともに1965年10月に消滅し、名前の重複は約半年で解消された。

このような列車名の重複は、日本の鉄道の歴史ではわりと珍しい。地域が離れていたこともあり、切符の発売ミスが少なかったことも理由だろう。重複が解消されたのは、指定券のオンライン予約システム「マルス」が新幹線に対応し、指定券の発売が広範囲にわたったことから、発売ミスを避けたかったためとも考えられる。

なお、列車名の重複については、1959年から小田急線新宿駅と国鉄御殿場駅を結んだ特別準急「朝霧」と、同年に九州で運行を開始した準急「あさぎり」の例もある。小田急からの「朝霧」は後に「あさぎり」となり、急行、特急へ格上げされて現在に至る。九州の「あさぎり」は、1980年に快速列車に格下げとなってしまった。九州の「あさぎり」には指定席がなかったため、発売ミスなどの問題は少なく、長期間にわたり列車名が重複していた。