JR西日本はこのほど、225系などで使用する新型の吊り手を、京阪神エリアの普通電車に使われる321系や207系にも順次導入すると発表した。

新しい吊り手は、輪の内径が従来の85mmから100mmに広がり、太さも従来の15mmから20mmに。オレンジ色で目立つため、とっさのときにつかみやすくなり、安全性が増した。321系に関しては、新型吊り手の導入に合わせて出入口付近の吊り手を増設し、より多くの乗客が利用できるようにするという。

JR西日本の321系や207系に導入される新型の「吊り手」(画像提供:JR西日本)

ところで、首都圏の電車だと「吊り手」よりも「吊り革」と呼ぶことのほうが多い。「走行中は危険ですので、吊り革や手すりにおつかまりください」という車内放送もよく聞く。でも実際のところ、「吊り革」は革製ではない。輪の部分はプラスチックで、帯の部分はナイロン繊維を樹脂でコーティングしているそうだ。

そうは言っても、「吊り革」と呼ばれるくらいだから、昔は革製だったはず。では、いつまで革製だったのだろうか? 筆者自身の記憶をたどっても定かではない。子供の頃から革製ではなかった気がする。

戦時中には姿を消していた!?

いくつか文献を当たってみたが、はっきりしない。たしかに戦前の車両には、文字通り牛革製の「吊り革」が使われていたようだ。

だが戦時中、物資不足の影響で牛革が消えてしまった。そこで代用品として荒縄などが使われていたらしい。日本では戦時中からポリ塩化ビニールの生産が始まっていたため、戦後になっても吊り革は牛革に戻ることなく、そのまま合成樹脂製へ移行したと考えられる。

東京メトロ銀座線の新型車両1000系のモチーフにもなった旧1000形。当時では珍しい全鋼製で、乗客が快適に過ごせるよう随所に工夫が(画像提供:東京メトロ)

ちなみに地下鉄の場合、1927(昭和2)年に東京地下鉄道が開業した当初から革製ではなかった。

旧1000形では、「リコ式」と呼ばれる金属製の吊り手を採用していた。使用しないときはバネの力で網棚側に固定され、ぶらぶらしないので輪が網棚とぶつからず、静かな吊り手だと好評だったらしい。その一方で、乗客が使い終わった後に吊り手が跳ね上がり、他の客の頭に当たるなどの理由で、苦情も多かったという。

革製を使わなくなった背景に、あの鉄道事故が

戦前の電車の吊り革に使用されたという牛革は、いまでは高級バッグにも使われている。ならば、新しく牛革製の吊り革を採用すれば、通勤電車も高級感が出てくるかも……、と思ったものの、残念ながらそうはいかない。

吊り革はもう革製には戻れない。そのきっかけとなったのが、1956(昭和31)年、当時の運輸省が、電車の火災事故対策に関する通達を出したこと。

その背景には、1951(昭和26)年の桜木町事故など鉄道火災事故が続いたことが挙げられる。桜木町事故は架線工事のミスで架線が垂れ下がり、電車の屋根に接触し、火花が引火して電車が全焼。死者100人以上の大惨事に。

当時の電車は油性塗料を使用し、内装もベニヤ板など木製の部分が多く、車両自体が燃えやすかった。加えて、乗客がドアを開ける仕組みがなく、電車のつなぎ目に通路もなく、窓の開口部も小さかった。そのため乗客が脱出できず、多くの犠牲者を出す結果となってしまった。

これらの事故と国からの通達を踏まえ、鉄道車両の素材は燃えにくいものへと移行していく。吊り革も例外ではなく、燃えにくく加工された合成樹脂が使われるようになった。大量生産でコストが下がったため、地下鉄だけではなく、すべての吊り革が同様の素材になっていった。

「吊り革」「吊り手」に代わる呼び名を考えてみた

だからいま、「吊り革」という呼び名はふさわしくないかもしれない。最近は「吊り手」のほか、「吊り輪」とも呼ばれているようだ。

あくまで個人的な意見だが、「吊り手」だと手がぶら下がっているような気がしないでもない。「吊り輪」にしても、都心の電車には"三角型"もあるし、体操競技の名前でもあるので、ぶら下がって遊ぶ者がいそうな印象もある。

いっそのこと英語にしてみては? と思ったものの、吊り革を英訳すると「ストラップ」。日本だと、なんだか携帯電話のアクセサリーみたいになってしまう。ならば素材名を取って、「吊り樹脂」とか「つりプラ」とか……、それも変だな。

やっぱり、「吊り革」「吊り手」「吊り輪」あたりで手を打つとするか(笑)。