阪急電鉄は関西を代表する大手私鉄だ。その特徴の1つが電車の色。地下鉄乗り入れ用車両以外のほとんどの電車があずき色(マルーン)の塗装である。しかし、同じ色でも製造された時期や形式によって形が異なって、興味深い。その中でも珍しい境遇となっている電車が8300系だ。なんと、この車両の所有者は阪急ではなく、日本から約1万3,000kmも離れたカリブ海の楽園、ケイマン諸島の会社だという。

阪急電鉄京都線で活躍中の8300系電車

阪急電鉄8300系電車は1989年から製造された電車だ。前年に誕生した8000系の姉妹車で、神戸線と宝塚線用が8000系、京都線用が8300系である。ちなみに阪急電鉄では京都線用の電車に300番台に与えている。これは神戸線・宝塚線と京都線では開業の経緯が異なり、設備が若干異なっていたという歴史に起因するとのことだ。

8000系の主な特徴として、阪急電鉄で初めてVVVFインバータ制御を採用した点が挙げられる。VVVFインバータ制御は、簡単に言うと交流式モーターの回転数を細かく制御する仕組みで、消費電力の効率化やスムーズな加速を実現するという。外観上の特徴としては、運転台の窓の高さを中央と左右で変えている点。このデザインは、8000系以降の阪急車両に継承されている。8300系も8000系の特徴を受け継いでおり、当初は京都線の急行として主に使われていた。現在は、ほぼすべての種別に使われており、大阪市営地下鉄堺筋線にも乗り入れる。

8300系は阪急電鉄がグループ会社のアルナ工機(現: アルナ車両)に発注された。所有者も当初は阪急電鉄。ところが、2002年に阪急電鉄は8300系全84両をケイマン諸島の「エスアンドエイチレイルウェイ」に売却した。ただし車両自体はそのまま阪急電鉄が使用し、「エスアンドエイチレイルウェイ」にリース料金を支払っているという。「エスアンドエイチレイルウェイ」は会社名に「レイルウェイ」とあるが、鉄道会社ではなく鉄道車両のリース会社である。

阪急電鉄が平成14年3月29日に発表した報道資料によると、車両を売却(譲渡)した理由は「資産保有形態を見直し」だった。鉄道路線の運営事業に専念するため、保有資産を分離して流動化するという。簡単に言うと、車両の売却によって一時的に大きな資金を調達し、長期にわたってリース料金として返していく。車両は阪急の固定資産ではなくなるので、阪急電鉄は減価償却処理が不要となり、リース料金の全額を経費に参入できる。つまり、資金調達と節税を実現できるというわけだ。

では、車両の譲渡、リース会社がなぜ日本の会社ではなく「エスアンドエイチレイルウェイ」だったのだろうか。これは「エスアンドエイチレイルウェイ」が所在するケイマン諸島の制度に理由がある。ケイマン諸島は英国領だが自治権があり、法人税や所得税の制度がない。いわゆる「タックスヘイブン」である。だからケイマン諸島は保険業や投資信託など、金融関連の会社が多いという。カリブ海の中央にあり、観光ではスキューバダイビングの名所としても知られているとのこと。南国の楽園でもあり、経済の楽園でもあるのだ。そういった状況が、阪急電鉄にも「エスアンドエイチレイルウェイ」にも都合が良かったと思われる。

実は、鉄道車両をリース契約するという形態は、阪急8300系だけではない。日本では山形新幹線の初代車両400系も「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」という第三セクターが保有し、JR東日本が借用していた。また、相模鉄道の10000系車両の一部もリース契約となっている。こちらは証券会社が投資案件として販売するという方式で「一般投資家が車両代金の証券として購入し、相模鉄道が支払うリース料金から利息を受け取る」とのこと。とはいえ、まだまだ鉄道会社では車両のリース契約は珍しい。ちなみに、航空会社では機材のリースが広く行われているという。

余談だが、2011年5月現在、阪急電車を舞台とした映画『阪急電車』とカリブ海を舞台としたハリウッド映画『パイレーツ・オブ・カリビアン / 命の泉』が同じ時期に公開中だ。どちらも8300系とは関係ないが、阪急電鉄とカリブ海にはちょっとした縁があるような気が……しないな、やっぱり。