大江戸線は全線が地下区間、しかも深いことから「ゆめもぐら」なんていう路線名も一時は候補となっていたという。そんな大江戸線に月島駅から乗ろうとしたら意外と浅く、地下1階の改札階の真下だった。大江戸線は車体が小さくトンネルも小さいため、月島駅の場合は改札階からホームまでの階段は短く、浅い印象がさらに強くなる。一方、東京メトロ有楽町線の月島駅は大江戸線よりずっと深い。エレベーターやエスカレーターがあるので不便ではないが、大江戸線より深い位置にある。

実はこれ、とても珍しいパターンである。「地下鉄は新しい路線のほうが深い」という法則とは逆で、新しい大江戸線のほうが浅い位置にあるからだ。

大江戸線月島駅ホーム

鉄道に限らず、あらゆる陸上交通設備には「後から作られたものが地上より遠い」という法則がある。新幹線はほとんどの区間で在来線の上を走るし、大抵の高速道路は一般道路より高いところを通る。地下鉄も同じで、古い路線は地表に近く、新しい路線ほど深い。ところが、東京・中央区にある月島駅はこの関係が逆で、先にできた地下鉄有楽町線が深く、新しくできた大江戸線のほうが浅い。これはどういう理由だろうか。なぜ逆転したのだろう。

月島駅は1988年に営団地下鉄(現東京メトロ)有楽町線が開通した。都営地下鉄大江戸線の月島駅開業はその12年後、2000年だ。地下鉄大江戸線は都営地下鉄で最も新しい路線で、全線開業時期で比較すると東京メトロの南北線とほぼ同じ時期だ。副都心線の次に新しい路線と言える。

仮説: 海に囲まれた地形と大江戸線のパワー

なぜ月島駅では有楽町線が深いままで、大江戸線が浅い場所にあるのだろうか。筆者は当初、これは地形と電車の性能に関係があると考えた。

「地下鉄の法則」にはもう1つ、「乗客が利用しやすいように、なるべく駅を地上に近づける」がある。どんな地下鉄路線も、特別な事情がない限りは地表に近づけるように建設される。他の地中埋設物や地下鉄路線と交差する時にやむにやまれず"潜る"のであって、潜り終わったら上がろうとする。高架線路も立体交差の必要がなければ地表におりる。それと同じだ。

なので、地下鉄路線は常に同じ深度を維持しているわけではない。地下鉄に乗って、後部の運転台から線路を眺めると、頻繁にアップダウンを繰り返しているのがわかる。これは有楽町線も大江戸線も同じで、好んで深く潜っているわけではないのだ。

さて、地図を見てみるると……月島エリアは周辺を海に囲まれた細長い埋め立て地だ。有楽町線は長方形の島の短いほうを通る。だから駅の両側ですぐに運河を潜る必要があり、地上へ向かう勾配区間を作る余裕がなかった。だから深い位置を維持して駅を作った。

一方、大江戸線も運河を潜るとはいえ、月島の長辺側を通るので地上へ向かう勾配線路を作ることができた。大江戸線は推進方式にリニアモーターを採用している。この方式は勾配が得意で、最急勾配は60‰(パーミル)まで、つまり1kmあたり60mの高低差まで対応できる。なので、地表近くまで上ることが可能で、浅い位置に駅を作ったた……のではないか。

実は順番通りだった……!?

しかし、この仮説は間違っていた。月島周辺の運河の水深を調べると、意外にも浅く3~5mほど。有楽町線が運河の下を通るとはいえ、地下20m以下まで深くする必要はなかったといえる。そして、大江戸線が急勾配をつくるほどの深さでもなかった。つまり、定石通りに有楽町線を地表近くにつくり、大江戸線をその下につくってもよかったわけだ。

それでは、どうして有楽町線のほうが深いのだろうか。その理由を示す文献を見つけた。東京メトロの前身、帝都高速度交通営団が発行した『東京地下鉄道有楽町線建設史』である。

東京地下鉄道有楽町線建設史(建設産業図書館収蔵)

同書を読んでいくと、月島駅は大江戸線が先に計画されており、有楽町線が後から計画されたということがわかる。有楽町線と大江戸線は、共に1968(昭和43)年の都市交通審議会答申第10号に8号線、12号線として記載された路線だ。しかしこの時、有楽町線(8号線)は都心部から明石町(現在の新富町駅)までだった。一方、大江戸線(12号線)は新宿から月島を経由して麻布方面に向かう路線と規定されていた。有楽町線の月島経由は、この4年後に策定された都市交通審議会答申第15号で規定された。

建設の順番は逆だったが、計画の順番は大江戸線が先。だから月島駅は大江戸線のほうが地表に近く、有楽町線は大江戸線を避けるために深く作られたというわけだ。