大手私鉄の多くの路線にあって、JR各社の路線でほとんど見かけない列車種別がある。「急行」だ。JRの定期急行列車はたった2種類しかない。青森 - 札幌間の「はまなす」と、大阪 - 新潟間の「きたぐに」だけだ。昭和40年代、当時の国鉄の幹線には必ず存在した急行列車は、なぜほとんど消えてしまったのだろう。

青森と札幌を結ぶ急行「はまなす」。夜行列車で寝台車を連結している

現在でもJRの列車の種類は「普通列車」「急行列車」「特急列車」の3種類が基本だ。これは運賃・料金制度で明確に区別されている。「普通列車」は運賃だけで利用できる列車で、「快速」も「普通列車」に分類される。「急行列車」は急行料金が必要な列車。「特急列車」は特別急行料金が必要な列車である。

全国を網羅した急行列車

「急行列車」は、各駅停車よりも早く目的地に到着できるサービスを提供するために、1894年に山陽鉄道(現在の山陽本線)が始めた種別である。これを見習って官営鉄道も東海道本線で急行運転を開始した。全国に鉄道路線網が伸びていくと、長距離を速く移動するためのサービスが必要だと考えられ、1906年には急行列車の上位種別として「最急行」が設定される。その速達料金として「急行料金」を徴収した。この名残で、官営鉄道から国鉄へ、そしてJRグループへと急行料金が引き継がれた。

その後に登場した特別急行は、本当に「特別」な存在で、一部の幹線しか走らなかった。一方、急行列車は全国の幹線に導入された。大都市間を結ぶ急行列車だけではなく、ローカル線に直通する急行列車も登場した。また、急行列車を補完する列車として「準急行」も数多く設定された。昭和30年代から40年代にかけて、国鉄の増収策として準急が急行に格上げされると、急行列車は最盛期を迎えた。

関東では、東京 - 静岡間の「東海」、東京 - 伊東(伊豆急下田)間の「伊豆」、東京と房総方面を結ぶ「内房」「外房」、上野と信越線方面を結ぶ「信州」、上野と仙台を結ぶ「まつしま」、東京 - 大阪間の「なにわ」、「せっつ」などがあった。関西では京都 - 鳥羽間の「志摩」、名古屋 - 大阪間の「比叡」、大阪 - 呉間の「安芸」、大阪 - 宇野間の「鷲羽」、京都 - 大社間の「おき」など。夜行列車も多く、東京 - 大阪間の「銀河」、上野 - 青森間の「十和田」「八甲田」「津軽」などがあった。関東、関西と九州方面を結ぶ列車も多数設定。北海道や四国も、鉄道連絡船と接続する急行列車がいくつも登場した。全国をあまねく網羅する鉄道の速達サービスは「急行」が担っていたと言っていいだろう。

快速列車の登場と特急の大衆化の波間に消えた

しかし、国鉄時代末期に急行列車は次々と姿を消していった。その第一の理由は特急列車の増発だった。それまで特急列車といえば、東海道、山陽本線や東北本線など、主要幹線の希少な列車だった。しかし、新幹線の開業が相次ぐと、在来線の特急車両が余剰となった。さらに北陸本線、羽越本線の電化工事が完成して、全国の主要都市を結ぶ特急列車が続々と誕生。この流れの中で、急行列車は特急列車へと「格上げ」されていく。

1972年には、毎時00分、30分などというわかりやすい発車時刻で自由席を連結した「エル特急」が誕生し、特急列車が庶民に浸透していった。高度成長期以降、人々の生活が豊かになり、同じ路線でも急行より設備の良い特急を好む乗客が増加。その結果、急行は人気がなくなっていった。さらに、大手私鉄が国鉄に対抗して別途料金不要の「急行」を登場させたため、「急行はタダ」というイメージがつき、「急行料金」を取りづらかったという事情もありそうだ。

例えば、東京と伊豆を結ぶ特急「あまぎ」は人気があった。しかし同じ区間を走る急行「伊豆」の乗客は減少。そこで、急行「伊豆」を特急に格上げし、特急「あまぎ」と統合し、新しい愛称「踊り子」が与えられた。その他にも、いままで急行しか運転されなかった中距離区間にも特急用車両が導入され、急行は特急に格上げされた。東京から房総方面の急行「内房」は特急「さざなみ」に、急行「外房」は特急「わかしお」に格上げとなった。上野 - 前橋・水上方面の近距離には、特例で安い特急料金を設定した新特急「あかぎ」「水上」が誕生した。これは赤字が続く国鉄にとって、急行料金から特急料金への増収という期待もあったという。

一方、大都市圏ではライバルの私鉄との競争により、普通列車の高速化が行われた。関東では中央線に「特別快速」が登場し、関西では「新快速」が誕生した。これらは、並行する私鉄が料金不要の急行や特急を運行しているため、対抗手段だった。国鉄では急行料金制度があるため、料金無料の列車に急行の呼称は使い辛く、一時期は料金不要の「急行電車」という種別もあったようだが、紛らわしいため「快速」「新快速」などに統合されている。これら新快速や特別快速は従来の急行より速く、中には急行を追い越す列車もあった。そのため急行列車の存在がますます中途半端になっていった。ローカル線の利用者は割高な急行を敬遠する傾向もあったたため、急行列車を快速列車とする動きも多かった。こうして国鉄時代から急行列車は次々と姿を消し、JR化後も急行列車の淘汰が進んだ。

「みなし急行」が増えている?

現在、JRの定期急行列車は冒頭に触れた「はまなす」「きたぐに」のみ。これは「特急にすると料金が高くなって利用されにくい。しかし運賃だけではなく、もう少し料金をいただきたい」という意味合いのようだ。SL列車やお座敷列車など、イベント列車でも、同様の意味合いで臨時急行列車として運行される列車がある。

急行ではないが、急行に近い列車は存在している。例えば大都市近郊で運行されている「通勤ライナー」だ。分類上は快速列車になっているが、着席を保証する定員制となっているため、乗車するには「ライナー券」を購入する必要がある。各地のライナー券の料金は急行料金に近い価格帯。また、全席指定席のSL列車も快速列車の扱いだが、乗車には必ず指定席券が必要で、これも急行券とほぼ同額の料金になっている。

JRも大手私鉄にならって急行料金を廃止し、快速を急行と改称とすれば、並行する私鉄と比較してわかりやすいと思う。あるいは急行料金を残し、速度が遅く設備の古い近距離特急を急行に格下げすれば、オトクな列車として利用者が増えそうな気もする。ちなみにJRの急行料金は50kmまで530円。100kmまで730円。JR東日本の自由席B特急料金(近距離に設定)のは50kmまで500円、100kmまで900円。なんと、50km未満の区間では、急行料金よりB特急料金のほうが安いのだ。それでも急行に格下げせずに特急とし、「B特急」という料金体系を作るあたりに、「特急」という種別のブランド力を感じさせる。