某日の夜、京急電鉄の品川駅で都心へ向かう電車を待っていた。蒲田方面からやってきた電車は都営地下鉄の5300形。運転室下の窓に東京都を示す銀杏のマークがある。「都営地下鉄の電車だから、品川駅の次の泉岳寺から都営浅草線を走るだろう」と思った。ところが行き先と種別は「エアポート急行 品川行」だった。「当駅止まり」である。

案内放送は「この電車にはご乗車いただけません」。乗客がすべて降りると、空っぽの電車が走り去る。地下鉄には入らず、そのまま地上の引き上げ設備に入ってしまった。この電車は品川で引き返し、また京急電鉄の下り電車になった。もう少し先に自社の路線があるけれど帰らない。残業続きで家に帰ることのできないサラリーマンみたいである。

都営地下鉄5300形。「羽田空港発品川止まり」京急線内しか走らない

自社に戻らず京急の引き上げ線に入る

そのまま電車を待っていたら、品川止まりの各駅停車の到着に続き、京成電鉄所属の電車がやってきた。京成電鉄は都営地下鉄のトンネルの向こう側である。これに乗れば都営浅草線に直通できるはず……だけど、行き先表示を見てまたびっくり。「エアポート急行 泉岳寺行」であった。泉岳寺駅は品川駅のひとつ先。都営浅草線と京急電鉄の境界の駅である。ひと駅進むだけでも……と乗ってみたら、泉岳寺駅で乗客は全員降りて、空っぽの電車が引き上げ線に入った。あの電車も京成電鉄には帰らず、折り返して京急電鉄に戻るようだ。

京成電鉄の3700形。泉岳寺止まりである

走行距離の精算をしている

ダイヤが混乱しているわけでもないのに乗り入れ先の路線から戻らない電車。実は他の鉄道路線でも見かける光景だ。電車の形式や所属が分からなければ気にならないだろうが、分かる人にとっては「なんで? 」と思うだろう。

筆者は以前、京浜急行の赤い電車が、都営浅草線で都心から泉岳寺に到着した後、京浜急行の路線がある品川ではなく、都営浅草線の馬込駅に向かうところも見た。「赤い電車は京急だと思ったのに、乗っていたら馬込に行ってしまった」という可能性もあるわけで、これだから都会の電車は油断できない。

この現象は「鉄道会社間で車両の貸し借りを精算する」場合に起きる。

相互乗り入れをしている鉄道会社は、自社線内を他社の車両が走る場合について「他社の電車をお借りして営業します」という扱いになる。自社の車両が他社に直通した場合は「乗り入れ相手の会社に車両を貸し出した」として扱う。相互乗り入れをしている鉄道会社は、常にお互いの車両をレンタルしているという考え方である。

このレンタル料は精算が行われる。お互いのレンタル料を計算し、差額を相手の会社に支払う仕組みだ。そうしないと、路線距離が長く、運行頻度の高い会社のほうが相手の会社の電車をたくさん使うわけで、不公平になってしまうからだ。しかし、毎日のように行われている相互乗り入れで、いちいち現金をやり取りしては面倒だ。そもそも、鉄道会社ごとに電力の調達や保線のコストも異なるわけで、お金には換算できない部分もある。

そこで、「お互いの鉄道車両について、延べ走行距離を同じにしましょう」という妙案が生まれた。お互いに、乗り入れる車両の数と乗り入れる路線の延長を乗じた数値を一致させようというわけだ。列車ダイヤを作るときに、その走行距離の調整を見込んで車両の運用を設定しておく。そのために、乗り入れ先だけを往復する運用があったり、通常の乗り入れ先の区間より長い距離を走ったりする運用が存在する。

電車に乗るときは、行き先表示に注意しよう。鉄道車両の所属に惑わされないように。