JTBパブリッシングが発行する『JTB時刻表』が1000号を達成した。1924(大正14)年に創刊し、85年もかけて達成した1000号。しかし、それまでの道のりは平坦で順調なときばかりではなかったようだ。戦中戦後の混乱期は言うまでもなく、最近も通し番号に不思議なところがある。そんなJTB時刻表の歴史の謎を探ってみよう。

通巻870号は時刻表ではなかった

JTB時刻表2009年5月号(1000号)の巻頭カラーページ「鉄道史の語り部"時刻表のあゆみ"後編」を開くと、こんな記述がある。

『平成10年(1998)――(中略)7月1日「るるぶじゃぱん 1998年夏」を「JTB時刻表7月号臨時増刊」(通巻870号)として発行』

つまり、1,000号までの歴史を持つJTB時刻表のうち、唯一、870号だけは時刻表ではなく、旅行雑誌だったらしい。ちょっとビックリだが、出版業界に詳しい人ならこの理由は想像できるはず。新雑誌を創刊する場合、既存の雑誌の臨時増刊号としてテスト版のムックを発行するという方式は、出版業界ではごく当たり前なのだ。

JTB時刻表998号、999号、1000号。999号の表紙に銀河鉄道999というアイデアは話題になった。しかし、2008年にエンターブレイン発行のゲーム専門週刊誌『ファミ通』が999号で先に実施した

これは出版取次制度と関係がある。日本の出版取次店は雑誌の発行を管理するために、雑誌コードを発行して管理している。ところが雑誌コードが5桁しかなく、そのうち月刊誌の割合はもっと少ない。そこで出版社は、まずは「自社の既存雑誌の臨時増刊号」として実績を作り、「定期刊行物として継続できる」と判断したものについて雑誌コードを取得する。ある鉄道専門出版社では、季刊誌を同社の月刊誌と通巻させていた。その理由も、おそらく雑誌コードが同じだったためだろう。

つまり、JTBパブリッシング(当時は日本交通公社出版局)は『るるぶじゃぱん』という定期雑誌を発行する前に、時刻表の雑誌コードを使ってテスト版のムックを発行したわけだ。出版社としては当然の戦略で、時刻表の通巻数を水増しするためにズルをしたわけではない。その後、『るるぶじゃぱん』はちゃんと月刊誌として創刊された(その後2006年に休刊)。

もっとも、この1号加算のおかげで、JTB時刻表は2001年1月号でピッタリ900号となった。また、この月は日本交通公社がジェイティービーに社名変更した記念の月でもある。そのせいか、未だに「キリ番合わせではないか」と時刻表ファンに囁かれているらしい。

通巻519号は2回発行された

「せっかく1,000号を祝っているのに、実質的には999号だったなんて……」とがっかりするのはまだ早い。同じく1000号の巻頭カラーページにはこんな記述もある。

『昭和44年(1969)――(中略)5月号は異なる2冊が発行された』

というわけで、1969年5月号もワケアリの様子。理由は上で(中略)とされた部分にある。この号は国鉄(現JR)の運賃改定が予定されていた。改定内容は普通運賃の15%値上げ、等級制を廃止してグリーン車を設置するなどだった。しかし当時の国鉄は運賃改定に国会の承認が必要で、その審議が大幅に遅れた。時刻表の印刷締め切り日までに決議されなかったため、予定していた運賃改定版の時刻表を出す前に、急遽、旧運賃版の時刻表も発行した。つまり、1969年5月号(通巻519号)は2回も発行されたのである。

1冊抜けて、1冊ダブり。見事に帳尻が合って1000号。めでたし、めでたし、というわけだ。