できたばかりのアニメーション制作会社の処女作が、アカデミー賞にノミネートされた――そんな鮮烈な話題で一躍注目を浴びたのが、堤大介氏とロバート・コンドウ氏の共同監督によるオリジナル短編アニメーション映画『ダム・キーパー』。『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』のアートディレクターをつとめたふたりが、ピクサーから独立してはじめて発表した作品だった。

まるでこの展開自体がアニメの中の出来事であるかのような、ドラマチックなエピソード。それに惹かれて、同賞の授賞式開催地の米国、堤監督の母国・日本など各国のメディアが注目(もちろんそこにマイナビニュースも含まれる)。今回は、活動の拠点であるアメリカを離れ来日していた堤大介監督に、ロングインタビューを敢行。堤氏が絵の道に進んだきっかけから、世界に名だたるピクサーに在籍しながら独立した理由、日本のアニメーション制作会社と協業する理由などについて聞いていく。

全3回に分けてお届けする本インタビュー。第2回は、第1回で経緯を聞いたピクサーからの独立後、堤氏が『ダム・キーパー』のアカデミー賞ノミネートを通じて感じた変化と、日本の(多くの)アニメ制作とは異なる同作のアニメ制作フローなどについて語っていただいた。

――ピクサーから独立して立ち上げた堤さん・ロバートさんの「家」たる「トンコハウス」の処女作「ダム・キーパー」は、ディズニーの作品とならんでアカデミー賞にノミネートされる快挙となりました。おしくも受賞こそ逃しましたが、ノミネートによって起こった状況の変化にはどんなものがありましたか?

堤大介氏

ノミネートされたことでいろいろな方と出会えたのは大きかったです。作品を見てもらうきっかけになったり、今までは接触が難しかった人が耳を傾けてくれるようになったり、そういう部分が大きいです。

ただ、ノミネートされたことによって作品の価値が上がるはずがないのに、上がったように錯覚しそうになることもあって、それはすごく危険なことだと感じました。作品は作品として独立して存在しているわけですが、その一方で、作品は他人の評価があってこそ、という面もあります。今回、アカデミー賞を逃したことは、僕たちにとってプラスになると思います。

――「アカデミー賞を逃して良かった」ということですか?

本当にそれは思います、自分たちは何て幸運なんだろうと。ノミネートされるラッキーさはもちろん素晴らしいのですが、結果として「勝てなかった」のは本当に運が良いなと思います。今だから言えるのですが、ノミネートされた段階でも、「勝たない方がいい」という考えは、ふたりの間だけで共有していました。

もちろん、ノミネートされた時はクルーのみんなやSNSでフォローしてくれているサポーターの方々など、多くの人が応援してくれて、そのことは本当に嬉しく、励みになりました。そういった応援のありがたさとは別のところで、評価が一人歩きすることの危険はひしひしと感じていて、こっそり二人だけで、「勘違い」しないよう、気持ちを確認しあっていました。絶妙なところでアカデミー賞の夢が終わってくれて、本当に良かったです。

『ダム・キーパー』プロダクション・スカルプチャー

――ここからは「ダム・キーパー」の制作についてお伺いします。本作は平面表現のアニメーションですが、メイキング映像を見ると、日本国内のアニメーション制作で行われている「原画の間を動画とつないで動きをつける」制作方法とは異なるように見受けられました。どのようなフローで進行されていったのか、ご説明いただけると助かります。

まさに全く違うと思います。日本に限らず、往来の手書きアニメーションというのは、線画でアニメーションを作り、その線を残したまま、多くの場合色をフラットにつけていきます。「線」が主になっている手法です。

ですが、ダム・キーパーの場合は線を主に置いていないんです。僕もロバートも画風が油絵描きなので、「線」でなく「面」で表す方法を採っています。光を表す時、実際に世の中は面で成り立っていて、線はそれを抽象化したものです。

『ダム・キーパー』でも線画のアニメーションは作りましたが、それは参加してくれたアニメーターが線で描く手法を採る方だったから、という理由で、それは動きのための資料という感じです。アニメーションの動きは線で表すのですが、最終的には全部それを面に変えて、フレームごとにPhotoshopでイラストを描いていきました。

『ダム・キーパー』場面カット

僕たちの制作フローでは、アニメーターの方がキャラクターの動きをつけて、僕らペイントをした人間は線画の上の色を塗るだけでなく、光の動きをつけていきました。そういったところで、『ダム・キーパー』はユニークな性質があったと言えるかとおもいます。もちろん、アカデミー賞受賞作の『木を植えた男』などで知られる、僕がとても尊敬しているクリエイターのフレドリック・バックさんなど、こうした表現を選択した方は多くいらっしゃいますが。

ともあれ、僕らが選んだ手法は、キャラクターの動きと同じくらい、光の動きを大切にするものでした。言ってしまえば、光もひとつのキャラクターとして作った感じです。そこが大きいとおもいます。

――制作の最初の段階から、ライティングを考えて構成されていったのでしょうか? はい、そうです。僕がピクサーにいたころにやっていたのは、まさしく光の演出というのを制作の初期に設計することでした。一方、ロバートはセットデザインの人ですが、光にも興味を持っている人で。ふたりとも、いわば映画を0の状態からビジュアル化する仕事をしていました。

ピクサーでは、CGでアニメーションを作っていく前に、どういう見方になるのか。僕は光、ロバートはセットデザインなど、かなり明確にビジュアライズしていく役割を担っていました。そんな僕らだったから、『ダム・キーパー』というオリジナルのアニメーションを、いちから創るということがやりやすかったというのはあったとおもいます。もし光や色が後付けになってしまっていたら、この作品はうまくいかなかったかもしれませんね。最初からその光をキャラのひとつとして作っていかないと、やはり後付けに見えてしまいますから。

――アニメの「原画」を描く作業はどのソフトを使って進めていかれましたか?

Photoshopですね。1フレームがPhotoshopのファイル一つに相当していて、1枚1枚ファイルを開けて、描いて、次のファイルを開いて…という途方もない作業をしました。

――ものすごい手間がかかっていますね。

面倒くさいことをよくやったなと思います。当然僕らもたくさん描きましたが、若いペインターたちが本当に頑張ってくれました。若い彼らはもちろん経験も少ないですし、最初はなかなか描けないものです。ですが、人間というのは極限に追い込まれると思いもかけない成長を遂げるもので、最後はみんな、実際のアニメーションに耐えうるクオリティーの原画を描いてくれたんです。

そうした経験を考えると、もしかしたら、「才能」というものはそんなに関係ないのかなと、思わされますね。がむしゃらにもがき続けることで成長できるんだと。

――端的に言ってしまえば、やればできるということでしょうか。

やればできるというと、やったらできるみたいじゃないですか。どちらかというと、やってだめでもいいんだよ、という事に近いです。やってダメだったら、それを理由にやめてしまうのではなくて、できるまでやろうよ、と言いたいです。

みんな、できないことは怖いじゃないですか。「できないという時点」でみんな諦めてしまったり、辞めてしまおうと思ったりする。だから、好きなことなら、やってみてダメでも、辞める必要なんかない。好きなんだからもう一度やればいいじゃない、と。だって諦めてしまったら、そこですべて終わってしまいますから。

失敗は僕だって嫌です。でも、失敗が嫌でも、好きなことだからやり続けるということができれば、確実にみんな上達するので。

『ダム・キーパー』コンセプトアート

――『ダム・キーパー』の制作には、多くの人が関わったのでしょうか?

コアのメンバーは合計30人くらいです。最終的には全部で70人くらいのスタッフに手伝ってもらいました。特定の人に長期間携わってもらうことはできなかったので、本当に一部分をやってくださいというふうにお願いをしていったら、かなりの人数になりました。

――Photoshopで原画を描いたとお伺いしましたが、アナログ画材で描いてスキャンする、あるいは最初からデジタル環境で描いていったのか、大変初歩的なところですがお伺いしたいです。

過程の上で鉛筆を使った部分もありますが、僕もロバートも最初からPhotoshopで描いていくタイプなんです。Photoshopを長く使っていると、手になじんだ絵の具のように使えるようになるんです。

――まるでパステルで描いたような、暖かみのあるタッチが印象的な作品です。こうした雰囲気はどうやって実現されたのでしょうか?

アナログタッチというのは、アナログっぽくしようとしているというよりは、アナログで描く自分の絵になるくらいPhotoshopになれてきたという方が近いと思っています。仕事でPhotoshopはすごく使うので。

――堤さんは本作で監督を務めていらっしゃいますが、その一方でアートディレクターの経験もありアートボードも描かれるなど、「やること」は多岐にわたっていたのではないかと思われます。現場ではどのようなスタンスで指揮をとっていったのでしょうか。

やっぱり、自分でやってしまうタイプでしょうか。ですが、チームで作品を作り上げる以上、人を育てるということを意識しなくちゃいけないと、僕もロバートも気をつけて、課題としているつもりです。

自分でやってしまうのが、ある種「簡単」ではあるのですが、そうしてしまうと、後進の人たちが手を動かせなくなってしまうという弊害もあります。そこはちゃんとバランスを取らないといけないと考えています。

でも、僕らも絵を描くことが大好きなので、まったく絵を描かないというのはもったいないというか。自分で描くことは続けていくとおもいます。その一方で、人を育てるのは本当に大切なことなので。人を育てつつ、自分も描いていければ。

取材協力:ほぼ日刊イトイ新聞
撮影協力:音と言葉“ヘイデンブックス”(HADEN BOOKS)