数々の華々しい成功に彩られている宇宙開発だが、その栄光の影には、失敗の歴史が連なっている。多くの人から望まれるもさまざまな事情により実現しなかったもの。あるいはごく少数からしか望まれず、消えるべくして消えたもの……。この連載では、そんな宇宙開発の"影"の歴史を振り返っていく。


今回は、既存のロケットにやや強引な改良を施して打ち上げ能力を2倍に増やしたものの、打ち上げ失敗を繰り返し、やがて居場所も存在価値もなくなってしまった米ボーイングのロケット「デルタIII」を取り上げる。

デルタIIIロケット (C) Boeing

時代の要求と将来への不安の中で

1980年から1990年にかけて、人工衛星、とくに通信衛星の需要は飛躍的に増え、同時に衛星そのものの大きさ・質量も拡大した。世界各国の主力ロケットはこの需要の変化に合わせ、そしてさらに将来に向けて、既存のロケットの能力に高める改良を施したり、新しいロケットを造ったりといった必要に迫られた。

たとえば欧州のアリアンスペースは、1979年に開発した「アリアン1」ロケットと、その改良型である「アリアン2」と「アリアン3」をさらに進化させ、強力なブースターを装着するなどした「アリアン4」ロケットを開発した。アリアン1の静止トランスファー軌道への打ち上げ能力は2トン足らずだったが、アリアン4では4.3トンと、2倍以上にまで能力が向上した。このアリアン4はその後、商業打ち上げ市場で大成功を収め、アリアンスペースを一躍、世界で最も成功したロケット会社へ押し上げた。

一方日本でも、1986年に開発した「H-I」ロケットは静止トランスファー軌道に1.1トンの打ち上げ能力しかなく、世界の需要はもとより、国内の需要すら満たせなくなることは目に見えていた。ただ、欧州とは違い、当時の日本は液体ロケットの国産化に成功していなかったこともあり、既存のロケットの改良ではなく、国産技術で打ち上げ能力の大きなロケットを新規開発することを決定。そして1994年に誕生したのが、静止トランスファー軌道へ約4トンの打ち上げ能力をもつ「H-II」ロケットである。

アリアン4ロケット (C) ESA

H-IIロケット (C) NASDA/JAXA

そしてもうひとつ、同じような変革に迫られたロケットがあった。米国を代表するロケットのひとつである「デルタ」である。

デルタ・ロケットは準中距離弾道ミサイル「ソー」を原型として開発され、1960年に初めて打ち上げられた「ソー・デルタ」というロケットがその祖となっている。その後、大小さまざまな改良が加えられ、おびただしい数の派生型が造られつつ、現在まで運用されている。その技術は日本にも伝授され、N-I、N-II、そしてH-Iに使われた。

ただ、米国は1970年代から、1981年に登場した再使用宇宙往還機の「スペース・シャトル」に米国の宇宙輸送をすべて委ねる計画をもっており、低コストなシャトルにかわり、デルタをはじめとする高コストな使い捨てロケットは用済みになるはずだった。ところが、スペース・シャトルのコストが思ったほど低くならず、さらに1986年には「チャレンジャー」の事故が発生した影響もあり、米国は再び、使い捨てロケットを活用することになった。

そしてデルタ・ロケットの再生産が始まり、同時に打ち上げ能力を高める改良が加えられ、そして1989年、デルタの最新型となる「デルタII」が完成した。

しかし、デルタIIの静止トランスファー軌道への打ち上げ能力は約1.8トンしかなかった。前述したアリアンや日本のロケットの例と比べてもわかるように、当時からすでに非力さは否めず、さらに今後増加していく衛星の質量と需要に対応するためには、より大きな打ち上げ能力のロケットが必要なことは明白だった。

そこで1995年、デルタ・ロケットの開発と運用を担うマクダネル・ダグラスは、デルタIIを基に、打ち上げ能力を強化したロケット、「デルタIII」の開発に着手した。

ソー・デルタ・ロケット (C) USAF

デルタIIロケット (C) NASA

デルタIIIロケット

デルタIIIは、デルタIIの約2倍の打ち上げ能力をもたせるのと同時に、あまりコストをかけないことが求められた。そのため、ロケットの部品から発射台まで、できる限りデルタIIのものが流用されている。

まず第1段は、デルタIIの液体酸素タンクと、「RS-27A」ロケット・エンジンを流用。燃料のケロシン・タンクの容積は同じものの、直径を2.44mから4mに増やし、その分全長を短くしている。つまり第1段は太さが途中で大きく変わる、ロケットとしては不思議な形をしている。

第1段の周囲には、固体ロケット・ブースター「GEM-46」が9基装備される。GEM-46はデルタIIに使われている固体ロケット・ブースター「GEM-40」から、直径と全長を増し、能力を強化したもので、9基中6基は離昇時に点火され、残り3基は飛行中に空中点火される。

一方で、第2段は新たに開発された。機体の直径は4mで、「RL10B-2」という米国で長年使われている、高性能で信頼性の高いロケット・エンジンの最新型を装備している。

人工衛星を覆う衛星フェアリングも、第2段などと同じ直径4mのものが新たに開発され、直径3mだったデルタIIのものと比べ、より大きな衛星を搭載できるようになった。

このようにデルタIIIの全体は、上半分は直径4mで、下半分の第1段の途中から急に2.44mに細くなるという、ロケットとしてはかなり変わった形をしている。とくに第1段の直径が途中で変わるというのはほかのロケットにはなかなかないところだが、これには理由がある。

通常、ロケットの打ち上げ能力が増えれば、その分機体も大きくなる。しかし前述のように、デルタIIIはコストを抑えるためにデルタIIと発射施設を共有することが求められた。つまりデルタIIIは、デルタIIよりも打ち上げ能力を向上させつつも、その全長をデルタIIと同じに抑えなければならないという難題を解決する必要があった。そこで第1段の燃料タンクを太くすることで、燃料搭載量はそのままに、全長を短くしたのである。

デルタIIIロケット (C) Boeing

デルタIIIとデルタIIの共通点と相違点 (C) Boeing

とはいえ、頭でっかちで今にも倒れそうな、そのいびつな姿は、さながらステロイドでドーピングしたスポーツ選手のようでもある。

しかし、ドーピングの効果は絶大で、デルタIIの静止トランスファー軌道への打ち上げ能力は1.8トンに過ぎなかったが、デルタIIIでは2倍以上の3.8トンにまで向上し、「デルタIIの2倍の打ち上げ能力」という目標は達成された。

マクダネル・ダグラスは、デルタIIとデルタIIIを併用することで、当時の、そして近い将来の人工衛星の需要の大半に応えられると見ていた。さらに部品の多くを共有していることから、生産拠点をシェアできるうえに、両ロケットのコストダウンや信頼性向上が図れることも期待された。

ちなみに、デルタIIIの第1段のケロシン・タンクと第2段の液体水素タンクは、日本の三菱重工が製造を担当した。三菱重工とマクダネル・ダグラス(後のボーイング)との関係はN-Iロケットのころから脈々と続いており、良好な関係を維持していた。それがこの米国の主力ロケットの主要部品を日本が輸出するという、画期的な出来事につながったのである。

またこれと同時、言い換えれば引き換えに、マクダネル・ダグラスは三菱重工の「H-IIA」ロケットの第2段液体酸素タンクと液体水素タンク・ドームの製造を担当することになった。両社の関係はその後も続き、後に開発されるボーイング製「デルタIV」ロケットのエンジンのバルブや熱交換器、第2段液体水素タンクの製造も三菱重工が手がけることになり、また新しいエンジンの共同開発なども行われた。

デルタIIIの第1段機体。青緑の細い液体酸素タンクの上に、白く太い液体燃料タンクがある (C) Boeing

デルタIIIの第1段機体の周囲には、9基の固体ロケット・ブースターが装備される (C) Boeing

死屍累々の打ち上げ

デルタIIIは、実質デルタIIの改良型であることから開発も早く、1998年には完成した。そして同年8月、フロリダ州のケイプ・カナヴェラル空軍ステーションの第17B発射台に設置された。その先端には、米国のパンナムサット(現インテルサット)の通信衛星「ギャラクシーX」が搭載されていた。

通常、新型ロケットの初打ち上げは失敗する可能性が高いことから、ダミーの重りや技術試験衛星といった、失ってもあまり惜しくないものが搭載されることが多い。にもかかわらず、デルタIIIの1号機にいきなり実用衛星が搭載されたのは、それだけデルタIIと、開発を手がけたマクダネル・ダグラス、そして同社を1997年に吸収合併したボーイングへの信頼が高かったということだろう。

デルタIIIの1号機は1998年8月26日21時17分(米東部夏時間)に打ち上げられた。しかし打ち上げから約1分20秒後に突如として空中分解し、ロケットと衛星は巨大な火の玉となって、大西洋に墜落した。

その後の調査で、原因は誘導システムのソフトウェアにあったことが判明した。このソフトウェアはデルタIIの過去の飛行データを基に設計されており、デルタIIとデルタIIIで飛行の特性が変わったことが十分に反映されていなかったのである。そして実際の打ち上げで、デルタIIIのみに発生するある種の振動を制御することができず、固体ロケット・ブースターの操舵システムの作動液を使い果たしてしまった。するとその後の制御ができなくなるため、機体は崩壊を始めた。それと同時に、地上チームがロケットの自爆装置を起動し、機体は完全に破壊されたのである。

この調査は同年10月には完了し、ソフトウェアの改修が始まった。そして2号機の打ち上げが1999年5月4日に設定された。

オライオン3を載せたデルタIIIの2号機 (C) Boeing

2号機の積み荷は米国の衛星通信会社オライオン・ネットワーク・システムズ(現ロラール・スペース&コミュニケーションズ)の通信衛星「オライオン3」で、またもや実用衛星だった。ロケットは21時ちょうど、ケイプ・カナヴェラル空軍ステーションの第17B発射台を離昇。今回、第1段は無事に飛行し、第2段を分離、その後も順調に飛行を続けた。しかし、第2段エンジンの第2回燃焼でトラブルが発生し、エンジンが早期停止。さらにエンジンが破裂し、漏れ出したガスによって機体は不規則な回転を始めた。最終的に衛星は、計画よりもはるかに低い軌道に投入されてしまい、挽回もできず、打ち上げはまた失敗に終わった。

その後、第2段エンジンに改修が施され、2000年8月に3号機が発射台に設置された。さすがに2連続で失敗したこともあり、3号機には実用衛星は搭載されず、ダミー衛星の「DM-F3」が搭載された。打ち上げの費用もすべてボーイングが持ち出し、ボーイングにとってデルタIIIの信頼回復を賭けたデモンストレーションという位置付けだった。 8月23日7時5分、デルタIIIの3号機はケイプ・カナヴェラル空軍ステーションの第17B発射台を離昇した。ロケットは順調に飛行し、第1段を分離。そして第2段の計2回の燃焼もこなし、高度190 x 2万0655km、軌道傾斜角27.6度の軌道にDM-F3を投入した。

DM-F3を載せたデルタIIIの3号機の組み立て。第1段と第2段の太さの違いがよくわかる (C) Boeing

DM-F3を載せたデルタIIIの3号機の打ち上げ (C) Boeing

計画では、目標の遠地点高度は2万3400kmとされていた。つまり、3000kmほど低い軌道に投入してしまったことになる。しかし、ボーイングは打ち上げ前から「プラスマイナス3000kmの誤差は発生しうる」としており、その範囲内になんとか収まったこの打ち上げは「成功である」と発表した。また、計画よりも軌道が低くなった理由は、燃料である液体水素の温度、そして逆風と大気の状態の影響によるものとされた。

実はボーイングの説明にも一理ある。というのもこの打ち上げは、第2段エンジンをある設定したポイントで停止させるのではなく、推進剤が枯渇するまで動かし続けるというプロファイルを採用していた。この場合、打ち上げ時のロケットや大気の状況によって最終的な到達軌道に誤差が出ることはありうるため、ボーイングが失敗を成功と言い繕ったとは言いがたい。しかし、衛星会社や、打ち上げの保険会社から嫌疑の目が向けられたことは想像に難くない。

消えたデルタIII

3号機の打ち上げが一応の成功を収めた段階で、デルタIIIは次に翌年夏の4号機の打ち上げを予定しており、さらに18件もの打ち上げ受注を抱えていた。しかし、それらは果たされることなく、デルタIIIはこの3号機の打ち上げをもって運用を終えることになった。

理由はいくつかある。ひとつは度重なる打ち上げ失敗で、デルタIIIの信用が築けなかったこと。また人口衛星の需要が予想より拡大せず、仮にデルタIIIが連続成功していたとしても、市場に入り込める余地があまりなかったこと。そしてデルタIIIからやや遅れて開発が始まった、より強力な打ち上げ能力をもつまったく新しいロケット「デルタIV」の完成が迫っており、デルタIIIの存在価値が失われたこともある。

能力不足が懸念されたデルタIIは、主に米国航空宇宙局(NASA)の衛星や探査機を打ち上げるロケットとして重宝された。1990年代から2000年代に打ち上げられた火星探査機などは小ぶりで、それほど大きなロケットは不要だったことや、デルタIIの高い信頼性が評価されたためである。現在も現役ではあるものの、すでに生産は終わり在庫限りの状態で、2017年はじめに最後の打ち上げが行われる予定となっている。

またデルタIVは2002年に初打ち上げに成功し、デルタ・ロケット・シリーズの正当な後継者として現在も現役を続けている。ちなみにデルタIIIで新規開発された第2段の技術は、デルタIVの第2段に受け継がれており、その意味ではデルタIVの試験機・実証機として、決して無駄ではなかったのかもしれない。

しかし、デルタIVはコストが高く、ロッキード・マーティンが開発したほぼ同じ打ち上げ能力をもつロケット「アトラスV」に完全にお株を奪われることになった。両者は同じ2002年に初打ち上げを迎えたが、アトラスVがこれまでに64機打ち上げられているのに対し、デルタIVはその半分の32機に過ぎない(2016年7月現在)。

さらに現在、アトラスVとデルタIVの後継機となる「ヴァルカン」の開発が始まっており、ソー・デルタ以来、米国の宇宙開発を支え続けてきた「デルタ」の名前も、2020年代には完全に消えることになる。

デルタ・ロケットの最新型で、現在主力のデルタIVロケット。第2段にはデルタIIIの技術が受け継がれている (C) ULA

デルタIVなどの後継機となる「ヴァルカン」ロケットの想像図 (C) ULA

【参考】

・The Delta III Payload Planners Guide (Internet Archive: Wayback Machine)
 https://web.archive.org/web/20011119102909/http://www.boeing.com/defense-space/space/delta/docs/DELTA_III_PPG_2000.PDF
・Delta 269 (Delta III) Investigation Report MDC 99H0047A 16 August 2000 (Internet Archive: Wayback Machine)
 https://web.archive.org/web/20010616012841/http://www.boeing.com/defense-space/space/delta/delta3/d3_report.pdf
・Delta III Launch Vehicle (Internet Archive: Wayback Machine)
 https://web.archive.org/web/20020212101021/http://www.boeing.com/defense-space/space/delta/delta3/delta3.htm
・Delta 8930
 http://www.astronautix.com/d/delta8930.html
・Spaceflight Now | Delta Launch Report | Delta 3 rocket falls short but still a success, Boeing says
 http://spaceflightnow.com/delta/d280/000824loworbit.html