【連載】

宇宙開発秘録 - 夢敗れたロケットや衛星たち

2 宇宙から人の目でソ連を監視せよ - 軍事宇宙ステーション「MOL」(後編)

鳥嶋真也  [2016/03/03]

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(前編はこちら)

最初で最後の打ち上げ

青写真や試験機だけで終わったX-20やブルー・ジェミニといった計画とは違い、MOLの開発は比較的順調に進んだ。その一方で、宇宙飛行士の選定も行われた。

1965年から67年まで、毎年1回の3回に分けて、合計17人の宇宙飛行士が米空軍を中心に、海軍、海兵隊から選出された。

第1期 1965年11月12日選抜

  • マイケル・アダムス(米空軍、同年11月15日にX-15で飛行中に死去)
  • アルバート・クルーズ(米空軍)
  • ジョン・フィンレイ(米海軍)
  • リチャード・ロイヤー(米空軍)
  • ラクラン・マックリー(米空軍)
  • フランシス・ニューベック(米空軍)
  • ジェイムズ・テイラー(米空軍、1070年9月4日にT-38で飛行中に死去)
  • リチャード・トゥルーリィ(米海軍)

第2期 1966年6月17日選抜

  • カロル・ボブコ(米空軍)
  • ロバート・クリッピン(米海軍)
  • C. ゴードン・フラートン(米空軍)
  • ヘンリー・ハーツフィールド(米空軍)
  • ロバート・オーヴァーマイヤー(米海兵隊)

第3期 1967年6月30日選抜

  • ジェイムズ・アブラハムスン(米空軍)
  • ロバート・ヘレス(米空軍)
  • ロバート・ローレンス(米空軍、1967年12月8日に訓練中の事故で死去)
  • ドナルド・ピータースン(米空軍)

この中には、後にスペースシャトルの1号機「STS-1 コロンビア」でパイロットを務めることになるロバート・クリッピンや、1989年から92年までNASAの長官を務めるリチャード・トゥルーリィも含まれていた。

MOLの宇宙飛行士のうちの14人。上段左から、ヘレス、ハーツフィールド、オーヴァーマイヤー、フラートン、クリッピン、ピータースン、ボブコ、アブラハムスン。下段左から、フィンレイ、ロイヤー、テイラー、クルーズ、ニューベック、トゥルーリィ。

船内服を来た状態でMOLのコンソールを操作する試験の様子。 (C) NRO

そして1966年、MOLは無人での試験打ち上げを迎えた。

このときのMOLの宇宙ステーションは実物大模型のようなもので、実際に人が滞在できるようにはなっていなかった。ただ、燃料電池や、姿勢や熱を制御するシステムなど、いずれ実際に人を乗せる際に必要となる数々の技術の試作機が搭載されており、その試験を行うことを目的としていた。

またジェミニBは、1965年に打ち上げられたジェミニの2号機を再利用して、耐熱シールドにハッチを設けるなどの改造が施されただけのものだった。

1966年11月3日8時50分(現地時間)、MOLの試験機を載せた「タイタンIIIC」ロケットは、フロリダ州にあるケイプ・ケネディ空軍ステーション(現在のケイプ・カナヴェラル空軍ステーション)の第40発射台を離昇した。ロケットは順調に飛行し、第2段の燃焼終了後にジェミニBを分離した。

このときロケットはまだ軌道速度に達しておらず、ジェミニBは弾道飛行で大気圏に再突入し、南大西洋上に浮かぶアセンション島の近くに着水、回収された。懸念されていた耐熱シールドに設けられたハッチ部分は壊れず、一応は安全性が確認された。もっとも、実際に搭乗する宇宙飛行士がどう感じたかは知る由もない。

ジェミニBの分離後、タイタンIIICは第3段となるトランステージに点火、軌道速度に達した後、ステーション部分を分離した。その後、12月3日にまで運用された後、翌67年の1月9日に大気圏に再突入し、消滅した。

打ち上げを待つMOLの試験機 (C) NASA

MOL試験機を載せたタイタンIIICロケットの打ち上げ (C) NASA

計画中止

その後の計画では、無人での飛行試験を繰り返した後、1972年にも初の有人飛行を行うことが計画されていた。しかし1969年6月、リチャード・ニクソン大統領は計画中止の決定を下した。

その理由のひとつにはヴェトナム戦争やアポロ計画への出費がかさんだこともあったが、最大の理由は単純かつ皮肉なもので、MOLの開発中に技術が進歩し、もはやわざわざ人を打ち上げなくても、無人の偵察衛星を使えば十分であることがわかったからだった。

MOLの開発中、無人の偵察衛星の開発が止まっていたわけではなく、日夜技術開発は進められており、MOLの開発が中止された時点で、すでに地上の分解能は最高10cmにも達していた。またMOLより低コストであることから、多くの衛星を打ち上げることで、撮影可能な範囲を広く取ることもできた。当時はまだデータの電装技術が十分ではなく、衛星から写真が写ったフィルムを落とし、それを回収しなければならないという手間はあったものの、それを除けばMOLよりも手間はかからず、費用の面で優れていた。MOLの計画中止は当然のことだった。

ちなみに、軍用の有人宇宙ステーションを造ろうとしたのは米国だけではなく、ソヴィエト連邦もまた計画し、1970年代には実際に打ち上げられ、運用されている。この話についてはまた機会を改めたい。

MOLの計画中止で苦境に立たされたのは、MOLのために選抜された14人の宇宙飛行士たちだった。計画中止後、空軍はNASAに引き取りを頼み、そのうち7人がNASAの宇宙飛行士となった。ただ、当時すでにNASAは多くの宇宙飛行士を抱えていたため、彼らは誰一人として、アポロで月に行くこともなく、宇宙ステーション「スカイラブ」にも滞在できず、ソヴィエトとの歴史的な共同ミッションである「アポロ・サユース・テスト計画」にも参加できなかった。結局、彼らが宇宙を飛行できたのは、スペースシャトルの運用が始まった1981年以降、MOLの中止から12年も後になってからのことだった(ただしサポート・クルーとしては関わっている)。

時は流れて2015年10月22日、NROはMOLの機密を解除し、当時の資料や写真を一挙に公開した。またこの日、オハイオ州にある国立米空軍博物館では、MOLの宇宙飛行士に選抜されていたクリッピンやトゥルーリィなど当時の関係者などが集まっての記念式典も開催された。

もしMOLが実現していたら、人間が宇宙に滞在し、活動するということへのハードルは、今より下がっていたかもしれない。しかし一方で、宇宙の軍事化もまた、今よりも容易いものになり、こうしてMOLの機密が解除されたり、ましてやそれを祝う式典が開催されることもなかっただろう。その意味では、MOLが潰えたことは幸せだったのかもしれない。

【参考】

・江藤巌. 宇宙の傑作機 No. 2.5 ジェミニ宇宙船. 風虎通信, 2008, 56p.
・The DORIAN FILES REVEALED: A COMPENDIUM OF THE NRO’S MANNED ORBITING LABORATORY DOCUMENTS
 http://nro.gov/history/csnr/programs/docs/MOL_Compendium_August_2015.pdf
・NRO - Declassified Records: GAMBIT and HEXAGON Histories
 http://nro.gov/foia/declass/MOL.html
・On The Shoulders of Titans - Ch6-2
 http://www.hq.nasa.gov/office/pao/History/SP-4203/ch6-2.htm
・NASA - Spacesuits Open Doors to MOL History
 http://www.nasa.gov/centers/kennedy/about/history/molsuits.html

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インデックス

連載目次
第5回 新たなる希望 - 単段式宇宙往還機「デルタ・クリッパー」(後編)
第4回 暗黒面が喚んだ希望 - 単段式宇宙往還機「デルタ・クリッパー」(前編)
第3回 火星探検へ旅立ったダーウィン - 英国の火星探査機「ビーグル2」
第2回 宇宙から人の目でソ連を監視せよ - 軍事宇宙ステーション「MOL」(後編)
第1回 宇宙から人の目でソ連を監視せよ - 軍事宇宙ステーション「MOL」(前編)
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