調子が良ければ良いほど、どうしても人はそれに乗ってしまいがちです。しかし、そうした時こそ、足を掬われることもままあります。もし今、好調だったとしたら、一度、この言葉を思いだしてください。きっと勝利は盤石になりますから。

本日の孫子

『孫子曰、昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝、不可勝在己、可勝在敵、故善戦者、能為不可勝、不能使敵之可勝、故曰、勝可知、而不可為』

(孫子いわく、昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるをなして、もって敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるはおのれに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、よく勝つべからざるをなすも、敵をして勝つべからしむることあたわず。故に曰わく、勝は知るべし、しかしてなすべからずと)

意味

昔の戦い上手な者は、まず自軍をしっかり守って、誰にも負けないような態勢を整えた上で、敵が弱点を現して、誰もがうち勝てるような態勢になるまで待つ。誰にも負けない態勢を整えるのは味方のことだが、だれもが勝てる態勢とは敵側のことである。だから、戦い上手な者でも、味方をだれにも負けない態勢にできても、敵をだれもが勝てるような態勢にはできない。つまり、「勝利は分かっていても、それが必ずできるわけではない」と言うことです。

解説です!

長くなるので割愛しましたが、この言葉には続きがあって、戦いにおいて大事なのは攻めることよりも、まず自分の足下をしっかり固めて負けない体制を築き上げることだと孫子は言い切ります。どうしても攻めて調子に乗っている時は周りが見えなくなるので、そうした時こそ、『守りは大丈夫か』と振り返ることを忘れないようにすることが大切だと言うことです。

こんなシーンで役立ちます!

残念ながら2千年の時を経ても人間の本質は変わらないようで、すぐに調子に乗りがちです。もし、仕事が上手く行っていて、勢いに乗って徹底的に攻めようと考えた時には、「孫子の兵法にもあったように、守りは盤石か」と、ふと足元を見直しましょう。そうした用心深い動きが、必勝態勢に結びつくことは少なくないはずです。