つい数時間前に『ゼロ・グラビティ』を観てきました。地表から600キロメートル離れた宇宙空間で起こった予期せぬ大惨事。生き残ったのは、たったふたり。

『ゼロ・グラビティ』(c) 2013 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC

地球に帰りたいのは山々なれど、酸素も燃料も残りわずか。あまりにも寄る辺ない状況に、観ているこっちが呼吸困難になりそうな、怒濤の90分。映画館を出ると、何よりもまず「地球最高!」と思わずにはいられません。重力と酸素があることがこんなにありがたいなんて……。周囲から得た事前情報を総合すると「宇宙怖すぎ」だったのですが、なんかもう怖いを超えて、心が瀕死ですよ。

最強の宇宙映画にして最凶の恐怖映画。『ゼロ・グラビティ』の恐ろしさに捉えられてしまった今、あらゆる手すりをしっかりつかんでしまう症状に見舞われておりますが、少しでも落ち着こう、正気を取り戻そうとするとき、決まって思い浮かべるのは、サンドラ・ブロック演じるメディカルエンジニア「ライアン・ストーン」のすばらしさ……ではなく、ジョージ・クルーニ演じる宇宙飛行士「マット・コワルスキー」の「どうでもいい話」なのです。これは一体どうしたことか。

言葉は最後の命綱である

物語の冒頭、まだ大惨事が起こる前に、スペースシャトルの外で作業をしながら、マットはとにかくしゃべりまくっています。あるとき自分が宇宙飛行から帰ったら、奥さんが別の男とくっついて逃げちゃったとか、妹がどうしたとか「それわざわざ宇宙でする必要ある?」みたいなことばかりを休みなくしゃべるマット。めちゃくちゃカッコいい宇宙飛行士だからギリギリ許されていますが、どうでもいいことをしゃべり続ける中年のオジサンって、職場にいたら相当めんどくさいですよね。ハッキリ言って付き合いきれない。

だがしかし! このムダなおしゃべりがなければ、本作はどこまでも救いのない作品になっていた可能性が高いと思うのです。ただでさえ重力から切り離された宇宙空間で、スペースシャトルはダメになり、命綱もぶち切れ……物理的なつながりを失った状況で、人間同士をつなぎとめてくれるのは、もう言葉しか残ってない。

『ゼロ・グラビティ』(c) 2013 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC

おしゃべり好きは、どんなときもしゃべり続けるべし

職場で繰り広げられる、過剰なおしゃべり。ふだんなら、決してありがたいと思わないものが、人の心を支え、癒やしてくれる。おしゃべり好きは、肝腎なときに黙るのではなく、どのような危機にあってもしゃべりつづけるべきだとマットは教えてくれます。そして、最初は物静かなライアンも、少しずつ、マットのようにしゃべりはじめ、やがてその口からは絶え間なく言葉がこぼれはじめるのです。それはマットに向けたことばったり、他の誰かに向けた言葉だったり。異なる言語を話す人にも、もはや人間ではない生き物にも、ライアンは話しかけ続けます……これ以上はネタバレになるので、続きは映画館でお確かめください。宇宙からの脱出、という大テーマの裏に、言葉を使ったコミュニケーションとは何か、という哲学的な問いが横たわっていることに気づくハズですから。

彼女がおしゃべりをするという方法で落ち着きを取り戻せたのは、絶対にマットのお陰。宇宙飛行士としての能力はもちろんですが、マットのおしゃべり力もまた、立派な仕事のスキルであり、そのスキルは、しっかりとライアンに継承されたのです。

実は良質な仕事人間映画

少し真面目な話になりますが、危機的状況におけるおしゃべりの効能、ということでいうと、東日本大震災のときに、実はお笑い番組の需要が高かったという話が思い出されます。「こんな状況なのに不謹慎なのでは?」という正論とは裏腹に、多くの人々にとってものすごくありがたい息抜きの手段になっていたんだとか。お笑い番組によって腹が満たされるワケでも、寒さが軽減するワケでもないけれど、いくらか気持ちがラクになったのだとすれば、それを不謹慎のひとことで遠ざけるのは何か間違っている気がしますよね。

それと同じで、マットのどうでもいい話も、ライアンをラクにしたんだと思います。そして、ライアンにマットを受け入れる余裕があったことは、本当にラッキーなことでした。ウザい男だなあ、黙っとけよ。というタイプだったら、かなりマズいことになっていたのでは……。平常時のライアンには、マットのおしゃべりを受け流す余裕があったし、非常時にはマットのまねをして、おしゃべりの力で自分を鼓舞する機知があった。ムダ話をどう受け入れ、どう応用するかは、自分次第。みなさんも、明日から職場のおしゃべりオジサンの扱い方を変えてみてもいいかもしれませんよ。

男の仕事人間に注目することになっているこの連載ですが、ライアンも超絶すばらしい仕事人間です。いつ死んでもおかしくないピンチに彼女がどう向き合い、とりかえしのつかない失敗をどう乗り越えようとするのかを注意深く見ていくと、地球で働く女もがんばらなきゃという気持ちにさせられます。『ゼロ・グラビティ』は、宇宙空間を舞台にしたエンタメ作品としてだけ楽しんだのではもったいない。仕事をがんばりたい気持ちにさせてくれる仕事人間映画としてもオススメでございます。

■公開情報
『ゼロ・グラビティ』
全国大ヒット上映中! <3D/2D同時公開>
オフィシャルサイト:http://zerogravitymovie.jp/
facebook:https://www.facebook.com/zerogravitymovie
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c) 2013 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC


<著者プロフィール>
トミヤマユキコ
パンケーキは肉だと信じて疑わないライター&研究者。早稲田大学非常勤講師。少女マンガ研究やZINE作成など、サブカルチャー関連の講義を担当しています。リトルモアから『パンケーキ・ノート』発売中。「週刊朝日」「すばる」の書評欄や「図書新聞」の連載「サブカル 女子図鑑」などで執筆中。