話題のマンガや映画を取り上げてきた本連載ですが、今回は日本近代文学から仕事人間の極意を学んでみたいと思います。前から取り上げてみたかったんですよ、芥川龍之介の『鼻』を! あの作品から仕事にまつわる何が学べるの? などといぶかしむ向きもあろうかと思いますが、ひとつ最後までお付き合いくださいませ。

長すぎる鼻で悩んでいた主人公

画像はイメージです

『鼻』の主人公である禅智内供(ぜんちないぐ)は、50歳を過ぎた僧侶です。宮中で仏道の修行をするための場所で働いているという設定になっていて、それなりに地位のある男だということが分かります。そんな彼を長年悩ませ続けているのが、長い長い鼻。

「長さは五六寸あって上唇の上から顎の下まで下がっている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰めのような物が、ぶらりと顔の真ん中からぶら下がっているのである」

一寸はおよそ3センチですから、内供の鼻は15~18センチくらいだったということになります。確かに長い。食事をするときは、弟子に鼻を持ち上げていてもらわないといけないくらいですから、かなり不便そうです。「さほど気にならないような顔をしてすましている」けれども、彼の心の奥底には「鼻を気にしているということを、人に知られるのが嫌だ」という気持ちがあります。長いこと僧侶をやっているからといって、コンプレックスがすっかり消えて悟りの境地へ至る……といったことはないワケです。

コンプレックスに悩む姿がかわいい!?

内供はこの長い鼻をどうにかしようと常にがんばっています。烏瓜を煎じて飲んだり、鼠の尿を鼻へなすりつけてみたり。人知れず凹(へこ)みながらも、コンプレックス解消にいそしむ内供は、何だかけなげでかわいく思えます。鼻が少しでも短くみえるように鏡を見ながら工夫するといったくだりは「女子か!」と言いたくなるほどです。しかも、全然短く見えないどころか「かえって長く見えるような気さえした」という内供……50歳の高僧がこれをやっているかと思うと、滑稽さを通り越してもはやいとしい。仕事がうまくいっている50過ぎって「コンプレックスなどもはやないわ、ガハハ!」みたいなイメージがついてまわりがちですが、内供はどこかオヤジ化しきれない部分を抱えており、それがとても魅力的に見えるのです。

更に内供が面白いのは、ちっとも短く見えない鼻を鏡で見たあと、「箱へしまいながら、今更のようにため息をついて、不承不承にまた元の経机へ、観音経をよみに帰る」といった風に、僧侶の仕事とコンプレックスとが地続きの関係にあること。このほかにも、仏教の経典をはじめとする様々な書物の中に「自分と同じような鼻のある人物を見いだして、せめても幾分の心やりにしようとさえ思ったことがある」という一節が出てきたりします。仕事を通じてコンプレックス解消につとめ、コンプレックスと向き合った後は仕事に打ち込む。もはやコンプレックスがあることによって仕事がはかどると言ってもいいくらいの状況です。

コンプレックスがなくなったはずなのに…

そんな内供は、あるとき弟子から鼻を短くする方法を聞き、早速試してみることにします。すると「あたりまえの鉤鼻と大した変りはない」といえるぐらい鼻が短くなるのですが、なぜか周囲は依然として内供を笑うのでした。予想外の出来事に戸惑う内供。読みかけていたお経をやめて、ふさぎ込んでしまいます。仕事が手に着かないのです。それどころか、「日ごとに機嫌が悪く」なって「二言目には、誰でも意地悪く叱りつける」ようにさえなってしまいます。

鼻が長かった頃は、周囲がなぜ自分を笑うのかがハッキリ分かっていたからつらくても耐えられたのでしょうが、鼻が短くなり、コンプレックスが解消してからは、なぜ笑われなくてはいけないのかが分からないため、内供は前よりももっとつらい思いをしなくてはならなくなったのです。コンプレックスが存在すること自体よりも、それに対する主観的評価と客観的評価が合致していないことの方が問題である……内供の身に起こったことは、わたしたちにコンプレックスとの付き合い方次第で、仕事がはかどったり滞ったりすることを教えてくれます。

コンプレックスを仕事のエネルギー源に

『鼻』のラストシーンは、とても印象的です。ある朝、内供が目覚めると鼻が元通りになっている。かつてあれほどイヤだと思っていた鼻。ご飯を食べるのも大変な鼻。誰もが笑った鼻。しかし、内供はこんなことを思うのです。

「こうなれば、もう誰もわらう者はいないにちがいない」

コンプレックスが解消してしまったことで仕事に励めなくなっていた内供は、こうして心の安寧(あんねい)を取り戻すのでした。コンプレックスなんて、なければないに越したことはないけれど、どうせあるのなら、有効活用したい。気にしていたハズの長い鼻を取り戻してすっかり元気になった内供は、笑われることをこれまで以上に受け入れ、ときに凹みながらも修行に打ち込み、もっともっと偉い高僧になっていきそうな気がします。


<著者プロフィール>
トミヤマユキコ
パンケーキは肉だと信じて疑わないライター&研究者。早稲田大学非常勤講師。少女マンガ研究やZINE作成など、サブカルチャー関連の講義を担当しています。リトルモアから『パンケーキ・ノート』発売中。「週刊朝日」「すばる」の書評欄や「図書新聞」の連載「サブカル 女子図鑑」などで執筆中。