東宝の映画版『図書館戦争』(原作:有川浩/アスキー・メディアワークス)のレンタルが開始されたと聞き、映画館でも観たというのにまた借りてきてしまいました。

東宝『図書館戦争』(原作:有川浩/アスキー・メディアワークス)

この作品を愛する理由はふたつあります。第一に「公序良俗に反する図書を取り締まるという大義名分のもと、市民から読書の自由を奪う"メディア良化法"が施行された日本」を舞台にしているということ。架空の設定でありながら、現代日本の青少年保護育成条例や松江市教育委員会による『はだしのゲン』の利用制限騒動などを思わせ、何とも言えないリアリティがあります。そして第二に「図書館法」(※)を掲げて行き過ぎた検閲から本を守る自衛組織「図書隊」の特殊精鋭部隊「ライブラリー・タスクフォース」の鬼隊長・堂上篤(岡田准一)がたいへん魅力的であること。

承認欲求の薄い仕事人間

ディープなジャニーズファンではないわたしを堂上教官≒岡田准一に狂わせる何かが、この作品にはあります。岡田准一自身が読書好きで知られる文系男子でありながら、同時にカリやジークンドーといった武術をプロ並みに習得する格闘系男子であるということが、本を守るために戦うという堂上のスペック「文系×格闘系」と完全に一致しているという「ハマり役感」がたまらないというのは確かにあります。しかし、それ以上に、この堂上という男がびっくりするくらい承認欲求の薄い仕事人間だということが、わたしを萌え狂わせる最大の要因であるように思うのです。認められたい、気づかれたい、褒められたい。そういう匂いが一切しない仕事人間を見つけると、認めてあげたい、気づいてあげたい、褒めてあげたいという気になるというか……。

図書館の本を検閲・没収しようとする「メディア良化隊」と、それを阻止しようする「図書隊」は、しばしば戦闘に突入します。しかし、この戦闘はふだんあまり報道されませんし、図書館を利用する一般客にすら「戦争ごっこ」としか捉えられていないぐらい注目度が低い。しかし、良化隊と図書隊の戦闘は、本格的な武器を使用する戦闘で、当然のことながら負傷者も出ます。あるとき、新人隊員・笠原郁(榮倉奈々)が、戦闘で傷ついた図書隊員について質問すると、堂上は淡々と次のように答えます。

「図書隊の負傷者は、いつも報道されない。たとえ死んでも、警察も司法も介入しないし、罪に問われることもない。図書隊の戦い方は常に不利だ。殺傷目的での銃撃はしないという建前は、向こうは守らない。それでも図書隊は最初の一発は甘んじて受ける。防衛に徹する」

命の危険を伴う任務であるにもかかわらず、メディアには取り上げられず、国民の関心も驚くほど薄い。承認欲求の満たされようがない、ある意味非常に理不尽な仕事とも言えるワケですが、堂上は「守るために戦う」という図書隊の信念に対する疑問や不満を一切口にしません。かといって、受け身タイプのことなかれ主義者かというと全然そんなことはない。鬼教官として組織内ではそれなりに重要なポストを占めていますが、戦闘となれば、第一線に立って、陣頭指揮をとり、時にはおとりになるようなことまでするのです。ヘタしたら死ぬかもしれないのに、文句ひとつ言わず働く。それが堂上です。

「男並みの女」でも「守るべきか弱い女」でもなく

更にすばらしいのは、堂上がやんちゃで生意気な郁を「男並みの女」としても「守るべきか弱い女」としても扱わないこと。ときどき出てくる郁をサル扱いするシーンは、郁を蔑視しているように見えて、実は彼女のことを女扱いしない(人間扱いする)ということと同じ。そんな堂上は、郁を女扱いし、心配したくなったときの自分の心情を「弱さ」と結びつけて語ります。

「あいつが無茶をするたび、たまらなくなる。いらついて、揺らいで、遠ざけた。そのくせ、放っておけなかった。あいつを信じてやれなかった。それは、俺の弱さだ」

多くの戦闘もの、ヒーローものにおいて、強い女が見せる一瞬の弱さにグラっときて「守ってやらなくては」と思うことは、決して責められるべきものではなかったし、むしろその思いこそが「男らしさ」だというのに、堂上は、そのような思いやりを「俺の弱さ」だと言うのです。郁に手を貸すことは、郁のポテンシャルを「信じてやれなかった」ことと同じだと堂上は考えるのです。

寡黙で強くて、しかし精神的にはマッチョじゃない男。これは実に新しいヒーロー像であり、理想の上司像でもある。女である前にひとりの人間として働きたい、頑張りたいと願う女たちにとって、堂上の考え方は非常に魅力的に見えるハズ。バリバリ働く俺自慢、女に優しい俺自慢がないだけで、上司はこんなにも輝いて見える……。

「秘密厳守の男」だからこそ、王子様になれる

そして、この物語最大の美しさは、かつて郁が書店で良化隊から本を取り上げられそうになったときに助けてくれた図書隊員が堂上であるということを、堂上が決して郁に打ち明けないということ。何度も「本当のことを言うなら今だ!」みたいな瞬間が訪れるのですが、堂上は最後まで「秘密厳守の男」であり続け、郁は堂上があのときの図書隊員だとも知らず「王子様」に会う日を夢見続けるのです。承認欲求をちらつかせることなく本という名の歴史や思想や真実を黙々と守り続ける堂上だからこそ、郁に本当のことを言わず、郁が抱く王子様の夢を守ることができるのかも知れません。

※ちなみに「図書館法」は日本図書館協会の綱領であり、実際に存在する「図書館の自由に関する宣言」をアレンジしたもの。このような虚実のブレンド具合も、この作品の魅力です。


<著者プロフィール>
トミヤマユキコ
パンケーキは肉だと信じて疑わないライター&研究者。早稲田大学非常勤講師。少女マンガ研究やZINE作成など、サブカルチャー関連の講義を担当しています。リトルモアから『パンケーキ・ノート』発売中。「週刊朝日」「すばる」の書評欄や「図書新聞」の連載「サブカル 女子図鑑」などで執筆中。