大仏は黄金の輝きを放っていた

平安時代末期(12世紀後半)に描かれたとされる信貴山縁起は、源氏物語絵巻や鳥獣人物戯画、伴大納言絵詞と並ぶ日本四大絵巻物の一つで、その写実的な表現は当時の街並みや風俗を探る上での貴重な資料となっている。

第三巻の「尼公ノ巻」に描かれているのが奈良・東大寺の大仏で、創建当時の姿を伝えた唯一のもの。その姿は現在見られるものとは対照的に、眩いばかりの黄金の輝きを放っていた。

東大寺の大仏は聖武天皇の命によって、745(天平17)年に建立が始まった。まず、仏体の周囲に土手を築き、その上に設置した溶解炉から、溶けた銅を流し込んで頭部まで鋳造する。次にヤスリやタガネを用いて凹凸やはみ出した部分を削り落した上で彫刻を施し、最後に全体を塗金(金メッキ)したという。

大仏の正式な名前は「盧舎那仏」、宇宙の真理を体得された釈迦如来の別名で、世界を照らす光り輝く仏という意味を持つ。こうしたことから大仏は、金で覆われることが必要だったというわけだ。

イラスト:オシキリイラストレーション

「黄金の大仏」を可能にした「黄金山」

巨大な大仏を塗金するために使われた大量の金は、どうやって調達したのか? 当時の日本では金は採掘されず、聖武天皇は全てを輸入に頼るつもりだった。しかし、大仏の鋳造が完成する段階になっても、金を調達できるめどは全く立っていなかったという。そこに、東北から朗報がもたらされた。

「陸奥国始めて黄金を貢るここに幣を奉りて幾内・七道の諸社に告ぐ」(「続日本記」)

陸奥守百済王敬福(むつのかみくだらのこにきしきょうふく)が、小田郡(現・宮城県涌谷町)で金を発見してこれを献上したのだ。「黄金山」と呼ばれるようになった一帯で産出された金は、後の中尊寺金色堂にも使われたが、これを契機に東北各地で金の採掘が進められ、塗金に必要な金を調達できたのだという。

「謎の病」と大仏の関係

752(天平勝宝4)年、大仏に魂を入れる「開眼供養会」が盛大に行われた平城京だったが、それから30年余り後の784年(延暦3年)に、都は長岡京へと遷都されてしまう。その理由の一つとされているのが「謎の病」の蔓延で、人々が「たたりだ!」として恐れた結果、遷都を余儀なくされたというのだ。

「謎の病」については、大仏建立に伴う「重金属汚染」が原因ではないかとの指摘されてきた。当初の研究では、大仏を鋳造する際に使われた銅が流出した結果、健康被害を引き起こしたというものだった。

ところが後の研究で、「水銀中毒説」が広がりを見せ始める。大仏の塗金は「金アマルガム法」によって行われた。銅の上に金を直接塗ることはできないが、水銀を混ぜた「金アマルガム」なら容易に塗ることができる。そこで、「金アマルガム」を大仏の上に塗り、常温では液体であり、沸点が低いという水銀の性質を利用して、火であぶることによって蒸発させて行く。すると、大仏の表面には金だけが残されて、塗金が完成するというわけだ。

巨大な大仏を塗金する作業は5年に及び、その結果として大量の水銀が放出されて、深刻な水銀中毒を引き起こす。これが「謎の病」の原因であり、「水銀中毒説」から、東大寺の大仏建立は「日本史上初の公害」などと指摘されるようにもなったのだ。

しかし、2013年に東京大学の大気海洋研究所が当時の地層の水銀量を測定したところ、大仏建立時には数倍に増えているものの、現代の環境水準(15ppm以下)よりも大幅に低い0.25ppm前後に止まっていたという。大仏周辺の土壌からは水銀はほとんど検出されず、「水銀中毒説」にも疑問が投げかけられているのだ。

この調査では、最大で現代の環境基準8倍にあたる高濃度の鉛が検出されたが、これも健康には影響のないレベル。「謎の病」の真相はいまだ解明されていないのである。

大仏を襲った多くの災難

都が長岡京へ遷都された後の平城京は、急速に衰退が進み、東大寺の大仏も様々な災難に見舞われる。頭部が重みで落下したり、二度兵火に襲われて焼け落ちたり、大仏殿も失われて雨ざらしとなったり…。

大仏が現在の形になったのは江戸時代の1708(宝永5)年のこと。修復を重ねてきたことから、胴体が鎌倉時代で両手が桃山時代、首から上の頭部が江戸時代に再鋳造されたものとなっている。

関西大学の宮本勝造教授の試算によると、創建時の建造費は現在の価格で約4657億円、建造にかかわった人の消費などによる経済波及効果は約1兆246億円に上るという。こうした巨額の費用を捻出することは容易ではなく、大仏が再び黄金に覆われることはなかったのだ。

東大寺の大仏で、創建当時のまま残されている唯一の部分が台座で、そこにはわずかに金色が残されているのが見て取れる。国家の一大事業だった東大寺の大仏建立。巨大な仏像全体が黄金で輝いていた姿を思い描くとき、天平の世の人々が成し遂げた偉業の大きさに驚かされるのである。

<著者プロフィール>
玉手 義朗
1958年生まれ。外資系金融機関での外為ディーラーを経て、現在はテレビ局勤務。著書に『円相場の内幕』(集英社)、『経済入門』(ダイヤモンド社)がある。