師走も半ばを過ぎると、「ゆく年くる年」という言葉をよく耳にするようになります。当連載でも、「ゆく年くる年」ならぬ「ゆく列車くる列車」が生む、列車同士の「並び」や一瞬の「邂逅」をとらえた写真を紹介することにしましょう。

真夏の列車交換

江ノ島電鉄の交換風景。「ゆく列車」藤沢行300形(写真左)、「くる電車」鎌倉行600形(同右)

真夏の江ノ電、長谷駅での懐かしの古豪同士の交換風景。写真右側の600形は東急からの転入車で、東急時代はデハ80形として玉川線で活躍していました。この車両の特徴は、運転台が左側にあったこと。江ノ電の車両は軌道時代の名残からか、正面中央に運転台を設置していますが、この形式のみ、東急時代のまま左側に運転台がありました。

異種「スピードランナー」の邂逅

「ゆく列車」EF66牽引の高速貨物列車(上り)。「くる列車」京急旧600形(下り)

当時の国鉄と京急電鉄の高速列車同士が見せた、一瞬の邂逅(かいこう)。「くる列車」の京急電鉄デハ600形は、2ドアセミクロスシート車です。1956(昭和31)年、京急初の高性能電車デハ700形として登場し、後にデハ600形に改番されました。

デハ600形はデビュー以来、京急を代表する電車として、特急など優等列車を中心に活躍しましたが、1982年に2000形が登場するとその任を譲り、1986年に引退しました。

ミラクル! 3列車が並んだ一瞬の光景

続いては、「ゆく列車」「くる列車」など3本の列車が見せたミラクルなショットをご覧いただきましょう。

「くる列車」DE10牽引の貨物列車。その左右にクモハ41など宇部・小野田線上下列車が並ぶ

朝の宇部新川駅でとらえた3列車が並ぶ光景。当時の宇部・小野田線はDE10やDD51が牽引する石灰石輸送をはじめとした貨物列車の設定も多く、旧型国電とDLという組み合わせをとらえるチャンスがありました。

「ゆく列車」「くる列車」鶴見線72系と、「ゆく列車」高架上の京急旧1000系上り列車

鶴見線の72系同士のすれ違い。列車密度の高い朝ラッシュ時に、鶴見~国道間でしばしばすれ違いを見せていました。それに加え、完成直後の高架線を駆け上っていく京急の旧1000形が、タイミングよく収まりました。

さらにこの写真、鶴見駅折り返し中の京浜東北線103系も写り込んでいるのを、いまさらながら発見! このワンカットになんと4列車が収まっていました。

「ゆく列車」東海道本線153系急行(写真右)と、「くる列車」横浜線直通72系(同左)。写真中央に停車中の電車は横須賀線113系

横浜駅でとらえた、3列車の並ぶ奇跡の光景。横須賀線113系が、東海道本線153系急行「東海」に道を譲るとき、横浜線直通の72系と顔をそろえる瞬間を狙ったものです。3列車の並びを収めるのはタイミングと時の運。出発して行く153系低窓車が柱の間に見えた瞬間、72系が運よく顔を出してくれました。

「ゆく列車」「くる列車」京浜東北線103系(写真左・右)。写真中央の折り返し列車は横浜線72系

折り返しのため引き上げ線で待機中の72系をとらえたカット。両脇を行き交う103系の間に、ポツンと居心地悪そうに佇んでいました。

当時、横浜線からの根岸線直通列車は72系と103系の運用があり、それらはすべて磯子駅止まり。そのため、磯子駅には折り返し用の引き上げ線が、根岸方と新杉田方の2カ所にあり、それを交互に使用してさばいていました。写真は根岸寄りの引き上げ線です。

誰も知らない!? 列車交換

「ゆく列車」ED16単機(写真奥)と、「くる列車」EF15牽引の貨物列車

東海道貨物線(南武線浜川崎支線)川崎新町駅での交換シーン。当時、川崎新町駅に停車する珍しい貨物列車がありました。それは、八丁畷~尻手間が単線のため、浜川崎方面から新鶴見操車場方面へ向かう列車が交換待ちをするというもの。その瞬間に、珍しい並びを撮影することができたのです。

写真7は、南武線からやってきたED16単機をやり過ごし、出発寸前のEF15。この数分前には、浜川崎行きの17m車2連とも交換をしています。

「新旧スター」の競演

「ゆく列車」国鉄クモハ52001(写真手前)と名鉄パノラマカー(写真奥)

「ゆく列車」写真手前がクハ47011、写真中央はクモハ54129。奥に名鉄パノラマカーが並ぶ

豊橋駅名物だった旧型国電と名鉄の電車との並び。両線の始発駅である豊橋駅から約4㎞の区間は、国鉄と名鉄が線路を共有し、同一ホームに国鉄と名鉄の列車が乗り入れていました。そんな豊橋駅にて、飯田線で余生を過ごしていた元関西急電のスター「流電クモハ52」と、当時の名鉄のスター「パノラマカー」という新旧主役の並びをとらえました。

飯田線は当時、「旧型国電博物館」といわれ、さまざまな形式の戦前形旧型国電が集結していたため、同一形式ながら1両たりとも同じ顔(前面)が存在しないほどバラエティーに富んでいました。名鉄パノラマカーの並びも、さまざまなパターンが見られました。

3段窓の63系!? 一瞬の邂逅

クモハ73085(写真左)とクハ79250(同右)

写真10に関しては、じつは留置中の72系を撮影しようとしていたものです。南武線中原電車区の72系は、ピーク時には約150両も配置され、製造年次の違い、更新改造、近代化改造により多種多様な形態が存在しました。

そんな中、たまたま特徴ある2両が並んで留置されていました。まるで72系のルーツ、3段窓の63系が複線を走る「ゆく列車」「くる列車」のように見えて、思わずシャッターを切りました。戦後、63系が登場し、後に72系へ改造されて首都圏各線で活躍していた時代、こんな光景がよく見られたのでは? と想像してしまいます。

「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所

  撮影時期 撮影場所
写真1 1974年8月 江ノ島電鉄 長谷駅
写真2 1979年12月2日 京浜東北線 鶴見付近
写真3 1981年3月16日 宇部線 宇部新川駅
写真4 1979年12月2日 鶴見線 鶴見~国道間
写真5 1978年5月 東海道本線 横浜駅
写真6 1978年5月 根岸線 磯子駅
写真7 1980年11月16日 東海道貨物線 川崎新町駅
写真8 1978年9月23日 豊橋駅
写真9
写真10 1978年2月26日 南武線 中原電車区
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った