東急電鉄で活躍した8090系の一部車両が秩父鉄道へ譲渡され、7500系として活躍中です。1月24日にも、7506ほか3連が長年活躍した東急から旅立ち、秩父鉄道へ輸送されたとのこと。秩父鉄道7500系の増備は、これで6本目となります。

そこで今回は、東急8090系が新製直後、東急線上に初めて姿を現したときの写真をはじめ、東急電鉄の懐かしく珍しい写真を計9点、紹介したいと思います。

8090系初登場の"珍"編成 

8090系は1980年、従来車両より車体重量を2.8トンも軽減した日本初の軽量ステンレスカーとして登場。従来のステンレスカーと比較すると、車体側面のコルゲート(波型の外板)がなくなり、赤帯2本をまとい、車体断面は上部に向けて絞られた形になるなど、外見が大きく変化しました。

ここで紹介する写真は、いずれも8090系の落成直後、東急線上に初登場したときの写真です。8090系の1本目は東急車輛で落成し、中央線八王子駅まで7両で輸送された後、分割された4両が横浜線長津田駅に到着しました(残り3両の輸送は、同年12月19日)。東急線内を回送する場面では、デハ3450形が前後2両ずつ新型車両を挟み込み、プッシュプル方式での回送となり、長津田駅から大岡山駅、田園調布駅を経由して元住吉検車区へ。まさに"珍"編成での走行でした。

この回送シーンは、撮影先で知り合った鉄道ファン(当連載第3回「雪の日に狙った"白いスロープ"」にも登場)から情報をもらい、撮影したものです。インターネットなどない時代、連絡先を交換しながら情報をやり取りしていたのも、懐かしい思い出です。

二子玉川園駅の"珍"工事

続いて紹介するのは、新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川間)乗り入れ工事中の二子玉川園(現・二子玉川)駅の写真です。

駅の溝の口側では、ホームを削り、橋梁上に上下の仮線を設置する工事が行われていました。工事自体が荒技的ゆえ、線形も奇妙なものになっていました。その後、本線を直線に改修し、ホームを延長拡幅して、新玉川線開通の準備が整いました。

3軸台車の"珍"貨車

最後に紹介するのは珍しい貨車。高架・複々線化される前の東横線新丸子駅の側線には、東急で唯一3軸ボギー台車を履いた貨車、チキ3095の姿がありました。

チキ3095は元々、鉄道院新橋工場で1914(大正3)年に製造された木造客車で、国鉄時代の1951年に払い下げを受け、長物車に改造したものです。東急の電車・貨車において初の20m車(電車は8000系が初)で、レール輸送の長物車として活躍しましたが、1976年に廃車となっています。

今回紹介した中でも、"珍"工事と"珍"貨車の写真は、当連載を開始した後にネガを見直し、発見したものです。まさか30数年ぶりに陽の目を見ることになるとは、思いもしませんでした。

今回紹介した「鉄道懐古写真」

撮影時期 写真の説明
写真1 1980年12月16日 国鉄長津田駅の側線に到着した直後の新型車両8090系。写真は8092ほか4連。
クハ8092は現在、秩父鉄道クハ7701となっている
写真2 大岡山駅で田園都市線(当時。現在の大井町線)上りから目蒲線(現在の目黒線)
下りへ転線し、元住吉検車区へ向かう
写真3 当時、東急の最古参だったデハ3450形と、最新鋭8090系の編成が大岡山駅に
停車中。両形式の車齢の差は、なんと約半世紀にもおよぶ
写真4 1974年6月 二子玉川園駅のホームから。真ん中に寄った線路は仮線で、その両側にある枕木
が残っている部分が本線。後に改修された
写真5 仮線を行く5000系の下り電車(写真左)と、デハ3700形ほか4連の上り臨時電車
(同右)。2つのホームの間には、後に新玉川線のレールが敷かれることに。
臨時電車には、こどもの国駅からの遠足帰りの児童が乗っていた
写真6 1975年5月 二子玉川園駅を出発する7200系4連。線路は改修されて仮線がなくなり、
ホームの延長拡幅工事が進んでいる
写真7 1977年3月 新玉川線乗り入れ工事完成後の二子玉川園駅。ホームに乗換え階段が設置された。
新玉川線の試運転列車が停車中で、中間車を代用したクハ8000の姿が確認できる
写真8 1974年10月 3軸台車を履いたチキ3095。いつも東横線新丸子駅の側線に留置されていた
写真9
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った