つい先日、東急電鉄の子会社である東急車輛製造(以下、東急車輛)の鉄道車両事業が、JR東日本に譲渡されると発表されました(詳細は本誌既報の通り)。

東急電鉄との"二人三脚"で、オールステンレスカーをはじめ先進的な車両を次々と生み出してきた「東急車輛」ブランドが消滅する……。東急沿線で生まれ育ち、ステンレスカーにお世話になった筆者にとって、衝撃的なニュースであり、なんとも寂しい限りです。

そこで2回にわたり、東急ステンレスカーの懐かしい写真を紹介したいと思います。まずは東急電鉄の車両として、初めてローレル賞を受賞した8500系から。

ローレル賞とは鉄道友の会が制定した賞で、おもに通勤形電車や近郊形電車を対象に、技術的に優れた車両に贈られます。8500系は通勤用車両の技術的な集大成として、1976年に受賞しました。乗務員室仕切り扉の上に取り付けられた、受賞記念のプレートが誇らしげでした。

8500系は1975年3月、新玉川線(現在の田園都市線渋谷~二子玉川間)開通に備えて新製された車両です。8000系をベースに、営団地下鉄(現・東京メトロ)半蔵門線相互乗り入れ仕様になりました。

しかしデビュー当初、まだ新玉川線が未開通だったため、当時の田園都市線(現在の大井町線大井町~二子玉川間と、田園都市線の二子玉川以遠)に4連で先行投入されました。翌年の5連化をきっかけに、編成両数の増強が急ピッチで行われていきます。

1977年4月、新玉川線が開通するとともに8500系は6連化され、ようやく本来の活躍の場所で運転を開始しました。1979年8月には新玉川・田園都市線の全列車直通運転が開始され、8500系も8連化されます。それから4年足らずの1983年1月、8500系の10連化が開始されました。

4連でデビューした8500系が、10年も経たないうちに10連になるくらい、新玉川・田園都市線沿線の発展はめざましいものがありました。8500系も激増し、1991年までに400両が製造され、東急電車の系列として最大の両数を数えるまでになりました。

現在も田園都市線を中心に活躍中の8500系ですが、2005年度より、一部の車両が長野電鉄や秩父鉄道、さらにはインドネシアにも譲渡され、活躍しています。

今回紹介した「鉄道懐古写真」

撮影時期 写真の説明
写真1 1976年7月25日 ローレル賞のヘッドマークを付けた8501ほか5連(写真右)。
現在は長野電鉄に譲渡され、8505(同左)と共に活躍中
写真2 1976年7月25日 5連の受賞記念列車が運転された。田園調布駅では、珍しい東横線下り~
目蒲線上りへの転線が見られた。右端に荷物ホームが見える
写真3 1975年3月 田園都市線(当時)大岡山駅に進入する、デビュー直後の8501ほか4連。
屋根上がまだ汚れていない。下り線には旧3000系が停車中
写真4 1977年3月 新玉川線開通前の二子玉川園(現・二子玉川)駅。渋谷行の試運転列車が
遠くに見える。折り返し用の変形亘り線は直通化で消えた
写真5 1977年3月 渋谷方面から二子玉川園駅に到着した6連の試運転列車。
ホーム上の工事も急ピッチで進められた
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った