33年ぶりに快速列車の運転が復活した南武線。しかし、電力事情による「夏の特別ダイヤ」で、休日のみの運転となっています。その快速列車や各駅停車に使用されている車両が、中原電車区に配置されている205系6両編成32本、209系6両編成4本、合計36本の電車です。主力の205系は、新製配置された15本と、山手線から転属してきた17本で構成されています。

南武線の主力車両、205系。矢向駅にて。2011年7月29日

新製配置された205系15本は、南武線初の「新車」投入という快挙を成し遂げました。というのも、1944(昭和19)年4月に旧南武鉄道を戦時買収で国有化して以来、長年にわたり、山手線や中央線など主要線区で活躍した電車は、南武線を"第2の活躍の場"とするのが当たり前だったからです。「電車の墓場」「中古車センター」と揶揄された南武線にとって画期的な出来事でした。

山手線から転属した205系17本にとって、南武線はまさに"第2の活躍の場"。うち5本の先頭車は、短編成化(11両→6両)の際、不足する先頭車を補うため、中間車に運転台部分を取り付ける先頭車化改造を施しています。

南武線矢向駅に留置中の205系。写真左側の車両が、1990年に新製配置されたクハ205-138他6連。右側の車両は先頭車化改造を施したクハ206-1202他6連。2011年7月29日

この205系にも見られる、中間車の「先頭車化改造」と、主要線区から"第2の活躍の場"を求めて「転属」という事例は、南武線では44年前の1967(昭和42)年から翌年にかけても行われていました。

その対象となったのは、当時、山手線ほか首都圏の主要線区で活躍していた72系です。戦後の高度経済成長で激増する通勤輸送を、車体全長20m・片側4ドアの72系旧型国電でさばくのはほぼ限界に近く、抜本的な対策が求められていました。そこで、車体全長20m・片側4ドアを踏襲しつつ、高加減速で運転間隔を短縮し、列車の運転本数を増やし輸送力の増強を目的とした、国鉄初の新性能電車101系が開発されました。

101系は1957(昭和32)年に中央線に投入。1961(昭和36)年には山手線にも投入されます。各路線で車両が増備されるとともに、大量の72系が余剰となり、南武線や青梅線など、首都圏のローカル線区への転属が始まりました。

しかし主要線区の7~8両編成に対して、転属先では4両編成になることが多く、とくに南武線は、基本編成4両の他に増結用の2両も必要となり、圧倒的に先頭車が不足する事態になってしまいます。

そこで1966~1968年にかけて、大量に余った中間電動車モハ72を先頭車化改造し、転属させることになったのです。先頭車化改造されたのは、クモハ73500番台20両、クモハ73600番台30両の、計50両。うち500番台16両、600番台14両が中原電車区に集結し、大半が南武線で活躍しました。

クモハ73500番台の独特の"顔"。一度見たら忘れられない。南武線、尻手駅にて。1977年3月

南武線の"顔"として、サヨナラ運転まで務め上げたクモハ73506。この車両の種車はモハ72016であり、72系に編入される前はモハ63040(63系電車)だった。南武線、稲城長沼駅にて。1978年7月31日

貴重なクモハ73原型の"顔"。写真はクモハ73026。500番台がまったく別の形式に見えてしまう。立川駅にて。1974年12月

クモハ73500番台は、63系改造のモハ72を種車として、運転台取り付け改造と同時に、陳腐化したボディーを全金属製にするという新製車並みの改造車。63系時代から見ると、再改造となりました。その際、クモハ73近代化改造車と同じように、前面に同一サイズの規格ガラス3枚を無理に使用したため、妙な配置となり、一度見たら忘れられない独特の顔となりました。改造は1966~1967年に、郡山・大井・鷹取の3工場で施工されました。

500番台同士が顔を合わせて連結されることもあった。奥の車両はクモハ73516、手前の車両はクモハ73509。クモハ73516の種車はモハ72205であり、72系に編入される前はモハ63782だった。クモハ73509も、モハ72291が種車で、編入前はモハ63648だった。南武線、武蔵溝ノ口駅にて。1978年2月

クモハ73600番台は、1952(昭和27)年から1957(昭和32)年にかけて、72系として新製されたモハ72500番台に、運転台取り付け改造を施した車両。種車に運転台だけを増設する「お手軽改造」が特徴でした。その結果、奇数車のパンタグラフは前面寄り、偶数車のパンタグラフは連結面寄りとなりました。改造は1967~1968年にかけて、郡山・大井・鷹取の3工場で施工されました。

パンタグラフが後ろにある独特のスタイルとなった偶数車クモハ73612。種車は1955年製のモハ72627。南武線、武蔵小杉駅にて。1977年1月

偶数車クモハ73626。種車は、屋根の曲率(カーブ)を変更した1956年製モハ72701。クモハ73612と比べると、若干印象が変わったように見える。南武線、中原電車区にて。1978年7月

稲城長沼駅での増結シーン。2連の先頭は、奇数車クモハ73625。それまで、パンタグラフからの配管は運転室内から床下へ通されていたが、「お手軽改造」がエスカレートし、配管が露出したままだった。大井工場で改造された625・627・629の3両が該当する。1976年12月

モハ72500番台の連結面(写真右)。連結面の外板を貼り替え、運転台を取り付けると、1つ上の写真のような、配管の露出した奇数車が簡単にでき上がる。南武線、中原電車区にて。1977年11月

主要線区から追われての改造は、先頭車化だけではありません。荷物車、事業用車、103系や113系そっくりの車体に乗せ換えたアコモデーション(車内設備)改良車など、多岐にわたりました。中には再改造されて、本当に103系になった車両も。それもこれも、全盛期には約1,450両が在籍したという72系電車だからこそ、できたワザだったのかもしれません。

※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った