JR東日本秋田支社が2月17日、特急形寝台電車583系の引退を発表した。保存されるか、解体されるか不明だけど、いずれにしても営業運転には使われない。つまり、この電車に乗って旅はできない。寂しいけれど、かといって「いつまでもがんばって」とも言いづらい。現代の鉄道旅行のサービスレベルからは遠くなっている。ただし、晩年の臨時列車では583系ならではのユニークな使われ方もあった。「いままでありがとう」という印象だ。

2014年、団体臨時列車で使われた583系

583系の歴史は、その前身ともいえる581系が1967(昭和42)年に登場したことから始まる。581系は新大阪~博多間の寝台特急「月光」と、新大阪~大分間の昼行特急「みどり」に使用された。車両は南福岡電車区に配置されていたので。博多駅を基準とした運用だった。たとえば、博多発の寝台特急「月光」に使われて新大阪駅に着くと、車両基地で整備・清掃の後、昼行特急「みどり」として大分駅へ向かう。大分駅で折り返し、「みどり」として新大阪駅へ向かい、夜行の「月光」として博多駅へ戻る。

それまで寝台列車は専用の車両を使っていた。しかし、夜行専用の車両は日中に使い道がなく、車庫で待機するしかなかった。一方、昼行の特急形電車は夜間に車庫で待機している。寝台特急と座席特急の両方に使える車両を作れば、待機時間の無駄がない。列車の待機場所もいらないから、車両基地を拡大しなくても列車を増発できる。

581系が誕生した1967年といえば高度経済成長期で、出生率も高い。その一方でマイカーや航空便は普及しておらず、長距離移動といえば鉄道が当たり前だった。しかし、当時の国鉄は赤字に転落した後だったから、土地も車両数も節約したかった。需要は高く、列車を増やしたいけれども、車両は増やせない。こうした背景の苦肉の策が、昼夜間両用車両となる581系だった。

581系は西日本での運用を想定していたため、交流区間は60Hzに対応していた。しかし、翌年からは東北本線の全線電化に合わせ、東日本の交流50Hzも対応できる583系電動車が製造された。全国的な配置転換に対応するため、以降の増備は九州⽅⾯にも583系電動⾞が製造され主流となって、その後は583系と呼ばれるようになった。

荷棚の壁側に中段寝台と上段寝台が格納されている

583系は子供向けの絵本などで、「夜は寝台、昼間は座席に変身する電車」として紹介されていたように思う。そんな筆者は1967年生まれ。581系と同世代である。この世代は10代にブルートレインブームを経験する。青い客車の寝台特急が全盛期を迎える中で、583系は異彩を放つ電車だった。先頭車は485系の高運転台車にそっくりで、色は赤帯ではなく青帯。同じ型で色を変えただけの玩具もあった。

筆者は1983年4月6日に青森発上野行の583系「はくつる4号」に乗車した。B寝台は中央に通路があり、その両側に通路と平行して寝台があった。昼間は2人掛け座席として使う下段はA寝台並みに幅が広く、料金も中段や上段に比べて高かった。それでもやはりB寝台だから、どの段も天井は低く、座ると頭をぶつけるくらい。

ところが、電動車のパンタグラフの下だけは屋根が低く、B寝台の上段がなかった。筆者が乗った3段式B寝台の中段はそこだった。ブルートレインブーム全盛期だから、そんな情報も仕入れて寝台券を買った。下段は大きな窓がそのまま使えたけれど、中段と上段は小さな明かり取りの窓があって、引き戸をスライドさせると外の景色を覗けた。いまとなっては懐かしい思い出だ。

なぜ日付まで覚えているかといえば、到着日の翌日、4月8日は筆者の誕生日で、高校の入学式でもあったから。個人的な話で恐縮だけど、583系のラストランも4月8日。581系のデビューから50年。筆者もその日に50歳になる。多少の縁を感じる。

パンタグラフの真下は上段寝台がなく、中段の頭上高が少しだけ高かった。同じ寝台料金でもちょっとお得な気分だ

583系はその後、近畿・九州間の寝台特急、東北方面の寝台特急からは早々に引退した。客車の夜行列車が2段寝台になり、サービスが向上する中で、3段式の電車寝台は見劣りしたからだろう。日中の列車で使うにも、他の座席特急が2人掛けリクライニングシートが当たり前になっていた。583系のボックス型の座席は、ベッドになる分だけ普通列車より前後方向が広かった気がするけれど、昼行特急列車としては格下といえた。

583系から昼夜両用のメリットが失われると、活用する場所も減る。夜行列車として最後まで残った定期運用は、大阪~新潟間を結ぶ急行「きたぐに」だった。余った583系車両は近郊型電車に改造され、普通列車として運用された。屋根が高く、中間車を改造した先頭車は「食パン電車」と呼ばれた。これらはひと足先に全車引退、廃車された。

筆者が最後に乗車した583系は、東京~鎌倉間で運行された臨時列車で、婚活列車の取材だった。ここでは、昼行特急としての弱点だった「広めのボックスシート」が、男女2名ずつの語らいの場にちょうど良いサイズとなっていた。583系の意外なメリットを見出したようでうれしかった。これからも婚活車両として売り出せばいいと思ったほどだ。

団体臨時列車の中には583系ならではのアイデアもあった。通路を挟んで片側だけ寝台をセットし、反対側は座席のまま。参加者には座席と寝台をセットで販売する。寝室と居間をくっ付けた格好で、グループ旅行も盛り上がりそうだ。筆者は乗車する機会がなかったけれど、これは583系ならではの使い方だと思う。583系の引退理由は老朽化だけど、このコンセプトを生かした新しい団体用車両があったらいいなと思う。

昼も夜も運行できる特急形寝台電車として誕生し、高度成長期に大活躍した寝台座席兼用電車583系。当初は大量輸送時代の昼夜兼用のアイデア、晩年は新しい団体用車両のあり方を提供してくれた。最後まで鉄道の旅の楽しさを見せてくれる電車だった。もう同じ企画で設計される車両は現れないだろう。

余談ながら、高運転台タイプの485系も3月のダイヤ改正で定期運用から引退する。485系はリゾート列車に改造されたグループもあるものの、こちらも時間の問題だろう。面影が変わったとはいえ、国鉄特急全盛期の車両が消えていくのはやはり寂しい。