株式会社リコーが昨年11月に発売した「RICOH THETA(リコー・シータ)」は、ワンショットで360度を収められる、世界初の全天球カメラである。撮影した画像は、スマートフォンやPC上で構図を変えて楽しむことができる。この新しい映像体験をもたらすデバイスは、どのようにして生まれたのだろうか。RICOH THETA開発責任者である生方秀直氏と、プロトラブズ社長トーマス・パン氏とによって行われた対談を、前後編でお届けする。

「場を共有する」という楽しみ方のために

株式会社リコー コーポレート統括本部
新規事業開発センター VR事業室室長
生方秀直氏

トーマス・パン氏(以下 パン氏):THETAは、すごく特徴的な製品ですので、まずはその誕生のヒストリーというか、どのような経緯でこのアイディアが生まれたのか、教えていただけますか。

生方秀直氏(以下生方氏):はじまりは2009年12月のことです。現会長で、当時社長の近藤から「リコーのコンシューマー事業を伸ばしたい」というトップオーダーがありました。そこで、「既存のカメラ事業を伸ばす」「リコーの光学技術を使った新しいものを生み出す」という2つの検討チームが立ち上がりました。

パン氏:トップダウンで始まったプロジェクトなんですね。つまり「既存の強化」という方向と「新規の創造」という方向の、異なる思想にあわせてチームを編成した、というわけですね。

生方氏:そうですね。前者のチームはカメラ事業部が中心でしたが、後者の「事業創造チーム」は、社内のいろいろなところから人を募集しました。検討会を重ねていき、2010年の4月にトップ答申をしたのですが、その時に提案した内容は「その場の雰囲気をすべて撮影できる」「スマホと連動する」「非常にコンパクト」「その場でパッと撮れる」「撮影した写真をソーシャルメディアでシェアして楽しむ」というものです。こうした発想がいまのTHETAに繋がっています。

パン氏:では、最初からハードウェアだけではなく、スマホ連動というコンセプトがあったと。

生方氏:はい。当時はTwitterによる写真のシェアが流行りだした頃で、僕らも身内でそれを楽しんでいました。その中で、写真としてのクオリティは低くても、「そのシチュエーション」をソーシャルメディアで共有すると輝く、という事を発見したんです。例えば、居酒屋のビールの写真なんて、被写体としての価値はあまりありません。でも、その写真を仲間と共有すると「お、飲みはじめたんだ。いいね」「どこで飲んでるの? 俺も行くよ」と盛りあがりますよね。

その場の雰囲気をすべて撮影できる

スマートフォンと連動

パン氏:たしかに、リアルタイムで画像とシチュエーションを共有できるスマホというプラットフォームが登場したからこそ、生まれた楽しみ方だと思います。スマホ以前では、静的でその場かぎりの画像だったものが、まったく新しい、今までとは別の命を得たような感じですね。

生方氏:まさにその通りです。単純にカメラで一部を切り取るのではなく、その場全部を、私もあなたも空間も、すべてをキャプチャして共有できたら、もっと楽しいだろうと考えました。この「場の共有」というのが最初のコンセプトです。

「メイド・イン・ジャパン」が可能にした生産技術

プロトラブズ合同会社社長&米Proto Labs, Inc.役員 トーマス・パン氏

パン氏:THETAは、非常に愛着の持てる魅力的なサイズとデザインになっていると思いますが、当初からこのような製品サイズで、全天球撮影という機能を確立できるという技術は存在したのでしょうか。もしも存在しなかったのであれば、その開発のプロセスについて、非常に興味があります。

生方氏:社長答申をした時には、技術的な裏付けはなく、ただ紙の上に構想があるだけでした。ですから、開発チームを立ち上げるのにも苦労しました。社内公募やキャリア採用によってエンジニアを集め、2010年秋からようやく、どういう技術方式にしようかという検討を始めたんです。

パン氏:通常の開発は、派生している製品があったり、研究のブレークスルーがあった上で、商品化という流れだと思いますが、この場合はまったく違うわけですよね。ゼロベースから新しい技術を製品化しなければならない苦労があったかと思います。

生方氏:コンセプト先行型なので、「持ち歩きたい」とは言ったものの、そもそも、そんなに小さなサイズにできるかどうかも分かりませんでした。レンズも一眼から十二眼まで検討していました。最終的に今の形にまとまったのは、偶発的ですね。

全天球撮影を手軽に楽しめる

THETAは屈曲光学系を中に入れています。ストレートだと光の焦点が長くなってしまうのを、曲げることによりぐっと小さくするという技術を最終的に編み出して、ここに至っています。

パン氏:屈曲させるという事は、その分、散光率が高くなり、解像度や鮮明度が厳しくなるなど、さまざまな光学的な問題が発生するのではありませんか?

生方氏:ええ、一番難しかったのは、メカニカルなズレですね。真ん中にプリズムが入っているのですが、その位置を「二眼」に対して決めなければなりません。ところが、こっちの目玉に合わせるとこっちがズレる、ということが起きてしまう。両方にビシッと合わせる技術が必要でした。

パン氏:なるほど、そうすると正確な位置決め技術を開発するだけではなく、いかに安定して量産するかが重要になってきますね。

生方氏:おっしゃる通り、設計図を書くだけでなく、その量産技術を開発することが、今回の肝でした。THETAは外に出さずにリコーの子会社の工場で生産しており、その方式はすべてパテントの出願を終えています。この種のガジェットとしては珍しいと思いますが、「メイド・イン・ジャパンの技術」で作っています。

パン氏:素晴らしいですね。

最小の外見と最新の中身

パン氏:屈曲光学系の技術は、以前からやっていらしたのでしょうか。それとも今回、必要に応じて開発されたのですか?

生方氏:われわれも光学メーカーとしては長いので、いろんなシーンで屈曲光学系を使う機会はありました。ただ、カメラに対してこういう使い方をするのは、初めてのことです。考えて考えて考えて……、こうやったらなんとか小さくなるだろう!と、ひねり出した結果ですね。

パン氏:たしかに小さいですね。幅20ミリくらいですか?

生方氏:レンズ部分は22.8ミリですが、それ以外の幅は17.4ミリです。

パン氏:手にとって横から見ると、非常に可愛いですね。両端に突起しているレンズがまるで金魚の目のように、生きている感じがします(笑)。

生方氏:レンズの中にふわっと球が浮いているような、独特の見え方がしますよね。全天球イメージを撮影するためだけに作った、世界初のレンズですが、たまたまそういう可愛らしさが生まれました。

パン氏:画像データは、どのような処理をして全天球イメージに加工しているのでしょうか?

生方氏:撮影段階では、2つの画像がちぎれているので、数秒間で繋ぎ合わせるスティッチング処理をしています。これも、うまく繋げるのには苦労しました。パソコンを使えばもちろんできますが、全部を小さなカメラの中に封じ込めて、しかも時間をかけずに、できるだけ視差の無いなめらかな繋ぎ方をする、というのは独自技術です。

パン氏:ということは、スマホ側のアプリで処理するのではなく、カメラの内部プロセッサーが自動的に行うのですね。

生方氏:ええ、ユーザーにとっては非常にシンプルな製品です。極限までユーザーインターフェースをそぎ落としていますし、調整する部分は基本的にはありません。その代わり、小さな内部には非常に複雑な機能を封じ込めています。中には、これまでの世の中には無かった最新のテクノロジーが詰まっていますが、外は、なんのことない棒のよう。そんなふうに仕上げてあります。

さまざまな新技術によって生み出された「THETA」。その発売から半年が経過し、市場からはどんな反応があったのだろうか? そして、全天球撮影用レンズは、今後どのような映像体験をわれわれにもたらすのだろうか? 後編では、その可能性についてお伝えする。