(第1回はこちら)

宇宙のヒエログリフを解読するために

1993年11月、ESAによって「ロゼッタ」の計画変更が正式に決定され、プロジェクトは再スタートを切った。

ロゼッタ(Rosetta)という名前は、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際に、エジプトの都市ロゼッタで発見された石柱「ロゼッタ・ストーン」に由来する。ロゼッタ・ストーンは古代エジプトで使われていたヒエログリフと呼ばれる文字を解読する手がかりとなった。

彗星には、今から約46億年前の、太陽系が誕生した当時の状態が保存されていると考えられており、「太陽系の化石」とも呼ばれている。ロゼッタによる探査で、太陽系の誕生や、こんにちの姿になった過程、そしてまた地球の水や生命が誕生した経緯といった、多くの謎が解き明かされるかもしれない。ロゼッタと名付けられた背景には、「宇宙のロゼッタ・ストーン」になるようにとの期待が込められていた。

一方、ロゼッタに搭載される小型の着陸探査機は「フィーレイ」(Philae)名付けられた。フィーレイはナイル川にかつて存在した島の名前で、ロゼッタ・ストーンと同じくヒエログリフを解読する手がかりとなった、オベリスクが発見された場所である。現在ではアスワン・ハイ・ダムの建設によって水没しているが、オベリスクは現在も保存されている。

なお、Philaeをどう読むかについては、ESAでも、それを報じるメディアでも混乱が見られたが、ESAではおおむね英語読みに近い「フィーレイ」、もしくは「ファイリ」と発音しているため、本稿ではその読みのうち前者を採用したい。

ロゼッタ (C) ESA

フィーレイ (C) ESA

彗星に着陸する洗濯機

ロゼッタの打ち上げ時の質量は約2900kgで、宇宙探査機としては大型の部類に入る。一方、フィーレイは100kgほどの小さな探査機である。本体は六角柱の形をしており、縦・横・高さは1mほどで、よく家庭用の洗濯機に近い大きさだと表現される。

フィーレイには10基の観測機器が装備され、彗星核を間近から、そして直接触れて探査することができるように造られている。

また探査機の下部には3本の脚があり、この脚で彗星の表面を踏みしめる。チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は重力が小さいため、単に表面に向けて落としただけでは、弾んで再び宇宙空間に飛んでいってしまう。そこで、脚の先にはドリルが装備されており、脚の1本が彗星表面に触れた瞬間に、そのドリルを地面に潜り込ませ、機体を固定する。また機体の上部には、彗星表面に向かって機体を押さえつけるように噴射するための小さなスラスターも付いている。さらに機体下部には銛も装備されており、スラスターで機体が浮かび上がらないようにしつつ、さらにすかさず銛を撃ち込んで、機体を彗星に固定することができるようになっている。

フィーレイの着陸脚の先に装備されたドリル (C) DLR

2004年3月2日、ロゼッタと、それに抱きかかえられたフィーレイは地球を飛び立った。そして約10年の長旅を経て、2014年8月6日にチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に到着した。

ロゼッタはさっそく観測機器を駆使し、彗星の周囲を回りながら探査を開始した。同時に、得られたデータからフィーレイの着陸地点も選定された。この場所は公募によって「アギルキア」と命名された。アギルキアはナイル川に浮かぶ島の名前で、かつてフィーレイ島がアスワン・ハイ・ダムの建設によって水没することが決まった際に、島にあった古代エジプト王朝のイシス神殿遺跡を移設する先となった場所である。

そしてフィーレイと、その関係者にとって最も長い一日となる、2014年11月12日が訪れた。

2014年8月6日、ロゼッタから彗星に到着したことを示す信号が届いた瞬間、管制センターは歓声に包まれた。 (C) ESA

到着直後のロゼッタが撮影したチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星 (C) ESA

フィーレイ、発進

11月24日、フィーレイがロゼッタから分離され、彗星に降り立つ日がやって来た。

しかし、分離の直前に行われた確認で、機体を彗星表面に押さえつけるためのスラスターが機能しないことが判明した。噴射する窒素ガスはタンクに入っており、ロゼッタから分離される前に2本の針を使って、ワックスで作られた気密を突き破ることになっていた。しかし針は発射されたものの、タンクからガスは出てこなかった。予備として搭載されていたもう2本の針も発射されたものの、結果は変わらず、スラスターは噴射できない状態にあると考えられた。

このスラスターを使わずに無事に着陸できるのかは誰にもわからなかった。ロゼッタから分離する予定時刻が迫る中、運用チームは、着陸を実施するかどうかの決断を迫られた。だが、延期したとしても、今後スラスターが使えるようになる見通しはない。一方で、彗星は徐々に太陽に近付いていることから、彗星からの塵やガスが噴き出す恐れがあり、着陸のための条件は悪くなる一方だった。

運用チームは12日16時35分(日本時間、以下同)、フィーレイの着陸を実施することを決定した。そして1時間後の17時35分、ロゼッタからフィーレイが分離した。

その信号が届き、地球がその確認を取ることができたのは、約30分後の18時3分のことだった。この時点で、地球とチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の距離は約5億kmも離れている。一方、電波が飛ぶスピードは1秒間に約30万kmであるため、通信のやり取りには片道で30分ほど掛かってしまう。

ロゼッタから切り離されたフィーレイは、ゆっくりとした速度で彗星に向けて降りていった。このときの様子を、ロゼッタに搭載されているカメラが撮影しており、そこには少しずつ回転しながら遠ざかっていくフィーレイの姿がしっかりと写っていた。

ロゼッタから分離されるフィーレイの想像図 (C) ESA

彗星に向けて降下するフィーレイ(ロゼッタから撮影) (C) ESA

64時間の奮闘

フィーレイは約7時間をかけて彗星に向けて降下し、11月13日0時33分に彗星表面に脚が触れた。その約30分後、そのことを示す信号が地球に届いた。その瞬間、管制室では喝采が起き、その様子はインターネットの生中継を通じて世界中に配信された。

しかし、その後データを詳しく分析したところ、事は思い通りに運ばなかったことがわかった。まずフィーレイは0時33分に確かに彗星に着陸していた。しかしスラスターはやはり噴射されず、銛も、作動させるための火薬が不発だったのか、発射されなかったことで固定されず、着陸の反動で跳ね上がり、計3回バウンドしたのち、4回目の接地でようやく落ち着いたのだった。

最終的にフィーレイが降り立った場所は、起伏の多い岩場であった。アギルキアから1kmほど離れたこの場所を、運用チームは「アビドス」と名付けた。エジプト神話に登場するオシリス神が復活したとされる地の名前である。

着陸はしたものの、フィーレイの置かれた状況は芳しくなかった。3本の脚はすべて接地してはいたものの、機体は大きく傾き、脚の1本は宇宙空間を指しているような姿勢だった。さらに、起伏の多い地形の影響で太陽からの光が当たりづらく、太陽電池による発電が十分にできず、バッテリーの容量は徐々に減っていった。

彗星に着陸するフィーレイの想像図。しかし実際にはこの絵のようにはいかなかった。 (C) ESA

彗星に着陸後、探査機から送られてきたデータなどから推定されるフィーレイの姿勢の想像図。太陽の光が当たりづらい彗星の側面に着陸したと考えられている。 (C) CNES

それでもフィーレイは探査を開始し、科学者らが予定していた初期観測の80%あまりを完了した。その後、探査機内のフライホイールを回転させ、その反動で、より太陽光が当たりやすい場所へ移動させることも試みられた。その結果、機体は約4cm持ち上がり、35度ほど回転もしたと考えられているが、しかし探査を続けるには不十分だった。

姿勢を変えた直後から、バッテリーの電力は急減し、機器は機能を停止し始めた。そして11月15日の9時36分には、ついに通信が切れた。ロゼッタとの分離からここまでのフィーレイの活動時間は64時間だった。

しかし、まだ運用が終わったわけではなかった。

チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は、太陽を大きくぐるりと回る、公転軌道を回っている。その軌道は楕円の形をしており、太陽に最も近付いたときの距離は約1億8600万km、逆に遠いときの距離は約8億5000万kmにもなる。つまり太陽との距離や位置関係は時々刻々と変わっており、時期によって太陽に近付くように飛んでいるときもあれば、遠ざかるように飛ぶときもある。

ロゼッタが到着したとき、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星は太陽に近付いていくように飛んでいた。つまり彗星やフィーレイに当たる太陽光の量も、今後徐々に増えていく。そうなれば、太陽電池の発電によってバッテリーが再充電され、再起動する望みがあった。だから運用チームはこのとき、フィーレイのことを「運用終了」ではなく、「冬眠に入った」と表現した。

運用チームは、母機であるロゼッタによる彗星探査と、フィーレイが冬眠の寸前までに送ってきたデータの分析を行いながら、フィーレイが目覚め、ふたたび信号を送ってくる日を待ち続けた。

チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の軌道を示した図(デフォルメされているため正確ではない)。太陽を大きくぐるりと回る、楕円の軌道を回っている。太陽との距離や位置関係は時々刻々と変わっており、時期によって太陽に近付くように飛んでいるときもあれば、遠ざかるように飛ぶときもある。 (C) CNES

(第3回は2月25日に掲載予定です)

【参考】

・Rosetta’s lander faces eternal hibernation / Rosetta / Space Science / Our Activities / ESA
 http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/Rosetta/
Rosetta_s_lander_faces_eternal_hibernation
・Rosetta arrives at comet destination / Rosetta / Space Science / Our Activities / ESA
 http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/Rosetta/
Rosetta_arrives_at_comet_destination
・Europe's comet chaser / Rosetta / Space Science / Our Activities / ESA
 http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/
Rosetta/Europe_s_comet_chaser
・The Rosetta lander / Rosetta / Space Science / Our Activities / ESA
 http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/
Rosetta/The_Rosetta_lander
・Touchdown! Rosetta’s Philae probe lands on comet / Rosetta / Space Science / Our Activities / ESA
 http://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/Rosetta/T
ouchdown!_Rosetta_s_Philae_probe_lands_on_comet