【コラム】

PERSON

1 長谷川義幸(JAXA) - 「やりがい? ありすぎですね」

    井原久美子  [2006/05/08]

    インタビュー

    JAXA

    独立行政法人 宇宙航空研究開発機構(Japan Aerospace Exploration Agency)。日本の宇宙開発計画を担う文部科学省所管の宇宙・航空分野機関。2003年10月に宇宙開発事業団(NASDA)、宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術研究所(NAL)が統合し、誕生した。

    やりがい?ありすぎですね(笑)

    午後14時過ぎ。長谷川義幸氏は取材場所に駆け込んできた。「いや、朝から電話会議が入っちゃって……」。国際宇宙ステーション(ISS)のうち、日本が開発・運用を担当する「きぼう」日本実験棟の打ち上げに向けて、日々、NASAとの調整が入る。

    「ISS計画参加当初は、相当嫌なことを周りから言われたみたいです。『日本にはできないでしょう、人工衛星しか作ったことがないんだから』と。そこで先輩方が『なにくそ、日本でも作ってみせる』と言って、こういう船内実験室や、ロボットアームがあるモデル(写真a)を計画したんです」
    風呂上がりの時間を使って組み立てた、「きぼう」のペーパークラフト(写真c)を見て苦笑する。
    「最近NASAも言うんですよ、『すごく難しいことをやるんだよね、君たちは』と。もし先輩方がこんなに頑張らなかったら、もっと楽でよかったのに(笑)」。

    頭を抱えるが、ここに来るまでに約30年かかった。長谷川氏がJAXAの前身、宇宙開発事業団(NASDA)に入社したのが1976年4月1日。不況に就職難。当時は宇宙開発といっても、誰もピンと来なかった。
    「でも、たまたまウチの学校がNASDAの指定推薦校の中に入っていて、先生が『君に推薦書を書いてあげよう』って。その紙1枚が私をこの世界に送ってくれたんです」


    「きぼう」日本実験棟(JEM)

    それから、NASDAの人工衛星追跡管制部に11年、外部の宇宙通信に2年。通信衛星「スーパーバード」の打ち上げに関わり、人工衛星の勉強は終わったと思った。
    「有人宇宙機だと厳しさが全然違うというのは盛んに聞いていたし、その厳しさが、どのくらい厳しいのかを知りたかった」
    そしてJEM開発・運用プロジェクトチームへ。ファンクションマネージャー、マネージャーを経て、2003年11月、プロジェクトマネージャーに就任した。チーム最大の課題は"宇宙飛行士の命の保証"。アポロ13号、チャレンジャー号、コロンビア号。「きぼう」の開発にあたっては、過去の有人宇宙機が経験した"失敗の原因"をクリアしていかなければならなかった。
    「だけど、1個1個克服してやってきた。『きぼう』の船内実験室をケネディ宇宙センターに船で送ることになった時は、心配でね。船が沈むんじゃないかと」

    定年まであと5年余り。プロジェクトマネージャーも長谷川氏で十数代目になる。これで最後---退任前に、日本史上初の有人施設を宇宙に打ち上げ、有終の美を飾る。
    「ここまで来たからには上げるんですよ。上げて、日本人の宇宙飛行士が活躍するのを見せる。WBCみたいに、イチロー君が頑張ってくれて、みんなが良かったと言える。そんなふうになればいいじゃないですか」

    打ち上げが成功したら、自作の「きぼう」ペーパークラフトを持って、記者会見に臨む予定だ。

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