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初恋、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
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(※私は明の世代です)

先日、とある人気男性声優がじつは既婚で子持ちだった、という写真週刊誌の暴露記事が話題になった。私の周囲にもファンの多い人物で、その日たまたま一緒に食事をしていた女友達はスマホ片手に奇声を発して崩れ落ちそうになり、帰宅後もしこたま自棄酒を呷ったらしい。一方で別の女友達は、「共働きで、幼稚園か……余裕あるな……」とだけ静かにつぶやいた。

え、まずそこ!? と、大層驚いた。好きな男性芸能人が自分以外の女と結婚してショック、という気持ちは私にも理解できる。「毎晩あの美声で絵本の読み聞かせをしてもらえる子供が羨ましい」という感想にも、なるほどたまらん、と思った。しかし、幼子を抱えるイクメンの姿を見てすかさず「夫婦共に個人事業主としてあれだけの仕事をこなしながら、いやそれだけの収入があるからこそ、幼稚園に入れられたのか……」と分析を始める発想は、私にはなかった。

言うまでもなく、前者は夢見る独身貴族、後者は保育園児の母。彼女たちの反応を分けたのは「育児」という節目である。「結婚して配偶者はいるが、子供はいない」私は、ちょうど両者の狭間にいる。弟や甥姪や友達の子を抱き、おむつを替えたり食事を与えたりしたことならあるが、「育児」はしたことがない。

消えたピンスポット

「子供を持ってみて変わったこと、それは、もう自分が人生の主人公じゃなくてもいいんだな、と思えたこと!」

周囲に子育てを始めた友達が増え、頻繁にそんな物言いを耳にするようになった。「息子がLv1の『勇者』で、私はLv50の『女僧侶』みたい。編成を変えて一緒に成長していく感じ」とRPGのパーティーに喩える子、「大抜擢された新人主演女優の脇を固めるベテランキャスト」と心境を語る子。「若い頃は、80歳まで生きるなんて長すぎると思っていたけど、これがもし人間以外の動物だったら、子を育てきればそこで俺の『仕事』は終わりなんだよね」。そう思うとずいぶん生きるのが気楽だし、老後だって楽しみ、と言う子もいた。

惜しみない愛を注がれてわがまま放題に育ったプリンセス、20代で目もくらむような派手婚を挙げたときも立ち会った、いつもいつでも、この世はアタシを中心に回っているのよと言わんばかりだったあの幼馴染が、SNSに我が子の写真しか投稿しなくなったのは、いつからだろう。お弁当、お弁当、サッカーの試合、恐竜博、またお弁当、寝顔、実家、お弁当。ひょっとしたら彼女も、人知れず胸を撫で下ろしているのだろうか? 自分がもう世界の中心ではないことに。絶え間なく注がれる愛を浴び続ける側ではなく、惜しみなく注ぐ側へ移行したことに。しかるべきタイミングで現役を退いて、未来ある若者へと選手交代したことに。

彼らの人生は依然として彼らのものなのだが、たまに「成仏した」と形容したくなるような表情を見せる。かたや私は、家族や友達の連れてくる小さな子供たちと遊んでいると、半日ともたずにグッタリ疲れてしまう。そして「こっちは有難いけど、そんなに全力で気合い入れて子供の相手をしていたら、毎日は続かないよー」とカラカラ笑われる。年中無休で稽古と本番と地方巡業が続き、舞台に出ている時間こそが日常となっている「名脇役」たちの余裕たっぷりな表情である。

社会に出たばかりのチヤホヤされる若い時期を過ぎ、なんとなく表舞台を下りたような気になっていたけれど、私はまだまだ彼らと違って「主役」の人生を生きているのだった。「子供と遊ぶワタシ」という自意識にスポットライトを一身に集め、ついつい肩肘張ってしまう。もしこの調子で、何の心構えもなしに「主役」として「育児」に臨んだら、一世一代のチャンスを無駄にせず完璧に成し遂げたいと身構えて、きっとノイローゼまっしぐらだろう。

みさえ、ひろし、しんのすけ

ところで私は、幼児語の「パパ」「ママ」を卒業した10歳くらいから、父母を名前で呼ぶようになった。共に暮らすうち、単なる血縁を超えて彼らを「個」として尊敬するようになったからなのだが、たまに「『お父さん』『お母さん』と呼びなさい!」と叱られることもあり、そのたびに憮然としていた。母が保護者会で「××ちゃんママ」などと呼び交わし合っているのも腹が立ったし、父が「○○さんの奥さん」の下の名前が思い出せず年賀状を「○○様+皆様」という宛名で書くのも失礼だと思った。名前を軽んじることは「個」を軽んじることじゃないか。

社会人になってからも「それじゃ、おたくの部長さんによろしく」と言われて「△△ですね、しかと伝えます!」と威勢良く言い返していた新入社員だった。「そちらの局長さんはどうお考えかな?」「□□ですね、至急確認をとりお返事いたします!」「じゃあ担当さんも頑張って」「岡田です、ありがとうございます!」。

だが今にして思えば、彼らが遠隔の挨拶を交わし、水面下で意向を尋ね、労いの言葉をかけたかったのは、「個」ではない。意見が対立するとき、問題を訴えるとき、失態の責任を問うときだって、同じだ。労働組合活動をしていた頃は、経営陣を指す「社側」という言葉の便利さに舌を巻いた。我々の要求は断固通さなければいけないが、それはお世話になった社長や涙もろい局長、親会社との板挟みに遭う部長を「個」として非難しているわけじゃない。

「おまわりさん」「看護師さん」「兵隊さん」といった言葉も、彼らが総体として社会的に果たす責務と役割、職能に対しての呼びかけで、個人としてあーだーこーだは不問に処される。育児の過程で誰もが避けて通れない、あの「××ちゃんママ」という没個性的な呼び方にだって、ひょっとしたらそういう効果があるのかもしれない。

「ママのことはちゃんと『お母さん』と呼びなさい!」と怒られた。親を親と思え、と怒られていたのなら、今はその意味もわかる。回復魔法を授けてくれる人を女僧侶と、街を巡回し平和と安全を守る人をおまわりさんと、元選手で今は後進の指導に当たる人をコーチと呼ぶように、「育児」に責任を負い、役割期待に応え、愛を注ぎ犠牲を払う人のことは、相応の一般名詞で呼びなさい。あなたこそがこの物語の「主人公」なのだから、その他の登場人物を、それに相応しい名称でお呼びなさい。

親元を離れて独立した私が今も父母を名前で呼ぶことを、父母はもちろん、もう何も言わない。そして母は、30年前は互いに「××ちゃんママ」と呼び合っていた戦友たちと、連れ立って遠方へ旅行へ出かけたりしている。私と××ちゃんとはもう十何年も疎遠なのに、育児という戦場で背中を預けあった彼女たちは、子供の名でも夫の姓でもなく、やっと取り戻した下の名前で互いを呼び合い、60代の今も大親友である。

それでも人生は続く

人生の「主役」を降りるような「節目」が、いつか私にも訪れるのだろうか? たとえ血を分けた我が子でなくとも、誰かうんと小さな新しい「主人公」が私の物語に踊りいでて、ものすごいパワーで引きずるように私の人生を変えていく。そこには「個」として生きるのとは異なる充実があり、あるいは写真週刊誌の記事一つとってもまるで違う読み方になる、別の視界が開けているのだろうか。

本当に来るのかわからないけれど、心に決めていることがある。そのときは、その新しい「主人公」に、自分とまったく同じ道を歩ませようなどとは思わないことだ。それがどんなに平穏で絶対安全な選択肢であったとしても、私が経験したのと同じ道を踏ませるだけでは、ただ自分のコピーや代替物として成長させるだけでは、その子を育てる意味がない。「節目」が人生を狂わせるものなら、私の人生の「主人公」を譲ったその他者とともに過ごす、予想だにしない展開をこそ面白がりたいと思っている。


岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。

イラスト: 安海