---------------------------------------------------------------------------
初恋、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
---------------------------------------------------------------------------

2015年7月3日

今は、Amazonで何でも買える時代になった。しかも、どれも安い。数千円で二組のマットレスを買い、フローリングに直に敷いて寝てみるとちょっと身体が痛いかなということで、追加した敷き布団も数千円、数日と待たずに届いた。たかが二箇月、されど二箇月、必要最低限で暮らすとはいえ、寝覚めが悪くてはいけない。新婚のとき奮発して買った贅沢なダブルベッドは、すでにこの部屋にはない。

今は、毎日毎日、階下のゴミ集積所へ二袋分くらいのものを捨てに行く。一日二袋というのはちょっと頼りないペースだが、毎日毎日コツコツ捨て続けることのほうが大切だ。未練が断ち切れずにいるものは、部屋で組み立てた巨大な段ボール箱に放り込んでおく。機会があればまだ着たいと思う服、廃番で二度と買えない使い古しの文房具、古書店で値はつかないが私にとっては大切だった小冊子の類。数日経って、わざと乱雑に放り込んだ箱の中を覗くと、渦巻いていた未練が少しだけ減じているのを感じる。目をつぶって、次はゴミ袋に放り込む。

今は、引き出しの奥に溜め込んでいた日用品のストックをばんばん出している。旅行するたびつい持ち帰っていた宿のアメニティ、シャンプーやコンディショナーの小ビンを、シャワーの脇にずらりと並べて順番に使いきっていく。家族と旅しているときは持ち帰るのが当たり前で、恋人と旅すると「貧乏性だなぁ」と笑われ、女友達と旅すれば「えっ、私は自分で選んだ香りのしか使わない、絶対」と呆れられた、さまざまな小ビン。一人暮らしの頃は近所の銭湯へ通うときの必需品だったのだが、今は、銭湯へ行くより旅に出る頻度のほうが増え、いつの間にかものすごい数が余るようになった。ティッシュペーパーの買い置きも、全部は使い切れないだろう、今からでは。

今は、やたらと眠くて、残された日数には限りがあるのに、取り返しのつかない一日を、なぜかたっぷり寝過ごしてしまったりしている。あちこちのカレンダーに掲げられている七月のイメージといえば夏休み、縁側にスイカ、花火、ビアガーデン。しかし実際は梅雨時のじめじめした空気が重く身体にまとわりついて、長靴を履くかどうかでその日の服装が決まり、袖のない服には冷房除けのカーディガンを羽織り、でも蒸し暑さに気持ち悪くなって脱ぐ、帰宅すると除湿機をかけてうとうと寝てしまう、晴れたらもうちょっとしゃんとして頑張ろうと思う、そんな日々が続く。気候変動の影響もあるにはあるのだろうけど、子供時代の思い出に残る七月の輝かしさとはずいぶん違う。大人の七月には、まだ六月がのさばっている。下手すると五月病だって治っていない。今週から下半期? 冗談でしょ!

今は、一つ前の「節目」と来るべき「節目」の、狭間の時期を過ごしている。住まいを選び替え、引っ越しをするたびにテンションが上がり、こんなに楽しいことはきっといつまでも色褪せず私の記憶に残るだろう、と思うのだけど、喉元過ぎると熱さを忘れて、すっぽり三箇月分くらいの記憶がない。狭間の時期は、慌ただしい。常ならざる状態が長く続いているのに、その有様を日記に書きとめておく暇もない。後になって鮮やかに思い出すのは「節目」「節目」の出来事だけで、その途中をつなぐ期間どんなふうに過ごしていたのか、「初めて」の一歩手前にどんな気持ちでそこへ踏み出していったのか、人は簡単に忘れてしまう。

今は、今で、これまで通り過ぎてきた「節目」とは違う。ここから先に起こることは、まだ自分のものになっていないし、先取りして体験として書くことはできない。0歳からの人生を書き続けて、とうとうそんな地点にまで追いついてしまった。

今、から、ちょうど一箇月後には、私はまた新しい場所へ引っ越している、予定である。ただし、月末に大使館からちゃんとビザが下りていればの話。次なる「節目」、初めての海外生活が始まる。

まだ見ぬ日々へ

「今すぐやるべきこと」リストに則って行動の優先順位を決めていたのは、20代半ばくらいまでだったろうか。大学を卒業した頃か、就職先で落ち着いた頃か。それまでは、いついかなるときも、すべきこと、優先度の第一位が、はっきり決まっていたように思う。無事に春学期の単位を取得すること、月末までに目標金額を貯めること、一生使える書類用キャビネットを見つけること、といった明確なゴールがあり、もちろんそれなりに迷いはあったが、おおまかな方角は見失っていなかった。

ところが30歳を待たずに、「あと人生でやってないこと、なんだろう?」と指折り数えるようになった。そんなに波乱万丈な人生を歩んできたわけでもなく、何か特別な経験を豊富に持ち合わせているわけでもないが、一生使えるキャビネットは見つかり、似合わない流行りの服は着なくなり、他人を羨むことが減った。あれもこれもやっちゃったよなー、何度でもやりたいとは思わないよなー、やる前からしなくていいやとわかることも増えたなー、じゃあ、あと、何をすればいいんだろう?

人生経験値を上げる「節目」には、ネガティブなものも多い。骨折で入院したことはないけど打撲でギプスはめただけで十分、就職はしてよかったけどリストラは避けられるなら避けたい、「やるべきこと」リストは減り、「やりたくないこと」リストは増え、「やってみたいこと」を別項として立ててみると、数えるほどしか残っていなかった。その一つが「海外留学」である。

学生時代の友人たちが次々に各界で実績を上げ、そのうち幾人かは学校へ戻って教鞭を執るようにまでなった30代半ば、私だけもう一度「学生」の身分に戻るというのは、我ながらカッコ悪いような気もするのだが、「カッコつける」というのは若い時分にさんざんやってもう「やりたくないこと」リストに記されている項目なので、深く考えないことにした。18歳で大学に入学した頃、親と同じ年くらいの社会人学生たちと机を並べていたことも思い出す。彼らの情熱や貪欲さは、カッコよかった。

大学に入り直そう、と決めるやいなや、「やるべきこと」リストがみるみる埋まった。まずはTOEFLの勉強、参考書と耳栓を買って塾に通い、入学試験の課題制作やポートフォリオを作り、ビザ申請のためあちこちへ書類を提出し、成績証明書をもらいに十数年ぶりに卒業した大学キャンパスへ出向き、会ったことのない人々と知り合い、仕事を整理して引っ越しを進める。20歳の同級生と机を並べ、比較され批評され助け合い、還暦過ぎの教授にひとまとめに「ガールズ!」と呼ばれ、「あなたは誰?」ではなく「将来は何になりたい?」と尋ねられて面食らい、新しく必要なものを学割で買う。

「やるべきこと」リストに振り回されて、あっという間に季節が過ぎていく、それは仕事も学業も同じなのだが、こんなふうに明確にゴールの見える毎日は久しぶりだった。少女時代はその、あらかじめ誰かにゴールが定められている感じを窮屈に思っていたが、世の中のままならぬことを数多体験した大人にしてみれば、やればやっただけ前に進むこの感じも、それはそれで楽しい。

今は、ちょうど大学から入学許可書が発行されて、申請したビザが下りるのを待っているところである。もう飛行機のチケットを取ってしまったのに、なかなか書類の手続きが前に進まず、気が逸っている。大きな家具はすでに船便で送ってしまったので、部屋の中はがらんとしている。耳栓と参考書は持っていくが、敷き布団とマットは使い捨てていく。スケジュール帳もがらんとしていて、今月までの予定はすべて日本語でびっしり記されているのに、来月からの予定は母語に翻訳されぬまま書きなぐってあり、ほとんど埋まっていない。花火とビアガーデン、この夏は行けないかもしれない。

渡航先でもろもろの手続きが終わり、住まいと身分が定まるまでは、仕事の予定さえ立てることができない。「女の節目」の連載も、しばしお休みをいただくことになる。「今」の状態が落ち着いたら再開して、ここから先は、私たちを待ち受ける「まだ見ぬ」人生の節目について、考えていきたい。過去を振り返るターンから、未来へ想いを馳せるターンへ。「あなたはどちらを選択した?」ではなく、「将来はどちらを選択すると思う?」に答える、「今」の一歩先へ。

<今回の住まい>
人生経験値という意味で、私に圧倒的に足りていないのは「住まい」の要素である。ずっと実家暮らしをしている友達がいて、生まれてから一度も引越をしたことがないと言う。「えーっ、信じられない、一人暮らしは楽しいよ、一度くらい経験しなよ、もったいない!」なんてドヤ顔で吹かすのだけれども、私はといえば、日本の、東京、しかも23区内のごく一部分にしか住んだことがない。日本そして世界のあちこちに住んだことのある友達たちから「えーっ、信じられない、一度くらい違う街に住んでみなよ、もったいない!」と言われ続けて幾星霜、ついに住まいを替えることになった。経験は多ければよいというものでもない、一つの家に長く住み続けるよさだって あるけれど、新しい出来事が増えればワクワクする。


岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。

イラスト: 安海