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初恋、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
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華燭の典に招かれて

一緒に育った幼馴染、タメ口をきく大学の同輩、両親の友達の息子や娘。「同年代」のよく知る人々が、次々に結婚していったのは20代後半のことだ。大学入学と同時にサークル内で付き合いはじめた彼氏と、学部卒業と同時に結婚した女友達の結婚式に招かれたのが一番最初で、つまりあれは22歳くらいか。当時の私はまだその意味がよくわかっていなかった。毎年の同窓会と似たような感覚で結婚披露宴へ出向き、必死でマナーブックを読み込んだにも関わらず、ずいぶん無礼な態度を取った。

そこから続く数年間、私はいつもクローゼットに、よそゆきの膝丈ワンピースを欠かさなかった。花嫁衣装の白色と被らない、といって極端にドギツい色柄でもない、ちょっと光沢があってお嬢さん風に見えるデザインの、地味なやつ。同じ友達と招かれた別の式と被らないように、スペアをもう一着。肩を露出させないふわふわした羽織りもの、口紅とデジカメを入れて満杯の小さなハンドバッグ、普段は絶対に履かない肉色のストッキングと、足をすっぽり覆う形状のピンクのパンプス。ご祝儀袋も買い置きがあり、香典袋や数珠と一緒にしまってあるが、出番の数は桁違いだった。

最近はようやく、着たい服を着て行って祝いたいように祝うようになったが、当時はなんだか、それが許されない張り詰めた空気があった。派手なドレスを選べば周囲から浮くだけでなく、高砂からも歓迎されないように感じる。「親友を心から祝福する、独身未婚の新婦友人代表」には、着るべきワンピース、羽織るべきボレロ、撮るべき集合写真と、泣くべきタイミングがあるのだ。茶番は承知だ、今日くらいは私の晴れ舞台、一世一代のコスプレに上手に付き合え。そんな無言の圧力を感じて、練りに練ったスピーチ文を、2オクターブくらい高い声で読み上げたりもした。

私にとってはただのよくある土曜のパーティー、交際費から割り切れぬ額の札を抜き出して、おいしいフルコースを堪能し、大変身した友達の写真をパシャパシャ撮って、同じテーブルについた旧友たちと近況報告し合い、引き出物の包みを物色しながらトボトボ帰る。それだけ。でも、彼ら彼女らにとっては、一生に一度あるかないかの、大きな大きなセレモニー。誕生日パーティーなんかよりもっとずっと、彼ら彼女らの求めるものを真摯に演じてやらねばならない。ビンゴ大会にはしゃぎ、初対面の新郎友人たちの集団と楽しくもない三次会へ流れ、訊かれれば連絡先を教え、一種独特なそれらのノリに、応じ続けなければならない。

ずっと独身でいるつもり、だったアラサーの私にとって、「結婚」とはすなわち、こうした「結婚式」のことだった。「結婚」と言われれば、まず白くて長いヴェールやブーケトス、一対の指輪を横たえるピロー、ステンドグラスにキャンドルサービス、一口サイズの焼き菓子、大騒ぎの宴のあとで役所の夜間窓口へ届けられる婚姻届、けっして連絡など寄越しやがらない三次会で隣に座った新郎友人、などを想起した。「20代未婚の新婦友人」とは、そういうものなのだ。

いつまでも変わらぬ友を

もちろん、自分で経験した今となっては、「結婚」という言葉からまず想起されるものも変わる。それは、かけがえのない相手との共同生活におけるさまざまな助け合いの精神……具体的に言うと、朝食後にトイレへ入る順番を譲り合う駆け引き、便座から宅配便業者の鳴らす呼び鈴の応対を頼む怒鳴り声、受け取ったAmazonの箱の重みから今度は何をポチッてどんな無駄遣いをしたのだと勘繰り合う応酬、罪滅ぼしとして請け負う朝食の皿洗い、といったような、一連の他愛ない日常である。

だから、たまに実家へ帰省した際、居間の写真立てにウエディングドレス姿が飾られていると、ほんの2年前の出来事なのに我がこととは思えなかったりする。我がことだけではない。いつでもやたら物持ちのよい私は、部屋を片付けていて友人からの結婚披露宴の招待状を発見し、今はもう小学生になった息子の送迎に追われている共働き夫婦が、かつて恋人同士としてこんなに手の込んだカードを何百通と自作していた夜もあったのかと、何度でも驚くことがある。みんなで、せーので、熱に浮かされたように迎えた、あの「節目」。ひとたび過ぎてしまうと、考えれば考えるほど、「なんであんなことしたんだろ……?」と我に返る、あの「節目」。

といって、何もかもがただ形式的で一過性で無意味だった、とも言い切れないのが、この節目である。1日限りのブライダルパーティーが見せる華やかさ、狂乱の裏に隠れてその刹那にはよくわからないが、日が経てば経つほど、「二度と戻れない橋を渡ってしまった」という手応えをしみじみ感じるようになる。まぁ、無自覚な人はずっと無自覚なまま、何年でも平和な結婚生活を送るのだろうけれど、気づいた人は、ずっと気にかけずにはいられない。

20代後半、同じ世代の何人かの男友達が、立て続けに結婚することになった。時代の流れもあったのだろう、彼らの多くは「地味婚」を選び、披露宴には田舎の親族だけを集めるので、仕事仲間や友人には電子メールによるご報告だけで済ませたい、と書き送ってきた。ハガキで返す披露宴の招待状と違い、長々と返信が書けるので、私はよくこんなふうに返した。

「おめでとう、おめでとう、どうぞ今後とも、今までと変わらぬお付き合いをお願いします。結婚すると、みんな生活がすっかり変わってしまうものだけれど、せめて我々は、何があっても末長く友達でいましょうね。素敵なパートナーとの新婚生活も、そりゃあ楽しいことでしょう、でも、たまには昔のみんなといつもと同じように一緒に飲みに行けたりしたら、嬉しいです」

もちろん「是非!」とレスポンスが来るのだが、実際は、なかなか実現しない。あまりに実現率が低いので、誰にでも同じように、ヤケクソで書き送った。これを「男女の間に友情は成立するか」という大きな議論にまで発展させるつもりはないが、やっぱりちょっと寂しい。この話、異性のほうが露骨だけど、同性の友人もまた然り。「20代独身の新郎新婦友人」は、仲良く遊んでいた貴重な友達たちを、(時に顔も名前も知らなかったりする)配偶者たちに、一人ずつ奪われていくような心持ちになった。長い年月かけて大事に大事に開拓してきた私の交友関係の地図が、他人の手で、みるみる書き換えられていく。

新郎の身に、新婦の身に、そして友人である私の身にも、取り返しのつかないことが起きたのだ、と、舞い込んでくる「結婚」報告をそんなふうに捉えるようになったのは、いつ頃からだろうか。彼が、彼女が、私が、どんなに「今までと変わらぬお付き合い」を望んでいようとも、「結婚」という節目がやってきて、魔法の杖を一振りするだけで、大きくその実現が阻まれる。やがて子供が生まれ、よそんちの子ほどみるみる育ち、我々の生活はぐんぐんかけ離れて、私の交友関係の地図には、見知らぬ街が生まれたり、消えたり。

彼が、彼女が、私が、ずっと変わらずに昔のままでいることなんて、できないんだなぁ。強烈にそう感じるのが、友人たちからの「結婚」報告だった。たとえ私自身が「結婚」しなくたって、一人で踏ん張って変わらずに止まろうと思ったって、誰かと誰かの間に生じる関係性は、どうしたって変わらざるを得ない。私の人生は、私だけのものじゃない。私が好き勝手に脳内で設計した通りに、ずっと変わらぬ人間関係を築き続けることなど、到底できるはずもない。

立て続けに届く他者からの「結婚しました」ハガキは、そんな通告と思えた。自分まで結婚してしまった今となってはすっかり喉元を過ぎているのだけれど、当時、20代後半独身の私にとって、それを認めるのはとても覚悟の要ることだったのだ。

半分になるか、倍になるか

私の人生は、もう私だけのものじゃない。自分自身が結婚する際にも、当然、そう思わされた。結婚しようという話になってから、私と夫は毎日のように「どうしよう?」「どうしたい?」「どうする?」「それでもいい?」とお互いに問いかけ続けた。

単独行動するときにはおそろしく決断の早い二人である。歩くのも早いし、会話のテンポも早い、昼の定食メニューから食べたいものを選ぶのも早い、そして結婚を決めるのも早かった。ところが結婚前後は探り合いの日々が続いた。「これ、食べてみたい? とったら二人で分ける? それとも一人で一皿食べたい? 全然別のメニューがいい? やっぱり店を変えるべきだった?」といった会話が繰り返された。引っ越しのタイミング、家具の選定、家事の分担、パーティーの招待客リスト、一人で招かれた場所へ配偶者同伴で行くか否か、二人で受けた誘いに本当に二人で出向くか否か、などなど。

「えーっ、結婚したら、こんなことも自分一人で決められなくなるの!?」と、驚きの連続だった。たとえばウエディングドレスだって、「着せてあげないとかわいそうだわ」という新郎母の一言で着ることになり、「花嫁なんだからもっと初々しいデザインになさい」という新婦母の一言で直前に決定をまるごと覆し、親族だけを集めた結婚披露パーティー当日、いかにもなウエディングケーキに入刀するドレス姿の新郎新婦は、「最終的に、これでいかがですかね? これで、ご来賓の皆様全員にご満足いただけましたでしょうかね?」という、なんとも探り探りの表情で写真におさまり、それが今なお、実家の居間の写真立てに燦然と飾られている。すごく象徴的。

そんなふうに意思決定する人生はイヤだなー、と思うなら、あなたは結婚はしないほうがいいのかもしれない。「人は一人では生きられない」という物言いを、私はあんまり信用していない。かつて、かなりの長きにわたり「一人で生きていこう」と決め、その算段を整えていたからこそ、力説しておきたい。生きていこうと思えば、一人でやってやれないことはないのだ。きっと。

ただ、世の中には、他人との間にコンセンサスを得なければ決められないことが、文字通り山のようにあるのだ。それらを一つ一つ、互いに様子を探り探りしながらやっつけていく過程こそが、人生である、と言えるかもしれない。「だったら、誰か他人と一緒に生きていくのだって、そこまでストレスフルなことでもないかもしれないよ?」とは、言いたくなる。前の段落と完全に矛盾していますけど。結婚した人って、すぐこうやって他人にも結婚を勧めてきてウザいですよね?はい。

彼の人生も、彼女の人生も、私の人生も、結婚によって今までとは明らかに変質し、昔と比べて、まるで半分になってしまったような気がする。一方で、少なくとも私の人生は、表面積はそのままに、奥行きだか高さだかが、二倍三倍に拡張したような気もする。胎に子供を抱えているわけでもないのに、「もう私一人の人生ではないのだな」などと思う。

誰彼構わず「変わらぬお付き合い」を望んでいたかつての私に、どうにかして諭したい。やっぱり結婚は、人生を大きく変える「節目」の一つであり、彼も、彼女も、私も、「自分一人で下す最後の決断」だと思って、覚悟を決めて臨むべきなんじゃないだろうか。役所に提出した婚姻届、それ自体には何の意味もないが、今までと同じでは到底いられないことが、今の私にはよくわかる。丸井で買ったピンクのワンピースを着た年若い新婦友人代表が、てんとう虫のサンバを踊りながらマイク越しに「ズッ友だよ!」とかのたまう結婚披露宴、あの翌日から、「結婚」が始まるのだ。

<今回の住まい>
結婚の話が進み、結婚するなら一緒に住もうということになり、新居を探すことになった……のだが、その辺りの顛末については拙著『嫁へ行くつもりじゃなかった』で存分に書いた。今も住んでいるマンション、夫のオットー氏(仮名)は内見に足を踏み入れてまず、「この規模の平米数で、脱衣場に洗面台が二つ並んでるのはすごい! 贅沢!」と感激し、それでほとんど決まったようなものだった。洗面台なんて交代で使えば二人に一つで足りるじゃん……? と訝っていたのだが、その後、旅先で洗面台が一つの宿に二人で泊まるたび、ものすごーく不便を感じるようになった。こればかりは経験してみないとわからない。


岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。

イラスト: 安海