---------------------------------------------------------------------------
初恋、初体験、結婚、就職、出産、閉経、死別……。
人生のなかで重要な「節目」ほど、意外とさらりとやってきます。
そこに芽生える、悩み、葛藤、自信、その他の感情について
気鋭の文筆家、岡田育さんがみずからの体験をもとに綴ります。
「女の節目」は、みな同じ。「女の人生」は、人それぞれ。
誕生から死に至るまでの暮らしの中での「わたくしごと」、
女性にとっての「節目」を、時系列で追う連載です。
---------------------------------------------------------------------------

駆け込みマドレーヌ

小学校の入学式に、遅刻した。理由は思い出せない。単純に親が時間を読み違えただけだったと思う。母に手を引かれて校門をくぐる、ピカピカの一年生、登校初日。その感慨はまったく記憶にない。当然だ。門の前で記念撮影などする間もなく、下足箱の位置を覚える暇もなく、急かされながら小走りで、集合場所へ辿り着いた。母親はそそくさと私の手を離し、講堂の父兄席へ去って行った。

教室前の廊下には、クラスメイトたちがずらりと並んでいる。式典が始まる時刻に合わせて整列したのだ。私立小学校の新入生、女ばかり約40名の小さな子供が、同じ制服を着て、二列に並んで担任教師の指示を待ち、じっと立っていた。その光景は、絵本『ちいさなマドレーヌ』を思い起こさせた。パリの寄宿学校に通う女児たちのお話だ。修道女に引率されてお行儀よく散歩に出かけた先々で、破天荒な主人公だけが何か事件を発生させ、場全体がドタバタと乱される。みんなと同じ制服を着ているはずなのに一人だけ悪目立ちする、今の私はマドレーヌそのものだと思った。

二列に並んだ女の子たちは、それぞれ隣の子と手をつないでいた。一人だけ、誰とも手をつながずにいる小柄な子がいた。担任教師に促されて私が彼女と手をつないだ途端、行列は講堂へ向かって前進し、到着と同時に式典が始まった。別れ際に母親は息を弾ませて「ギリギリ間に合ったわね、よかった!」と言っていたが、ちっとも間に合っていないし、全然よくなかった。他ならぬ我々の遅刻が、入学式の開始そのものを遅らせていたのだ。

大人も子供も校長先生も、みんな私の登場をじりじり待っていた。それはまるでプリンセスのような気分、私だけが「特別」……同じシチュエーションを、そんなふうにポジティブに捉える子供だっているのだろう。私はそうは思えなかった。自分だけは許される、という特権意識より、みんなを待たせて我慢を強いた精神的負担のほうが大きく、小さな胃が痛くなった。私にはプリンセスの素質がないんだなぁ、と思う。日々、気に病むことの矮小さが小市民レベルであり労働者階級的であり、痛恨のミスがお給金、ならぬ周囲の評価に及ぼす悪影響ばかりを考えてしまう。自分を中心に世界が回ると信じている王侯貴族のようには、逆立ちしたってなれっこない。

学校に入っては学校に従え

我が家の両親、とくに母親は世界標準時よりも自分の体内時計を信じるような人で、大遅刻をかましても「主役はいつも遅れてやってくるものよ!」と豪語する根っからのプリンセス、非常に強靱(きょうじん)なメンタルの持ち主である。時間にルーズな保護者がいつも堂々としていたから、それまでは、何かに遅れてもまったく気が咎めなかった。でも今日からは、幼稚園とはわけが違う。私が一人でこの社会集団に属し、私の遅刻は、私自身の責任になる。親の送り迎えなしにきちんと通学し、チャイムが鳴る前に自分の席につく。その義務を怠れば、保護者ではなく私が責められるのだ。

ママが「よかった」と思っても、私はそれじゃ「よくない」よ……。大袈裟に言えば、家庭教育の中で世間一般とは少々ズレた価値観を植えつけられてきた子供が、新たな社会集団への所属を機に新たな価値観を得た、そんな「節目」だった。世の中には、私のまだ知らない、親からは学べない、想像も及ばない規律に従って回っているシステムがある。その渦の中へ飛び込むことが決まったなら、約束事をきちんと把握してその通り振る舞わなければ、最後まで泳ぎきることができない。

厄介事を起こすマドレーヌが、その奇行ゆえに他の女児たちと明確に区別される、あの絵本が好きじゃなかった。あんなふうにして物語のヒロインになるのは御免だ。私はプリンセスでも、問題児でもない。目立たず平和に穏やかに、優等生としてソツなく学校生活を送るんだ。……と固く決意したものの、カエルの子はカエル。その後の私の学校生活は、間を取って「優等生で問題児」といったような評価に落ち着いていった。

朝礼のある曜日は、三度に一度は遅刻した。夏休みの宿題には締切を過ぎてからようやく着手する。保護者のサインが必要な提出物はさらに遅れ、家で紛失した書類を期日を過ぎて再発行してもらったこともある。低学年の頃は、校庭の外まで遊びに出て昼休み終了のチャイムを聞き逃し、授業をサボッた罰で教室の隅に立たされた。林間学校では消灯時刻を過ぎた深夜に遊んでいたのが見つかり、反省文を書かされた。「時間通りに行動できなかった」ことへの謝罪ばかりを、何度も何度も重ねる羽目になった。

時間なんか守らなくていいや、と思っていたわけではない。ただ、私が私のペースで物事を運ぼうとすると、いつも団体行動から何拍かズレてしまう。「どうして決められた時間を守れないの!」と叱られながら、内心「だって、入学初日にさえ遅刻したんだぜ……?」と思っていた。それを言い訳にするつもりはないが、次第に諦めも生まれる。きっと私はこれからも一生、人を待つより、待たせることのほうが多いんだ、ママと同じように、ママ以上に胃を痛めて。叱られるたびに、そう思った。

わかっちゃいるけどやめられない

学校とは、てんでんばらばらに生まれ育った子供たちを集めて、「悪いところ」を「より良く」矯正させるための施設である。建前上は、それぞれの子供の「良いところ」をスクスク伸ばすことが先決とされているが、もしそれが本当なら、こんな私だってもっと自己肯定感の強い人間に育ったはずである。

給食を残さず食べても、サボらずに掃除をしても、授業やホームルームに積極的に参加しても、どの科目のテストで満点を取っても、他にどんな良い行いをしようとも、それらはすべて私にとって、できて当たり前、褒められることではなかった。「どうして決められた時間を守れないの!」と怒られた記憶ばかりが残っている。

私だけではない。ある子は給食で苦手なおかずを食べられず、ある子はテストで及第点が取れず、ある子は忘れ物が多く、ある子は黙って座っていられない。みんなそれぞれに、何かが「できる」子ではなく、何かが「できない」子として、教育的指導を受けた。

ガタガタに崩れた歯並びを矯正して笑顔の素敵な美人になるように、私だって私なりに、「できない」を克服したいとは思っていた。毎朝、同じ時間に起きて、同じ満員電車に乗り、始業時刻より早く席に着き、提出日に宿題を出し、門限までに下校する。そんな生活を繰り返せば、悪い部分は自然と治ると信じていた。でも、生のセロリが食べられるようになっても、逆上がりの実技試験をかろうじてクリアしても、見ず知らずの大人に敬語をきちんと使えるようになっても、私は朝起きられず、期日までに宿題が終わらず、時間にルーズなままだった。

集団の規律がいくら縛りつけても、私の身体を調律することはできないままだ。学年が進むにつれて、私にとってこの遅刻癖は「どうしても矯正できない」ものなのだろう、と悟るようになった。「悪いこと」だとわかっていて、改めたいとも思っているのに、罰せられてなお、犯してしまう。ほとんどビョーキ……これが、私なんだ。

社会との間に横たわるすべてのズレを、完璧に矯正しつくすことは、できない。それを認めて、なんとかルールと折り合いをつけていくしかない。学校とは、そんな諦めを身につけさせてくれる施設だった。

体内時計と社会時計

大人になった今でも、友人同士の待ち合わせから、重要な仕事のミーティングまで、私はしょっちゅう遅刻する。いつも他人を待たせてしまうことを、本当に申し訳なく思っている。一方で、時間厳守を何より重んじるパンクチュアルな人間たちが、いったいどれだけ私のルーズさに腹を立てているのかは、正直きちんと理解できていない。そりゃたしかに遅れて迷惑かけたけど、すっぽかしたわけじゃないんだから、まぁいいじゃないか、死ぬわけじゃなし……という気持ちも、どこかにある。

現在の私は、自分が抱えているこの「反社会性」を、もう、昔ほどには恐れていない。もっと小さな子供だった頃は、完治できない「悪いところ」を見つけてしまうこと、それ自体が恐ろしかった。いつの間にか自分の中に棲みついた、その悪魔と一度でも目が合ってしまえば、自分は絶対に「優等生」になんかなれないのだと、勝手にそう思い詰めていた。

上手に褒めて伸ばしてもらえたら「個性」などと評されていたかもしれない、そんな出る杭のような部分を、幼くて賢い子供たちは、他ならぬ自分自身で一つ一つ打ち、押し潰していく。大人たちにバレる前に、みずからの手で悪魔を祓おうとする。みんなで同じ制服を着て、みんなで同じ学校に通って、みんなと同じ時刻に間に合って、みんなと同じ、先生に叱られない、誰にも見咎められない、のっぺらぼうの生徒になれると、そのことにホッと安心する。

そんなことを繰り返して、ろくでもない学校に過剰適応したって何にもならないし、大きくなってもただ社会を動かすだけの歯車、つまらない人間になってしまうだけだよ。……すっかり反社会的存在となった現在の私はそう思うのだけど、6歳の私は、今よりもっとずっと真面目な「優等生」志望者だったのだ。

入学式の後、帰りの道端で母親がようやく写真を撮ってくれた。まだ花開かぬ桜並木の下、新しい制服を着た幼い私が気をつけの姿勢で立つその一葉は、今も私の手元にある。逆光が眩しくて、少し顔を歪めて目を細めている。幸先悪いスタートを切ったけれども、なんとか無事に義務を果たし終え、ホッと満足げな表情だ。どんなビョーキや悪魔を抱えていようとも、根は「良い子」だったはずだよな、と思う。マドレーヌも、そんなお話だった。

「ソツなくこなす」と「悪目立ち」の狭間を行き来しながら、小市民の私は今日も、駅から猛ダッシュで目的地へ向かう。大粒の汗をかいてまで全速力で走るのは、誰かに課せられた懲罰だからではない。どうしても矯正できずにここまで来た「悪いところ」、そのさらに奥から自然と立ち上ってくる、待たせた相手への誠実な気持ちのあらわれだ。それを言い訳にするつもりはないが、せめて精一杯、走る。一秒でも早く。人を待つより、待たせることのほうが多い人生だけれど、もうこれ以上、自分の「良いところ」を失わないように。

<今回の住まい>
低学年のとき、担任教師に住所を告げると「東京にそんな地名あったかしら?」と返された。私鉄沿線の小さな駅なので無理もないが、私の報告を聞いた母親は「まぁ失礼ね、自分は都下から通勤してるくせに!」と言った。子供心にも、その威張り方はどうかと思った。地方出身者が「23区内」や「山手線圏内」に特別なステータスを見出しているのを見ると、今も大変気恥ずかしい。担任の住むその町が、母が田舎から上京したての頃に下宿していたアパートから程近いことを、少し後になって知った。


岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。老舗出版社で婦人雑誌や文芸書の編集に携わり、退社後はWEB媒体を中心にエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』、連載に「天国飯と地獄耳」ほか。紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。CX系の情報番組『とくダネ!』コメンテーターも務める。

イラスト: 安海