前回33番札所「雪蹊寺」で打ち止めして帰り、ふたたび東京から高知へ高速バスに乗ってやってきた。高知で毎週日曜日に「日曜市」というのをやっていて、ちょうど日曜日に着いたので行ってみた。珍しい野菜や衣料品や骨董品いろんなものが、売られていて楽しかった。

「アンパンマンミュージアム」

今回の足摺岬をめぐる37番から39番にかけてのお遍路は、あまりにも寺と寺との間があいて長距離なので、レンタカーを借りることにした。ドライビングテクニックに全く自信がない私としては、お遍路の細い山道を走れるかかなり不安だが、まぁものは試し! レンタカーを借りてまずは34番札所を目指す前に、「香美市立美術館」でやっていた高知の仏像展覧会を見に行くことにした。電車だと本数が限られているので移動が大変だが、車だと大丈夫だし、なにより仏像好きな私としては見逃せない。展覧会は、普段見られない仏像が一堂に会していて素晴らしかった。香美市まで来たついでに、前から行ってみたかった「アンパンマンミュージアム」へも足を運んだ。アンパンマンのたくさんの絵やグッズが見られて大満足。

そうして、ようやく34番札所「本尾山 種間寺(もとおざん たねまじ)」へ。種間寺は、山門はなく入ってすぐに鐘楼、本坊、そして大師堂、一番奥に本堂がある細長い境内が特徴。本堂はコンクリート造り。本堂の右脇にある手を洗う手水鉢は、江戸時代の物で町内(春野町内)最古のものだそうだ。

(左)「種間寺」入り口(上)「種間寺」本堂(写っているのは私です)

種間寺の名前の由来は、平安時代に弘法大師が訪れ、唐から持ち帰った五穀(米・麦・栗・キビ・豆)の種を蒔いたことから名付けられたと言われているが、種間寺の歴史は弘法大師が訪れる前にさかのぼる。

用明天皇年間(547~587)に摂津の四天王寺を建立するために、百済(現在の韓国)から大勢の仏師が招かれた。だが作業が終わり、帰国途中に土佐沖で暴風雨に遭い、やむなく種間寺近くの秋山港に避難した。そこで仏師たちが航海の安全を祈願して薬師如来像を刻み、秋山の本尾山山頂に安置したのがこの種間寺の始まりだという。

弘法大師は、そのときに彫られた薬師如来を本尊として祀り、この寺を開山した。その薬師如来は、お寺の方いわく国宝だそう。でも、国宝の彫刻って全国で126件しかなく、その多くが奈良京都に集中しており、ここ四国にあるというのは聞いたことないなぁ~と思い、文化庁に問い合わせてみた。すると種間寺の薬師如来は、旧国宝で、現在は重要文化財だそうだ。やはりそうか。まあ、とにかく歴史のある仏像であることは変わりない。

(上)大師堂(右)弘法大師像

本尊の薬師如来は毎年旧暦の1月8日にのみご開帳になる。旧暦なので、毎年微妙に日にちがずれ、旧暦カレンダーで確認すると2010年の旧暦1月8日は、2月21日にあたる。ややこしい。本尊の薬師如来は「安産の薬師さん」とも呼ばれ、安産に御利益があるといわれている。行かれる方は事前にご確認を。

大師堂の向かいにある観音堂には、子育観音が祀られている。子育観音像の回りには底の抜けた柄杓(ひしゃく)が所狭しと奉納されている。なんで、柄杓の底が抜かれているのかというと「通りがよく」なり、安産に通じるとのこと。妊婦は柄杓を持っていってお寺へお参りをする。寺では柄杓の底を抜き、三日間の安産祈願をして、お札と柄杓を願主の妊婦に返す。妊婦は底の抜けた柄杓を床の間に飾り、出産後はお礼にその柄杓をお寺に奉納するのだ。そのため底の無い柄杓がお寺に集まってくるというわけだ。

子育観音堂

子育観音と柄杓

本尊の薬師如来を見られなかったのは残念だが、次の35番札所「清滝寺」を目指して出発することにした。