21番札所「舎心山 太龍寺(しゃしんざん たいりゅうじ)」は、標高600mの大龍寺山の頂上。鶴林寺から歩くと約6.5kmだが、かなりきつい山道なので3時間ぐらいかかるらしい。鶴林寺までせっかく山を登ったのに、今度は下ってまた登らなければいけない。太龍寺まで、20番札所手前の水呑大師で出会った歩きお遍路のおじさんと一緒に進むことにした。おじさんは、60歳くらいなにのなんだかスイスイ進む。すごい。リュックサックも小さくて歩きやすそうだ。私は鶴林寺までの登りでへとへとで、下り道の階段が辛い。雨で濡れていることもあって、なおさら歩きにくい。進めども進めどもなかなか着かない。歩いていると、お昼近くになったのでおじさんと道ばたに座り、各々買ってきたものを食べる。私は昨日買ったパン。食べ終わって、歩き始めると民家の集落が見えてきた。そしてまた進むと那賀川にかかる水井橋という橋が見えて来た。

橋を渡ると、21番太龍寺への登り口だ。太龍寺に向かうロープウェイもあるが、乗り場はとっても遠いので、ロープウェイには乗らずに歩くことにした。上り道を歩いてもぜんぜん着かない。

(上)水井橋(右)太龍寺まであと十丁の目印の石仏

途中で「十丁」など、太龍寺までの道のりが書かれている石仏を何体か見かけた。1丁(町)は約109mだから10丁なら約1.1kmだ。だが1.6kmという所から急な階段になり、辛さは変わらない。前にも書いたが、太龍寺はお遍路さんにとって焼山寺(12番札所)、鶴林寺(20番札所)、に続く「阿波の三大難所」だというのを実感する。やっと太龍寺山門に到着。すぐ本堂かと思ったら、まだまだ坂道の参道が続いていて、少しがっかりした。

(上)太龍寺山門(右)太龍寺本堂

太龍寺は、昔からより「西の高野」と呼ばれている。境内は広く、本堂、多宝塔、大師堂、求聞持堂(ぐもんじどう)、護摩堂、六角経蔵などがある。延暦12年(793)、19歳の弘法大師空海は、太龍嶽の上で100日間にわたり「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」を修した。そして、延暦17年(798)、恒武天皇の勅願によりここ太龍寺を開基したといわれている。なんでも、虚空蔵菩薩の御真言を1日に1万回、100日間唱え続けると、超人的な記憶力が身につく秘法だとか。確かにそんなにたくさん唱え続けたら記憶力や集中力も身に付きそうだ。私には無理だと思うけれど。求聞持堂は、その虚空蔵求聞持法を修行する道場だそうで、本堂の奥にある。

弘法大師が自ら刻んだという本尊の虚空蔵菩薩像は、毎年1月12日の初会式に御開帳される。訪問時は、1月12日ではないので拝観できずに残念だ。

納経所の右手に建つ持仏堂の廊下の天井を覗き込むと、龍の絵が見えた。かっこいい! 太龍寺という名前にちなんで、龍の柄の手ぬぐいが350円で売られていたので、友人のお土産に買う。

納経所の先の階段を上ると鐘楼門があり、まだ階段が続く。正面また階段を登った所に多宝塔、右手に大師堂、左手に本堂がある。

納経をすませ、弘法大師が虚空蔵求聞持法を100日間と唱え続けたという捨心ヶ嶽(しゃしんがたけ)の場所を聞くと、ロープウェイ駅の前の山道を登った所だと教えてもらう。ロープウェイ駅で荷物を預かってもらい、捨心ヶ嶽へ向かう。緩やかな坂道沿いに八十八カ所の本尊の石像が並んでいる。坂道を進むとやっと岩の上に弘法大師が座禅を組んでいるお姿の像が見えた。弘法大師像が雨があがった後の空の青さに映えて、とても感動した。

護摩堂。写っているのは一緒にまわったおじさん

捨心ヶ嶽への道。こんな急なくだり坂になっている

次は22番札所「平等寺」だが、とりあえず今晩泊まる民宿「坂口屋」を目指しておじさんと一緒にまた山を下った。