5番札所地蔵寺でお遍路9巡目のおじさんと別れ、6番札所「温泉山 安楽寺(おんせんざん あんらくじ)を目指して歩き出したお遍路1巡目のおじさんと私は、もうヘトヘトになっていた。

「6番札所の安楽寺まで5kmもあるなんて、歩くと1時間以上かかっちゃうね。バスに乗ろう!」とおじさんに言われて、私は本当は歩き遍路で通すつもりでいたのだが早くも決心は崩れた。だって、普段歩き馴れていないのにずっと歩いて疲れちゃったんだもん。それにもう16時で、このままダラダラと疲れた足で歩いていたら、宿の夕食の18時に間に合うようにたどり着けるかどうかさえ怪しい。私たちはバス停に向かった。バス停に着き、バスの時刻表を見たら、田舎にありがちのまだらな本数。次のバスは1時間以上も後だ。

「……どうします?」顔を見合わせる私たち。ここで待つより歩こうかということになり、仕方なく重い足を踏み出した。歩き出すとすぐガソリンスタンドがあって、乗用車が給油していた。するとおじさんが、その車の運転手の若い男の人に話しかけた。

「6番札所の安楽寺はこの道まっすぐ行けば良いのかね?」

「はい、そうです」

「悪いけど、乗っけてってくれないかい?」

とおじさんはいきなり言い出した。「何を言い出すの!?」と、私も相手もビックリしている間に

「いいだろう?」

「えっ!? はい」

とおじさんは、強引に車の後部座席に乗り込んだ。お兄さんの顔色を窺いながら私もおじさんに従って車に乗り込んだ。人の良さそうな若いお兄さんは、もう乗り込んでしまったお遍路2人をむげに追い出す事もできず、安楽寺まで送ってくれた。「すいません~」と謝る私に、 「いいえ、どっちみちこっちに行くのでついでですから」とやさしく言ってくれた。お遍路をしていて、四国の方にいろいろ親切にしてもらうことを「お接待」と言うのだが、これは無理矢理「お接待」をしてもらったことになる。申し訳ないけれど、おかげであっという間に安楽寺に着いた。

「お接待してもらったら、相手にお札を渡すのが礼儀」と本に書いてあったので、私は鞄から自分の白いお札(ふだ)を取り出し「これ、いらないかもしれませんがお札です」 と言って渡した。そして「送っていただいて本当にありがとうございました。助かりました」 と何度もお礼を言って車を降りた。こうして、やっと今日の宿泊予定の安楽寺に到着できた。

時計を見るとまだ16時半。車を使ったおかげで、夕飯の時間まで余裕でたどり着けた。おじさんは、「俺は、今日は次の7番札所に泊まるつもりなので、まだ先を行くね」と去って行った。また1人きりになってしまったのである。

安楽寺の山門はちょっと竜宮城風な造りで門の上に鐘楼がある。境内に入ると左手に多宝堂があり、その前に弘法大師のお手植えの「さかさ松」と呼ばれる松が植わっている。なんでも昔、松の木の下で修行中の弘法大師を猟師が猪と間違えて矢で射ってしまったそうな。でも、松が逆さに垂れさがるように大師を守って矢は松に当たって大師は無事だった。大師は矢に打たれて折れた松を植え、「もしこの松が枯れずに育ったなら、この地を踏むものは災厄を逃れるであろう」 と言われたという。それ以来、大師身代わりの「さかさ松」と呼ばれ、今に伝えられているそうだ。私には、何の変哲もない普通の松に見えるけれど。ちなみに、今の松は3代目だという。

安楽寺山門

安楽寺境内

ここ安楽寺は、昔この地方で温泉が湧いていていろんな病に特効があったそうだ。そこで、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために堂を建立し、刻んだ薬師如来を安置して、温泉山 安楽寺と名づけられたのが始まりだそうだ。

当初は2kmほど離れた安楽寺谷にあったが、天正年間(1573~1592)に長曽我部軍の兵火で焼失したため瑞運寺と合併して現在の地に移り再建された。本堂は昭和32(1957)年の火事で焼失し、昭和38(1963)年に鉄筋コンクリート造りで再建された。温泉は17世紀半ばの1時期、枯れていた時もあったそうだが、掘り進めたらまた温泉が出で、復活したそうだ。安楽寺のご本尊は、昭和37(1962)年不治の病で医者にも見放された愛知県に住む水谷しずさんが、夫の繁治さんに背負われ、病気平癒の思いで四国霊場巡りにしたら病気が完治したので、そのお礼で仏師に彫らせて奉納したもの。元来の本尊は、胎内仏として納められている。また最近では、平成10(1998)年に完成したここのトイレは、日本トイレ協会のモデルトイレにも指定されている。中は広く、スロープがついており車椅子でも利用できる作りになっていた。私は本堂と大師堂にお参りし、御朱印を書いていただき、やっと本堂の右側にある宿坊(お寺の宿泊施設)へ向かった。

初めてお寺の宿泊施設の宿坊に泊まってドキドキ

安楽寺の宿坊に到着すると「早かったですね。一番乗りですよ」と言われた。そして先に宿泊料を払った。1泊2食付きで6,500円。お部屋に通される。はじめて宿坊に泊まるのでドキドキした。大広間で、雑魚寝だったりするのかな? と思ったらきれいな和室の個室に通された。エアコンもテレビもある。ここのは大広間もあって300人も泊まれる大きな宿坊なのだけれど、オフシーズンなので空いているようだ。

「お風呂、よかったら先に入ってくださいね。お食事は18時からです。入り口近くのお部屋になります」と言われ、早速お風呂に入る事に。まだ、誰もいないお風呂にゆったりつかる。お風呂は温泉で、結構広いので疲れが取れた気がした。途中、人が入ってきたのだが、なんか疲れていたので特に会話もせずに「お先に」と言ってあがる。ドライヤーがないので髪を乾かせず、タオルを頭に巻いたまま過ごし、洗濯物を洗い、マッサージチェアで体をほぐす。あ~極楽。宿坊にマッサージチェアがあるなんてちょっと意外だけど、奉納された物らしく、お遍路さんにはありがたい。

しばらくすると夕飯の時間になったので、指定された部屋に向かう。テーブルには食事が4人分並べられている。私が1番乗りだったのだが、後から2人組の女の子と、さっきお風呂でいっしょになった女の人が入ってきた。お遍路といえば、年配の人というイメージがしていたのに、なぜか今夜の宿泊者は全員若い(?)女性だ。

食事の前に、割り箸袋の裏に書いてある食前の言葉をお坊さんの後に続きみんなで唱える。言葉は「一粒の米にも万人の苦労がかけられています。一滴の水にも天地の恵みがかけられています。ありがたくいただきます」というものだ。

宿坊の食事なので質素な精進料理かと思ったら、エビの天ぷらもあるし、杏仁豆腐のデザートもあったりと品数が多く、おいしい。お腹すいていたのでご飯をおかわりしてしまった。飲みたい人はアルコールも頼める。お坊さんが「以前、NHKのドラマ『ウォーカーズ~迷子の大人たち~』(お遍路のドラマ)の撮影で江口洋介さんが来てね。お風呂にも入られたんですよ。顔が小さかったですね~」と気さくに話しかけてくれた。その後、お坊さんは部屋を出て行かれ、給仕のおばさんがおかわり用にごはんのおひつを持って来てくれた。

食事をしながら他のお遍路さんと会話が弾む。「どこからですか?」と尋ねると、1人で来ている女の人は「沖縄から、仕事を1週間休んで来たんです。お遍路に行くって会社の人に言ったら『何があったんだ?』『頭をまるめて帰って来ないでね』とやたら心配されましたよ。別に深い理由があって、お遍路に来た訳じゃないんですけどね」と言っていた。やはり、若い女の子が1人でお遍路にいくといえば何かあったのかと思われるようだ。2人組の方は、いとこ同士で名古屋と新潟から来ているそうだ。「仕事辞めて来たんです。通して40日間くらいで歩いて回る予定です」と新潟の子は言う。仕事を辞めて来るなんてすごい!

食事が終わると、「19時からお勤め(御本尊に向かってお経をよむこと)があります。参加は自由ですが、よかったら数珠を持ってご参加ください」と言われ、いったん部屋に戻る。それから、数珠を持って本堂に向かう。本堂の手前にある回廊には何体かの仏像が並んでいて、大きな曼荼羅も掛けられている。本尊の薬師如来様が身近で拝めてうれしい。経本が配られ、みんなで一緒にお経を唱えた。お勤め後には弘法大師の直筆の書物や手紙から写したレプリカの文字盤を見て、解説してもらう。「弘法も筆の誤り」という諺で字の上手な人として例えられているように、弘法大師の字は本当にきれいだ。

バナナくんお持ち帰り袋

お勤めが終わり部屋に戻ると、疲れていたので早く寝た。翌日はまた同じ部屋で朝食をいただく。食事に添えられたバナナにかわいいらしい「バナナくんお持ち帰り袋」がついていて、親切だなぁと思った。バナナその場で食べちゃったので、袋だけいただいた。部屋に戻り身支度を整え、次の7番札所十楽寺へ向かう。