水族館みたい


梅屋敷駅で降りるのは初めてだった。スタンプを押し、せっかくだからということで冊子の案内を頼りに二人で少し歩いてみることにする。降りてすぐに見える国道を右に折れて少し歩くと、目的の梅屋敷公園が右手に見えてくる。

「けっこう大きい公園なんだね。遊具とかがあるような、もっとこじんまりしたところかと思ってた」

思わずでたつぶやきに、隣を歩く聡も同調する。

「たしかに。子どもの遊び場とはまたちょっと違うんだな」

ろくに調べもせずに冊子に名前が載っていたからという理由だけで来てみたものの、想像していたすべり台なんかがある公園とはだいぶ趣が違っていて、どちらかというと庭園に近い。冊子に記載されている「街区公園」という分類は、たしかわりと面積の小さい公園のことだったと思うのだけど、その場の雰囲気は大きさだけでは測れないということなのだろう。梅屋敷公園にはその名の通り梅の木が多く植えられていて、まだ花は咲いていないものの、二月末のこの時期ならもう少しで満開の光景が見られるに違いない。 冊子には土地の歴史も簡単に記載されていた。梅屋敷という名前の由来になった屋敷は、江戸から明治にかけて存在したものらしい。もっともこの辺り一帯が梅の花で有名になったのはそのもっと昔、平安時代に土地の豪族と結婚した梅姫という娘の父親が、その記念として京都の梅を取り寄せたのが由来なのだそうだ。

「梅姫かぁ・・・桜も良いけど梅も良いよね。なんか桜ばっかり春の代名詞みたいになってて、梅がちょっとかわいそう」

ニュースでも桜はやたらと取り上げられるのに、梅の話題はそれほど聞かない気がする。代表的な桜のソメイヨシノは繁殖能力が無いために全国すべてのものが同じ遺伝子を持つクローンで、そのため気温の変化を忠実に追いかける形で、開花前線が足並みをそろえてすばやく北上する。一月から五月にかけてゆっくりと北上する梅の開花前線を、満を持して登場したリレーアンカーのごとく話題ついでに抜き去ってしまう。

「季節は多少ずれてるんじゃないかな?桜は春って感じだけど、梅は冬の終わりって気がするし」
「時期なんてその年の気温でいくらでも前後するじゃない。遅咲きの梅なら春にも普通に咲いてるし。まあ桜は咲いてる期間が短いから、期間限定ってのが重要なのかもね。タイムセールに出くわすとたいして欲しくないものも買っちゃうし、ああいう心理なのかな」
「・・・なんかトゲのある言い方だなぁ。桜が聞いてたら絶対怒るよ、それ」
「別に桜が悪いって言ってるんじゃないわよ。たんに梅にももっと注目しましょうってこと。特にここは、梅のお姫様がいたんでしょう?」

近くの梅の木を眺めてみる。立派な枝振りで、花を咲かせれば多くの人が訪れるのだろう。花が咲き終われば、次は新緑の季節だろうか。
緑の葉と、木陰。
そこだけ電気を消したように、影に縁取られた木の下。
風の匂い。
言葉。

「・・・ねぇ、聡」
「うん?何?」
「私にプロポーズした場所って憶えてる?」
「いきなりだな。そりゃ憶えてるけど。どうしたの?」
「いや、なんでわざわざ木の下だったのかなって」
「え、変だった?木の下でプロポーズってよく聞かない?」
「・・・それ、どっちかっていうと告白じゃない?」

しかも高校生とかの。

「え・・・不満だった?」
「いや、そういうんじゃなくて。なんか木を見てたら思い出したの」

呼び出されたときに、なんとなく予想はついていた。でも実際プロポーズされたら、やっぱりうれしかった。その帰り道、もう式の日付をいつにするかの話をしていた。
親に聡を紹介しに行った時、気恥ずかしさを上回る誇らしさがあったことを思い出す。この人ね、真面目な人なんだ、性格良いし、顔は・・・まあ十人並みだけど、私を幸せにしてくれるんだって――。

「そう・・・そうだね」
「え?何が?」
「私って、告白されて、付き合って、プロポーズされて、OKして、聡と結婚したんだよね」
「・・・? そうだね」
聡は怪訝な顔をしている。
「それがどうかした?」

この時期には珍しく、少し暖かい風が抜けていく。あたりに少しずつ目立ちはじめた雑草が揺れて、赤ちゃんの寝息のようなかすかな音をたてた。

「・・・なんかね、思い出したの。そういうこと」





梅屋敷駅から帰りの下り電車に乗るころには日が落ちかけていて、乗り換えの京急蒲田駅でホームに降り立ったときにはすでに真っ暗だった。ホームに電車の接近を知らせるメロディが流れても、佐奈子はどこか視線をさまよわせている。少し疲れたのかもしれない。

「『夢で逢えたら』か」
「・・・あ、うん、そうだね」

自分のつぶやきで、佐奈子ははじめて流れるメロディに気づいたようだった。学生時代にヒットしたスタンダードナンバー。この曲の歌い手が京急蒲田駅がある大田区の出身であることから、駅のメロディに採用されていると聞いたことがある。

「最近流行りの恋愛ソングとはまた違うよな。思春期の恋愛っていうより、もうちょっと大人の恋愛っていうか」
「大人の恋愛・・・そうかな」

年を取った人間特有の懐古主義だろうか。それでも今の自分には、息切れしそうな勢いで感情を歌い上げるアイドルソングより、むしろこういう曲調のほうがしっくりくる。
なんとなく会話の糸口になればと思ったのだけど、結局それ以降会話が続くことは無かった。メロディが鳴り終わってまもなく到着した電車には乗客は比較的少なく、二人で並んで座ることができた。電車が動き出しても特に会話があるわけでもなく、何とはなしに座席向かいに視線を向ける。正面の窓ガラスには、自分と佐奈子が映っていた。

「・・・水族館みたい」

しばらく黙っていた佐奈子が、唐突にぽつりとつぶやいた。

「え?水族館?」
「うん。ほら、ガラスにさ、乗ってる人たちが反射して映るでしょ。夜なんかは特に。そうするとね、なんか水槽の魚を見てるみたいに、ガラス越しに人を鑑賞してる感じがしてくるの。バスとか電車に乗ってるとね、たまに思うんだ」

そんなこと、考えてみたこともなかった。あらためて窓ガラスをみれば、蛍光灯にライトアップされた水槽に二人が並んで座っている。
もう四年前になるだろうか、品川の水族館に二人で行ったとき、佐奈子はたびたび魚でなく水槽の下に設置されているサンゴを指差して、綺麗だね、なんてつぶやいていた。もともと花が好きな佐奈子にとっては、見た目がより植物に近いものに惹かれたのかもしれない。

「これじゃ、佐奈子は不満だよね」
「え?なにが?」

怪訝な顔をする佐奈子に、正面の窓ガラスを指し示す。

「だってサンゴが無い」

さすがに座席や吊り革では、サンゴ代わりには力不足だろう。

「ああ・・・そういえば前に一緒に水族館行ったよね。そんなにサンゴサンゴ言ってた?私」
「わりとね。水族館って魚もだけど、ああいう海の環境一式を持ってくるのも大変だよな」

特に大型の展示については、海底のディスプレイもかなり本格的だった。ああいうサンゴや海藻を用意するのはかなり大変なんじゃないだろうか。
けれどそんな疑問に、佐奈子はあっさり答えた。

「あれね、サンゴは大抵イミテーションらしいよ」
「え、そうなの?」
「うん。環境保護とかで、実物を持ってくるのはかなり大変らしいんだよね。場所によってはちゃんと実物を展示してるところもあるらしいけど、水族館の水槽の中のは大抵作り物なんだって」
「ふーん・・・佐奈子としては、水族館でも実物が見られなくてちょっと残念?」
「ううん、そんなことないよ。実際すごく綺麗だったし。花の造花と同じよ。ニセモノとか言って敬遠する人がたまにいるけど、人がわざわざ造るって事は、そうまでして残しておきたいくらいに綺麗な瞬間ってことでしょ?私は好きだな」

ガラス越しに佐奈子と目が合ったと思ったその直後、駅が近づいてきたせいだろうか、外がいくらか明るくなって、そのぶんガラスの反射も薄くなった。

「放っておくとさ・・・失われちゃうでしょ、なんでも。そういうのなんとかして残したいっていう気持ち、すごく分かるから」

目的の駅に間もなく到着する旨のアナウンスが流れる。聞こえているのかいないのか、佐奈子は身じろぎもせずに正面を見つめていた。


梅姫


休日明けの月曜日、パート先から帰宅すると、珍しく聡が先に帰っていた。

「あれ、今日は早いね」
「うん。今日は外回りだったんだけど、中途半端な時間に終わったからそのまま直帰した」

聡は答えながらも、視線はテレビに向けたままだ。そういえば、結局スタンプラリーはどうしたのだろう。梅屋敷駅のスタンプひとつしか押していないんだから、今日みたいな日に集めれば良かったのに。そのことを聡に指摘しても、ああ、そういえばそうだね、なんて回答しか返ってこない。景品はいらないのだろうか。

「いまから晩ご飯作るからちょっと時間かかるけど大丈夫?・・・なにこれ?」

帰宅の途中で買ってきた食材を置こうと台所を覗くと、ダイニングテーブルの上に見慣れないものが置いてあった。
花瓶に入れられた花。三本の枝に梅の花が咲いている。

「すごいね。買ってきたの?これ」
「あ、そうそう。帰り道にちょうどあってさ。こないだ梅の話してただろ、梅姫が梅をプレゼントされたって。だから、まあ俺からも一応、プレゼント。特に記念日とかってわけじゃないけど」
「聡って・・・聞いた話すぐ実践するタイプだよね」

木の下のプロポーズといい。

「うん、でも、うれしいよ。ありがとう。できる限り枯らさないようにしないとね」
「あ、それは大丈夫。保存液使って加工してある花らしくて、かなり長持ちするんだって。生花のほうがいいかなとも思ったけど、造花も好きって言ってたから」
「ああ、これプリザーブドフラワーなんだ」

ポリエステルで造られたシルクフラワーや、生花を乾燥させたドライフラワーとはまた違う。生花に染料や保存液を使って加工するプリザーブドフラワーは、自然のものと見間違うほどの質感がある。もちろん永遠に持つわけじゃないけど、それでも生花に比べれば格段に長持ちする。

「まあ、なんか、これからもよろしくってことかな」
「・・・なによそれ」

珍しくはにかんだ様子を見せる聡に、思わず笑ってしまう。そういえばここ数日は、久しぶりに聡と多く話をした気がする。
いまさら彼に対して新しい発見があったわけじゃない。
でも、思い出したことはずいぶんある。
気づかいができる人だということ。
一緒に出かけると楽しい人だということ。
私を好きになった人だということ。
私が好きになった人だということ。
それから――。

「ほら、これがあれば窓ガラスの水族館も華やかになりそうだし。サンゴの代わりに梅ってどう?」
「・・・いっつもこれ持って電車乗るの?私」

ちょっと天然な人だということ。





朝一番、出勤直後はいつだって憂鬱だ。これから定時までひたすら座り仕事なのだから。おまけに昨日は誘惑に負けて寝る直前にケーキを食べてしまい、つらくない程度に炭水化物を控えていた努力が一気に無駄になった気分だった。ただでさえ憂鬱な気分なのに、そこに昨晩の罪悪感がミルフィーユのように積み重なって、どこまでも私の気持ちを沈めていく。

「おはよう、亜紀ちゃん」
「あ、おはようございます」

いつもどおり先に出勤している佐奈子さんへの挨拶も、いまひとつ覇気に欠ける。これじゃダメだと気持ちを切り替えるつもりで、佐奈子さんに話しかけることにした。

「で、その後どうですか?相田さんとは」
「・・・開口一番それなの?」

相田さんが周りにいないことを確認しつつ真っ先に思いついた話題を振ってみたら、佐奈子さんは呆れたみたいに苦笑いした。

「ほんとに何もないよ。もうあんまり用事もないのに連絡しないでって相田さんには言っておいたから」

あれ、と思う。佐奈子さんの反応には、今までと違って照れや焦りが微塵もない。この話題を出すと普段しゃんとした佐奈子さんが少なからずうろたえて、それを見るのがここ最近の楽しみだったのだけど、今の佐奈子さんの態度はシャーベットを思わせる涼しさだ。
うーん。
それは。
なんというか。

「からかい甲斐がないですねぇ・・・」
「亜紀ちゃんのオモチャじゃないんだけど、私」

私の台詞をクラッカー並みの軽さで受け流して、佐奈子さんは自席のPCに向き直る。その拍子に、佐奈子さんのデスクに見慣れないものがあることに気がついた。

「佐奈子さん、お花持ってきたんですか?」

花瓶に入れられた一本の枝に、白い梅の花が咲いている。私も自席にぬいぐるみやフォトフレームを置いているけど、佐奈子さんはあまり私物を持ってこない人だからちょっと意外だった。

「ああ、これ?家から持ってきたんだ。綺麗でしょ」
「綺麗ですね。佐奈子さんがそういうの机に飾るって、なんか珍しい」
「うん、まあね。目に付くところに置いておこうと思って。なんというか、いろいろ忘れないように」
「?」

わけが分からないという顔をしている私に、なんでもないよ、と佐奈子さんは笑いながら付け加える。なんだかご機嫌だ。
気になるけど、まあいいや。なんとなく気持ちの切り替えはできた気がする。
一つ伸びをして、私もデスクに向かう。
(・・・あれ?)
さあはじめるぞ、と意気込んだそのとき、かすかなメロディが聞こえた。
佐奈子さんの鼻歌。
ちょっと昔に流行った、懐かしいスタンダードナンバー。
ちらりと視線を横に向ければ、やっぱりどこか楽しそうな佐奈子さんと、花瓶の梅の花が見える。
梅の花は佐奈子さんに向かって少し傾いていて、それはどこか心地良いハミングに聞き入っているようにも見えた。

<了>



その他の受賞作品はこちら


<京急グループ小説コンテスト大賞作>

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「京急グループ小説コンテスト」は、マイナビニュース、京浜急行電鉄、小説投稿コミュニティ『E★エブリスタ』が共同で、京急沿線やグループ施設を舞台とした小説を募集したもの。テーマは「未来へ広げる、この沿線の物語」。審査員は、女優のミムラ、映画監督の紀里谷和明などが務めた。

(マイナビニュース広告企画:提供 京浜急行電鉄株式会社、マイナビニュース、エブリスタ)

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