【連載】
もしあなたが急病で倒れて病院に搬送されたとしよう。幸い一命は取り留めたものの、身体に障害が残った。現在の医療制度では、病気が治癒した時点で病院の仕事は終わり、早く退院するように促される。しかしあなたは一人暮らしで、障害を持ったままでは自宅で自立して生活できないとしたら、どこへ行ったらいいだろうか?
こうしたケースでは、病院から自宅に帰るまでの間にワンクッション置く「通過型」の介護施設が用意されている。特別養護老人ホーム(特養)は終身型の介護施設であるのに対し、通過型の介護施設は利用者が帰宅して生活を送れるようになるまで一時滞在し、身体機能を回復させるリハビリを行う。
平成20年8月に開所した「社会福祉法人 一晃会 介護老人保健施設 かぐやの里(以下、かぐやの里)」は、最大80人の利用者を受け入れられる通過型の介護施設で、常勤・非常勤を含めた77人の職員で運営されている。その活動について、奥村泰輝理事長は次のように説明する。
「筋肉をつけるなどで身体機能を回復させるリハビリだけではありません。生活リハビリといって、生活能力を回復させることも含めたリハビリを行って、自宅で生活できるようにするのが私たちの仕事です。利用者それぞれの身体的な状況、さらにご自宅やご家族の状況により、帰宅できる条件はさまざまです。自力でトイレに行けるようになったら帰宅できる方もいれば、家族が共稼ぎで家を空けざるを得ないので、用意された弁当を自力で食べられるようになったら帰宅可能になるなどです。こうした個別のニーズにきめ細かく対応するのはとても大変です」
病院での治療を終えたがすぐに帰宅できない患者は、病院からの紹介を受けてかぐやの里への入所を希望してくる。そこで問題となってくるのは、医療・介護・福祉といった縦割り行政の弊害による情報不足なのだと奥村理事長は指摘する。
「病院は病気を治すところなので、患者の家族関係や、介護認定を受けるのに必要な情報など、私たち介護の人間がほしい情報をなかなか出してくれません。通過型の介護施設は積極的に利用者を自宅に帰すようにと指導されていますが、細かい情報をすべて把握していないと、何をどれだけリハビリしたらいいか決められないのです」(奥村理事長)。
どんな薬を使っているのかといった病院からの情報、家族がどの程度介護をしてくれるのか、自宅に急な階段があるかどうかといった家の構造情報、さらには身体障害や生活保護といった福祉行政に関わる情報も知っておかなければ、有効なリハビリ計画は立てられない。
「そうした情報を漏れ抜けなく吸い上げて保管しておくツールがなかったのです。また、一定水準のサービスを提供するにはどの部分の情報を吸い上げたらいいのか、といったノウハウも標準化されていませんでした」(奥村理事長)
利用者に紐づいた医療・介護・福祉にまたがる多くの情報を一元的に管理するツールは存在しない。それならばと、奥村理事長は自ら介護情報管理システムを構築した。5年ほど前に完成したこのシステムは、他の施設でも利用されるほど高い評価を受け、特許申請も行ったという。ところが3年ほど運用してきたところで、新たな課題が浮上した。
デスクトップ型のパソコンで使うシステムだったため、入所を希望する患者の家庭を訪問して必要な情報をヒアリングする場合、会話中に要点をメモに書き留め、帰所してからパソコンに打ち込む必要があった。こうした運用では、聞き忘れやメモの書き漏らしがあり、情報の質を一定に保つのが困難だった。ヒアリング担当者に教育を施せばレベルアップは図れるが、日々の業務に追われるスタッフに十分な時間を取ってノウハウを伝授する時間はなかなか取れない。
そんな悩みを抱えていたときに、iPadが発売された。携帯性の優れたiPadを入所予定者の自宅へ持ち込んでヒアリングできるようになれば、メモからパソコンに打ち込む二度手間が解消できる。
「聞き出す必要のある項目はすべてiPad画面に表示されるので、項目を順番にすべて埋めていけば、漏れ抜けなしに情報を収集できます。これなら、経験の浅い人であってもベテランと同じようなヒアリング結果を出せます」(奥村理事長)
システムのiPadへの移植を担当したのは、テクノツリーで、同社の開発した汎用的な情報収集ソリューション「XC-Gate」を基に、かぐやの里と共同で介護施設向け業務テンプレート付きパッケージを開発した(「XC-Care(エクシーケア)」として商品化予定)。2012年3月からiPad 25台で運用開始、施設内外での業務ツールとして活用している。
iPadの業務活用で最も効果を上げているのは「入所判定」だ。入所希望があると、事前に入所予定者の情報(A4用紙3~4枚)が病院から送られてくる。受け入れ可能か否かを判断するには、「看護」「リハビリ」「管理栄養」「介護」といった各部署で書類の審査が必須だ。例えば、介護部門は受け入れ可能としても、その入所予定者に糖尿病による厳しい食事制限があって、管理栄養士が対応できないと判断すれば、最終的な入所判定は不可となる。
このように複数の部門責任者が入所判定の可否、コメント、押印した書類を回して、医師が最終判断を下す業務フローに、以前は1週間かかっていたと奥村美晴事務長は振り返る。すべての部署にiPadを導入した現在では、入所予定者の情報を写真データ化してネットワークで各部門のiPadに送信、判定結果もネットワークを介して即時回収される。この運用に変えたことで、紙の書類を回覧する必要がなくなった。
「入所を希望される方は、すぐにでもリハビリを始めたいのです。それを1週間もお待たせしなくてはならず、以前はとても申し訳なく思っていました。iPadを導入してからは、病院から判定依頼がくると書類を写真で撮って各部署にただちに送信します。今日中に判定してほしいと依頼しておけば、その日の夜には結果を病院に返せる状況になりました」(奥村事務長)
入所判定の効率化以外にも、iPad導入による介護サービス向上へ期待が寄せられている。かぐやの里は24時間介護を提供しており、介護士2名で当直するのだが、専門職のいなくなった夜間の対応でも利用者の病歴や投薬情報、既往症などはすべてiPadに集約されているので、すぐに必要な対応を取れるようになる。従来は紙の情報をファイルに整理して各部署に保管していたので、1人の入所者データが複数の場所に紙で保管されており、緊急時に必要な情報を引き出すのは大変だった。
「まだiPadを導入したばかりで、職員には操作や運用ルールに慣れてもらっている段階です。まずは、iPadを開けば必要な情報は見つけられるという共通認識を植え付けているところ」と奥村事務長は控え目にいうが、実際に使っているスタッフはiPadのメリットを実感しているようだ。
介護部門の責任者である池端 範泰 氏によれば、「以前使っていた紙の書類は、たくさんの書式があって必要なものを探し出すのも大変でしたが、iPadはこれ1台ですべての書類に対応できて便利です」とのこと。入所前面談の際も、ヒアリングした情報を入力するだけでなく、iPadで撮影した写真もすぐに職員と共有できるので、情報共有の密度が濃くなったという。
高齢化と少子化が同時進行する日本の現状では、要介護者が増える一方で介護を提供する側の人員は減少するばかりだ。有効な対策のひとつは、海外からの介護スタッフ受け入れである。介護サービスの質を維持したまま海外スタッフを登用する決め手となるのは、マニュアルの整備だと奥村理事長は提言する。
「iPadを活用することで、いままでの文章中心マニュアルから、直感的に作業を覚えられるビジュアル化されたマニュアルに切り替えられます。それを多言語化しておくことで、スタッフ不足を補えるのではないかと期待しています。さらに、自宅に帰られた利用者さまをご家族が介護する際にも、iPadで使えるマニュアルを提供できれば、介護者の不安を低減させるのに役立つでしょう」
さらに奥村理事長は介護サービスのあるべき姿を次のように語った。
「入所者をできるだけ地域に帰そうという国の方針は示されていますが、高齢者向けマンションなどを造っても、そこで暮らす人たちは当所が持っているような医療・介護に必要なデータを持っていないし、手に入れる方法を知らないのです。これでは地域に帰っても、十分な介護サービスは受けられません。介護施設を出るときには、その人にひも付いた情報を持たせて地域に帰してあげたい。あるいは、介護や医療に必要なデータをいつでも引き出せる情報拠点としてかぐやの里を位置づけられたら、と思っています」(奥村理事長)
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