【連載】
全日本空輸(以下、ANA)は昨年の9月、グループ全客室乗務員(以下、CA)約6,000名にiPadを1人1台配布すると発表した。主な用途は、業務マニュアルの参照だ。配布と現場での利用は段階的に行われ、2012年4月からは正式運用が開始される。
iPadに格納されているのは、CAが日常的に参照するマニュアル類だ。常時携行が社内規定で義務づけられているマニュアルは、A5サイズの用紙で約1,200ページもある。これまでは、これらを3冊のファイルに分けて携帯していた(ANA国際線乗務の場合)。
「マニュアルの携行は、航空法等で規定されているわけではありませんが、監査の時にはマニュアルをきちんと参照しているかというチェックがあります。CAがキャリーケースを引いている姿をよく見かけると思いますが、あの荷物の大半がマニュアルという状態でした」と語るのは、客室本部 グループ品質推進部 主席部員 客室乗務員 町中尚子氏だ。
3冊の業務マニュアルのほかにも、アナウンスマニュアルが1冊あり、さらに機内販売商品や提供する食事に関する情報も紙ベースで提供されるため、持ち歩かなければならない資料は大量にあった。基本となる3冊のマニュアルだけでも重量は2.1kgほどあり、CAの負荷は大きかった。
「実際に自分が乗務する機種だけでなく、当社で運航している全機種に関する要領がマニュアルに記載されていますので、膨大な量になります。2カ月に1度のマニュアル改訂日には改訂指示表に基づき、各自で差し替えを行っていました。また、最新のマニュアルを保持しているか、差し替えが完了しているかの確認を定期的に行っていました」と、客室本部 グループ品質推進部 主席部員である宇佐美香苗氏は語る。
iPadの利用を開始した現在では、マニュアルはすべてPDF化され、ソフトバンクが提供するクラウドサーバから各自がダウンロードすることになっている。
マニュアルの更新についても新しいマニュアルをサーバにアップロードし、ログを参照することで各自のダウンロード状況も確認できるようになり、管理面でも手間が軽減された。
基本的にマニュアルの内容は、訓練を通してすべてのCAが記憶している。しかし、細部の確認を行うために参照することは多いという。
「まず、フライト前に乗務員が行うブリーフィングで必ず確認します。また、機内の装備品確認時にはマニュアルを参照しながら業務を行います。ほかにも、学習のために自宅で見ることもありますね」と町中氏は説明する。
CAは乗務スケジュールがあらかじめ決まっているが、機体の運航状況や天候により、前日や当日に乗務路線や乗務する機種が変わることがある。そうした場合に備え、マニュアルは常に携行し、実際に乗務する機種について確認する必要があるという。
「iPad導入で荷物が軽くなったことも喜ばれていますが、マニュアル内に動画や音声が埋め込まれ、わかりやすくなったことも大きなメリットです。今までは文字や図で手順が記載されていましたが、動画が加わることでより理解が深まるようになりました」と宇佐美氏はiPad導入のメリットを語る。
3月末までの運用トライアル中は、紙マニュアルとiPadの電子マニュアルが併用されるが、2012年4月に本格運用が開始されると紙マニュアルは廃止される。ただ、アナウンスマニュアルに関しては、離着陸時など電子機器が利用できない時期にも使用されるため、紙のまま残されるという。
「動画マニュアルはiPadのほか、スタンバイルームの大型ディスプレイでも使っており、3月には全員参加の操作教育も行います。すでに利用しているメンバーに対して苦手意識をフォローするとともに、いつでも質問できる環境を作ります」と町中氏は語った。
実際の活用方法は、以下の動画が参考になる。
「これまで航空業界では、便数増加により業務が増えれば、その分だけ人を追加するのが常識でした。しかしANAでは現在、既存人員の運用効率を向上させることで業務増に対応するという生産性向上を図っています。そのためには、CAの習熟度を早く引き上げなければなりません。iPadはそのためのツールです」と業務プロセス改革室 開発推進部 主席部員 林剛史氏は語る。
CAは機種ごとに乗務できる資格が存在するため、多くの乗務に対応するためには、機種ごとの乗務資格を取得しなければならない。また、国際線は、国内線乗務の習熟度が一定レベルに達して初めて乗務できるようになる。マニュアルが電子化され、動画による補足が行われたことで自己学習がしやすくなったことから、今後は学習効率が向上し、育成課程の短縮が見込まれている。
「以前から動画コンテンツは存在したのですが、DVDを借りに行かなければならず、使いづらいものでした。iPad内で見られるようになったことで、いつでも手軽に学習できるようになりました」と町中氏。集合教育の予習・復習にも利用できることから、知識の定着が早まるという期待もある。
「試算では全体で4億円のコスト削減を見込んでいます。マニュアル作成の紙コストで1億円、CAの学習効率アップで100名分の生産性向上を実現し、3億円のコストが削減できるという予測です。もちろン、制度改革もあわせて行いますが、2013年度には確実に効果が出る取り組みだと考えています」と林氏は語った。
ANAでは羽田空港の再拡張を機に、3年ほど前から電子デバイスを活用することを考えていたが、目的に合致するデバイスがなかったという。参照がメインであるため入力機能は重視しておらず、PCよりも軽く、安価で、すぐにコンテンツを参照でき、バッテリの持ちの良いデバイスを探している中で出会ったのがiPadだったという。
「Android端末も検討しましたが、当時はメモリの暗号化や不正アクセス対策など、社内規定で定められているセキュリティ条件に合う端末がありませんでした。また、検討端末はすべて実地で試験利用したのですが、実際に業務に耐えるほどバッテリが持たなかったという問題もあります。条件に合った唯一の端末がiPadでした」と林氏は振り返る。
ANAでは国内便に乗務するCAの場合、1日に3~4便のフライトを連続して行う場合がある。また、国際線の場合には最長14時間の乗務がある。同社にとって、これだけの利用時間に耐えられるバッテリは大きな課題であった。また、暗い機内での閲覧しやすさなども含めて検証が行われ、iPadの導入が決定されたという。
「9月に導入を発表しましたが、その後、728名でトライアルを実施しました。利用アンケートではかなり多くの意見が集まりましたが、経験年数等によって意見が異なるなど、立場によって希望する用途が違うことがわかりました。今後は教育だけでなく、サービスの向上につながるような取り組みもしたいですね」と林氏。
マニュアル類がiPadに集約されたおかげで、CAが持ち運ばなければならない荷物は大幅に圧縮された。これまでは、突然の泊まりに対応するための荷物や、機内で着用するエプロンやカーディガン等のほかは、マニュアルが大半を占めていたという。今後は小さな旅行バッグにiPadとアナウンスマニュアルだけを持ち運べば済む。空港の名物ともいえる、キャリーカートを引いたCAの団体が見られなくなる日が来るかもしれない。
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