【コラム】

ストリートインタビュー

168 初代日本語ワープロを開発、今もワープロを使う大学院教授(1)

    山田久美  [2005/02/17]
    ID:98
    氏名:森健一
    年齢:66歳
    職業:東芝テック相談役 兼 東京理科大学大学院総合科学技術経営研究科(MOT)教授 兼 科学技術振興機構研究主監
    場所:飯田橋
    携帯電話:NTTドコモ「N504i」
    1カ月の携帯電話使用料金:数千円

    今回ご登場いただくのは、東芝で、初めて「かな漢字変換」を開発され、1978年、その機能を搭載した日本語ワードプロセッサ「JW-10」を発表、現在の日本語ワープロの源流を作られた森健一先生です。私が今まさにこうやってパソコンに日本語入力できているのも、森先生のお陰というわけです。現在は、東芝テックの相談役をされているほか、東京理科大学MOTで「新産業創出論」という授業を担当されていて、学生から高い人気を集めておられます。穏やかな物腰とは裏腹に、常に新産業の創出に対し熱い思いを抱いておられる情熱家でいらっしゃいます。

    では、さっそくですが、日本語ワープロの開発経緯から教えて下さい。「最初は東芝で、文字の読み取り機の開発を担当していました。そして、機械で漢字の文字が読み取れるということがわかったのが1971年のことです。ところが、1文字ずつ読み取れても、その意味がわからなければどうしようもないわけです。つまり、文字は単独で存在しているのではなく、前後の文字との関連性があって、ひとつの意味を成し得ています。そこで、"意味がわかる"ということはどういうことかということを研究しようということになりました。私はこれを"意味理解"と呼んでいます。その応用例が"機械翻訳"で、英文から日本文、日本文から英文への翻訳できる機械を開発しようと考えたのです。

    ところが、その前提条件として、日本文の良い入力装置がないことに気付きました。もちろん、当時、邦文タイプライターというものはあったのですが、3,000字の配列を覚えないと使えないという代物で、誰でも使えるものではありませんでした。日本人であれば、誰でも簡単に使える日本語入力装置の必要性を感じました。

    そこで、さっそく、誰でも簡単に使える入力装置というものは、一体どのようなところで求められているのか、理想的な日本語タイプライターにはどういった機能が必要か、ということを明確にするためにリサーチを開始しまして、色々なところを訪ね歩きました。

    当時、もっとも日本語入力に対する問題意識を持っていたのが、新聞社、雑誌社、そして官庁でした。特に官庁では、国民の氏名や住所をコンピュータで処理しようとしていましたが、それには漢字入力が必須だったのです。また、生命保険会社では、名寄せ帳を作ろうとしていましたが、同じ"いとう"でも"伊藤"もあれば、"伊東"もあるわけで、きちんと漢字で入力したいといったニーズがあることがリサーチによってわかっていったのです。

    例えば官庁の場合、計算機室長などに面会をして、"現在、どのような処理をしていて、今後、どのようなものが欲しいですか?"と聞き歩いたわけです。製品というものは、ひとりの人の意見だけを聞いて作ると偏ったものができてしまうので、とにかくできるだけ大勢の人から聞くようにしました。そのことによって、多くの人に共通の潜在ニーズを見つけることができるのです。

    そしてわかったことは、(1)誰でも手書きより速く入力ができ(2)ポータブルで(3)どこからでもアクセスして検索できること--という3点の機能が求められているということでした。そしてこの3つが、ワープロの基本コンセプトとなったのです。

    中でも、最初に実現しなければいけないと感じたのは、手書きよりも速くどうやって漢字を入力できるようにするかということでした。また、3つ目のコンセプトに関しては、今で言えば、インターネットなどのネットワークでしょうが、当時の私たちはファクシミリをイメージしていました。

    ファクシミリは当時、ある程度、日本でも普及し始めていまして、夜間でも受信することができました。メイン電源は切れていても、サブ電源さえ入っていれば、受信したことを知らせる信号を感知して、メイン電源が自動的に入り、受信可能状態になり、受信が終わると、メイン電源が切れるという仕組みがすでに備わっていたんです。それと同じことを3つ目のコンセプトではイメージしていました。つまり、こちらの機器と相手の機器が電話線などでつながれていて、しかも、単なるファイルの電送ではなくて、相手の機器に電源が入っていなくても、こちら側から信号を送ると、相手の機器の電源が入り、受信可能状態になり、ファイルを電送し終わると、勝手に電源が切れるというイメージでした。

    初代日本語ワープロ「JW-10」

    そして、7年後の1978年、初代の日本語ワープロ「JW-10」を発表したわけですが、その時はまだ3つのコンセプトのうち、(2)ポータブルで(3)どこからでもアクセスして検索できる、という2つのコンセプトは実現できていませんでした。発表日当日、私は、その席上で、「数年後、この機械はポータブルになります。また、ファイルの電送ができるようになります」と言いました。その時、会場には多くの新聞記者が来られていましたが、唯一、電送について書いてくれたのが朝日新聞の記者でしたね。それも、記事の最後の方にほんのちょっと触れていた程度でした。当時、ポータブルについては比較的わかりやすかったのでしょうが、電送については、なかなか理解していただけなかったのでしょうね」

    (インタビュアー=山田久美 k-yamada@pc.mycom.co.jp)

    *次回に続きます。

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